見出し画像

だから文化だなんだと語る前にやることがあるでしょう〜アートだなんだと言う意識高い系に単なるおかんの私が声高らかに言いたいこと。


せっかく目の前に機会があるのにもったいなさ過ぎなんだよ。


日本では「アートとなんちゃら」というのがずっとブームになる。社会人なら、知識人なら、良き大人なら、投資家ならアートを見てなんだかんだと言うブームが定期的に続いている。


本当に見てて苦しくなる。


意識高い系だけでよろしくやってくれよ!と以前なら怒りだけで済んだ。でも今は怒りと共にどうしようもなく悲しくなる。泣きたくなる。このnoteだって泣きながら書いている(先週からお腹壊して調子が悪いからと言うのもある。毎日1日1食おかゆしか食べれないの辛い、健康大事、マジ大事)。


日本では芸術を見に行ける機会が先進国並みに沢山あるのに、なぜ多くの層(特に子供に)自由に見にいく機会を増やさないのか。そこに思考がいかないのがどうしても解せない。


今、私はマレーシアの郊外に家族の都合で住んでいる。来年の夏まで動けないことが確定している。もちろん日本に行こうと思えばいける。でも移動を強行して戻れなくなって家族の目的を反故にするわけにはいかない。(政治的に不安定な国ならあるあるである)隔離費用などのお金もかけれないのでここにいる。マレーシアはつい最近まで大規模な行動規制が引かれていた。行動規制が解除になった後でも日本のような大規模な展覧会はここ数年行われていない。正直、来年までは行われないだろう。

現在はコレクターやアートラバーが水面下で集うような小さな集まりがギャラリー主催で行われているだけだ。もちろんそれにお声をかけてもらえるのだけありがたい。感謝してる。でも子供を置いては行けないので子供がフルワクになり2週間経つ11月中旬まで動くことはできない。とにかく、今は静かにしていくしかない。


このように耐えてる時間がもう5ヶ月近く続いている。なので精神が参ってるのだと思う。なので書き散らすことを許してほしい。


なぜ日本における「アート」というのは敷居をどんどん上げていくのだろうか。なぜ学んだり、しきたりを知ったり、マナーを認識した上でないと学べない雰囲気を出しているのだろうか。


日本人は展覧会が大好きな国民だという。それは「チケットを買って観に行けば「そこに観にいく権利を購入したのだからなんだこれと思っていても笑われない」と思われているのではないかと個人的に考える。いわゆる安心料だ。そう思えば定期的に上がってくる「美術館のチケットが高い」問題も理解できる。安心料というのはあくまでも安心料だから。



本来、芸術がそこにあるのなら「観たい」と思う層に機会を与えることを最優先すべきではないのか。機会があるのなら、お金があるのなら、場所があるのなら、なぜそこにまず機会を設けないのか。子供料金を無料にしたりとか子供連れだと2回目の割引券を渡すとかやり方は色々あるだろう。


子供の「観たい」に全力で大人が答える。というとこのストーリーを思い出す。ミシェル・オバマ夫人と彼女のポートレイトに見惚れて話題になった2歳の女の子のストーリーだ。

アメリカの大統領は任期が終了すると大統領夫妻の肖像画を描き(そういえばトランプさんの肖像画ってどうなったんだろう)アメリカの首都ワシントンD.C.にある国立肖像画美術館に展示される。ミッシェル・オバマ夫人の肖像画は本当に美しい。そしてその肖像画に見入ってしまった2歳の女の子の姿には涙が出るほどに感動した。

この報道がメディアで有名になるとミシェル・オバマ夫人はパーカー・カリーちゃんを呼んでダンスパーティーを開催した。超楽しそうだ。

これこそが「観たい」に大人が答える活動だと思うのだ。パーカー・カリーちゃんにはこの体験で素晴らしいプレゼントをもらったはずだ。ちなみに彼女の話は絵本にもなった。この体験から、報道から、そして絵本から多くの子供たちが美しい絵を見て感動することの素晴らしさを擬似体験し、そして自分も見てみたい!と思ったはずだ。素晴らしい連鎖ではないか。

(日本だけじゃないけど)子供がどんどん減少していく現代、子供に観る機会を存分に与えないでどうするんだろうって思う。観るべきものがそこにはたくさんあるのに。


権威とか学問とかから離れて科学的に考えれば私の怒りは収まるだろうか。以前拝読してとても考えさせられた「脳から見るミュージアム アートは人を耕す」の序章を再度読み返す。

やはり芸術は脳を耕し、新しい世界を広げてくれるのだ。パンデミックと共存して生きなくてはいけない現代、子供や高齢者などに「脳を耕す」機会はどんどん与えるべきなのだ。


しかし、私は今、脳を耕す場所に子供や親を連れて実際に行くことができない。悲しい。辛い。現在厳しい行動規制が緩和されてるマレーシアではワクチンパスポートさえあれば様々なことが出来るようになった。同時に既に取得済みのワクチンパスポートに関してこれは来年はどうなるのだろう?とか考えると非常に心が不安定になり困っていた。ワクパス保持者のくせにワクパスに悩む私に家族が「これやって落ち着きなさい」と勧めてくれたのが「あつまれどうぶつの森」だった。


だって、あつ森の中ならメトロポリタン美術館に行けるんだぜ!!!


思う存分楽しむには色々な手順が必要なのでまだやってないけど(やってないんかーい)この目的があるだけで生きていけそうな気がする。毎日少しづつ進めている。我が家ではSwitchは私の専用機になってる。ウケる。


実はメトロポリタン以外も多くの美術館が参加している。


ここには意識高い系の輩は来ないはずだ。思う存分アートを楽しみ、脳を耕そうと思う。芸術とは本来「観たい人に観たい機会があるべき」ものだと思うから。

同時に実際に芸術に触れるために出かけることが出来る人は感染に注意を払いながらぜひ実際に子供や親を連れて美術館などに出かけて脳を耕してほしいと思う。パンデミックが明けるのか明けないのかよくわからないモヤモヤした今だからこそ、固まってしまった脳を耕す時だ。

難しいことをより難しそうに言う意識高い系にはそちらはそちらでよろしくやってもらおう。私も来年の夏以降に思う存分耕しにいきたいと思う。