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大人になるとは? 新世紀エヴァンゲリオン(感想)

先に言っておくと、テスト勉強におわれているので文章が雑で超絶読みにくく、おもんないと思います。すみません。

昨日、新世紀エヴァンゲリオンを見終えた。

BUMPのアルエが綾波レイをモチーフに歌われているのだと知り、そこからエヴァに興味を持つ、という中々珍しいルートでエヴァを観ることになった。

感想から言うと本当におもしろかった。戦闘系アニメで、戦闘シーンの音楽、映像、設定等々様々なこだわりがあり、戦闘シーンも見応え満載。

ただ、なんとも不思議なのは従来の戦闘アニメと違って、自分とは別に存在する敵と戦っているのではなく、自分、もっと言えば過去の自分と戦っているように思えることだ。

登場人物それぞれの心の中を勝手に覗かせて頂いてるような気分になる。

作中でも、精神回路をズタズタにされたアスカが「これ以上私の心を覗かないで!!!」と叫ぶシーンがあるのだが、私も含め人間というのは本音や心の中の思い、もっと言えば過去や生い立ちを他人に見られるというのはいい気がしないものだろう。

相当心を開いている相手じゃないと、自分が隠し通している部分については話したくないし、もしくはどんな相手にも話したくは無い。そういう人がほとんどだと思う。

だから、自分以外も苦しんでいるなんて知ることはできないし、「みんなも同じように苦しんでいるんだよ」なんてニコニコよく分からない奴に語られても腹が立つ。

それが人間だ。

だからこそ、こうやってアニメを通して他人が隠し通している部分を見ることで自分に投影して、なんとも言えぬ気持ちになれるんだろうと思う。

フィクションの世界だとはいえ、10代の多感な人間が抱えるものは共通しているのだ。

私はエヴァは思春期での自立を描いたアニメだと勝手に考察している。


エヴァには14歳のパイロットの母親の魂が宿っている。シンジが乗る初号機には母親である碇ユイの魂が入っているのだ。

そしてシンジは父親の碇ゲンドウの指示の元、エヴァを操作し、使徒(敵)と戦う。

こうやって、シンジたちパイロットは親の力を借りつつも自立していく。
アニメではそういった姿が描かれている。

10代の大人になる過程にある子供たちにとって、1番のあるべき姿が「親の力を借りながらの自立」だと思う。(高校生の私が言うのは変ですが。)

ただ、「親の力を借りながらの自立」は簡単なことではない。

エヴァに出てくる14歳は全員母親がいないように、親を失っていたり、または親が力を貸してくれない状況下にあったり。そして、親が手を差し伸べてくれていても、反抗してしまったり。

私自身も今までを振り返ると、ヒステリックな母親に精神的虐待を受けていた時期もあったり、自分自身が反抗したり、親子関係が上手くいっていないことの方が多かったように感じる。

実際、私はまだ発達段階で、もちろん大人になり切れていない。

大人になりきれていない、まだまだ子供の私が、自分自身や親との関係を俯瞰して見ることは難しい。

ただこうやってアニメを通して、大人になろうとする子供たちの姿を客観視できたように、物ごとが上手くいかなかった時、少し苦しくなった時は自分を遠くからみるようにしたい。

そして、孤独感に押しつぶされそうな今も、私に差し伸べられている手はあるのだと、忘れずにいきていきたい。

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