見出し画像

インドの旅・ヨガの聖地リシケシ(町の様子編)

2023年2月18日からインド・ヨガの聖地リシケシへの旅を開催しました。
パンデミックを経て、3年ぶりとなるインドリシケシの様子をいくつかのコンテンツに分けてお伝えしていきます。

コロナのインド事情

2020年に始まった世界的なCOVIT19の広がりは、インド国内に大きな悲しみを広げました。日本の厚生労働省のレポート抜粋

(3)国内の行動制限(ロックダウン、マスク着用義務、集会禁止、入店規制、接触確認アプリ 等)
イ 人流抑制措置
① 2020 年3月 24 日より、インド全土でのロックダウンを開始。生活必需品店舗を除きほとんどの業種で事業が停止され、外出や活動も生活に不可欠なもの
(医療従事者の通勤、医療機関の受診、生活必需品の買い出し等)を除き全て禁止された。
② 2020 年 6 月、「Unlock」と銘打ち、以後、感染状況に応じて措置の緩和を徐々に拡大していき、メトロやタクシー、酒類販売など含め、事業が徐々に再開されていった。ただし、学校の再開は非常に遅く、州の判断によって部分的に再開することが可能との指示が内務省から初めて出されたのは、2020 年 10 月であった。しかし、実際には通学での学校再開を行った事例は極めて少なく、ほとんどの学校でオンラインでの授業が継続された。このように、事業再開に当たって何を優先するかは日本や欧米諸国とも大きく異なっていたと言える。
③ なお、こうした極めて厳しい行動制限が実現した背景には、あらゆるサービスのオンライン化が当該パンデミック発生前から整っていたことがある、例えば、生鮮食品や飲料のデリバリーですら携帯電話のアプリ一つで簡単に注文することができ、かつ非常に安価である。また、配達の状況(店で準備中、配達中など)や配達員のワクチン接種状況なども一目で分かる仕組みとなっているなど、非常に便利なツールが多く存在している。また、前述のとおり、携帯電話の保有台数も多く、その利用料金も非常に低廉であるため、所得が高くない世帯であってもスマートフォンを保有、家庭用インターネット回線を敷設することが難しくないため、多くの学校でオンライン授業を行うことが当初から可能となっている。

インドにおける新型コロナウイルス感染症の状況

私のお世話になっているインド人の家庭でも、このコロナで親族が複数なくなり、仕事が一切なくなり、外出すらも1家庭1人だけが必要な生活用品の購入のみ許され、それに対し罰則(罰金)が科せられるという状況と聞きました。
日本の対策と比べ、極度に厳しいものと思います。

そして、その苦しみを超え、今現在のインドの街の様子は現地に到着するまで想像することもできませんでした。

デリー市街

実際には旅の最終日に立ち寄ったニューデリーのバザール。
普段ならインド人も外国人もごった返す路地に店がひしめく。
通りも広くなり、依然あった店が変わっていたり、寂れているところもあるものの、全体的にはインド人がバザールで買い物を楽しみ、食事を楽しみ、観光を楽しみ、様子が見られました。
活気は以前よりもあったかもしれない。

デリーから滞在先のハリドワールへ

初日、夜20時、インディラガンジー国際空港へ到着。
空港へ到着し、まず感じたのは穏やかさ。
人がマスクをしていない中でも談笑し、語り合う様子。
旅行者はもちろん空港職員も店舗のスタッフもノーマスク。

翌日、チャーターバスでデリーからリシケシへ早朝出発し街の様子が徐々に見えてくると、そこは依然と変わらない力強く、荒らしい人込み。
そして、デリーから北へ200㎞のヒンドゥー教の聖地ハリドワールでは、ひしめき合うほどの人が巡礼し沐浴を楽しんでいました。

ハリドワールの沐浴場
シヴァ神のお祭りの翌日の日曜日 インド全体から多くの人が訪れていた

リシケシへ来るときには必ず通るこの聖地。
変わることない清らかな流れ、そして、変わるゴミの質

使い捨てのシートの山

沐浴中に手荷物を置くために販売されているビニールシート。そのどれも、そのままに大量に廃棄されていく。
こうしたレジャーシートの習慣は以前にはなかったものと思う。
コロナで外国人観光客が激減した変わりに、インド国内の旅行は爆発的に増えていっているよう。
こうしてインド国内の人の交流が盛んになればなるほどに、失われていくものもあると感じる。いずれこの場所にも世界的なコーヒーショップができるかもしれない。

リシケシの街へ

ハリドワールからさらに1時間
ヨガの聖地とされるリシケシの街へ到着。

この町がどんな変化を遂げているのか、少しの不安と興味が混ざっていました。
しかし、この町は、私の知っているものそのままに残り、美しく、祈りのやさしさにあふれていました。

路面店
日陰を楽しむサドゥ―
サドゥーの集い
アドベンチャーツアー(ラフティング)と牛
華やかな装飾と牛
直線のない柔らかな護岸のガンジス川と渡し船

道には牛がいて、犬が吠えて、サルが飛ぶ。
サドゥ―が歩き、サドゥ―が寝て、サドゥ―が声をかけてくる。
祈りが聞こえ、みんなが優しい。
一見した街並みはそのままでした。

ガートを歩くと、祈りのお花を売りに来る子供に囲まれる。
何度もなんども、あきらめずに売りに来る。何度断っても売りに来る。
家族総出で売りに来る。
ほほえましいエネルギーが満ちていました。

リシケシの変化

それでも、しばらく滞在すると変化していることも見えてきます。
私の知っているリシケシには、アルコールはなく、町中がベジタリアン。どの店で食事をしても基本的には菜食が基本。
それが、レストランやBarではアルコールが提供され(基本的には違法)、チキン料理を提供する店もできていた。街のごみの中には、アルコールの瓶を散見する。
以前にはなかった、ディスコができ、夜遅くまでクラブのような音楽が聞こえる。
バンジージャンプやラフティングのようなアドベンチャーツアーのオフィスがかなり増えた。もちろん、インド全体の問題である就業率の低さをこうしたところで多少なりともカバーしているのかもしれない。

何がきっかけでこういうことになったのか、想像もできない。
インド国内の人の流動がこうした変化に繋がったのか。
私が感じているリシケシの魅力の大きな部分が蝕まれた印象を持った。
リシケシの友人と話すと、彼は
「ここもGOAのようになる」
と寂しそうに言った。
決してGOAが悪いと言いたいのではない。
ただ、リシケシがリシケシであることの大切な要素がノンアルコールと菜食の街であったことは間違いない。
そもそも、何を摂取するかは個人が自分自身のレギュレーションで決めればいいこと。それはそう。でも私には寂しく感じる。
一度できた流れは、そう簡単には戻らないだろう。

橋が一つ改修中

リシケシの街を彩るのが、ラクシュマンジューラとラムジューラというガンジス川にかかる橋。
2年前に下流にジャンキセツゥという新たな橋が架かった。
ジャンキセツゥは、人とバイクの走る場所が分かれているという画期的な橋。広い川幅のところにかかっていて渡りがいのあるもの。しかし構造がしっかりしているので揺れることがないから少し物足りない。
そして、上流のラクシュマンジューラが、なんと架け替え工事のために通行止めとなっていた。。
これから行く方はご注意を。
ということが影響しているのか、これまでのメインエリアであったラクシュマンジューラエリアの人が減り、TAPOVANというエリアがの急激に開発され現在もホテルの建設ラッシュ。
ラクシュマンジューラは渡し船があり、渡ることも可能。しかし不便。
これからリシケシに行かれるかたは、滞在場所の選定を慎重に。

行って初めて知った ラクシュマンジューラの通行止め

さて、こんな感じで変化と不変のインドの街。
それでも私この町が楽しく、面白く、愛おしい。

次は、リシケシでのツアーの活動の様子をレポートします。

よろしければサポートお願いします。サポートいただいた費用は夢の実現へ活用させていただきます。私の夢は「メンタルヘルスアシュラムの建設」です。