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(浅井茂利著作集)「新しい資本主義」をどう考えるか

株式会社労働開発研究会『労働と経済』
NO.1669(2021年12月25日)掲載
金属労協主査 浅井茂利

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 2021年10月、岸田内閣が発足し、政策の目玉として、「新しい資本主義」が打ち出されました。十倉経団連会長、芳野連合会長もメンバーに加わって「新しい資本主義実現会議」が設置され、11月には「緊急提言」がとりまとめられました。
 「成長と分配の好循環」および「コロナ後の新しい社会の開拓」をコンセプトとし、成長戦略として、
*科学技術立国の推進
*企業のダイナミズムの復活、スタートアップの徹底支援
*デジタル田園都市国家構想
*経済安全保障
を、そして分配戦略として、
*民間部門における中長期も含めた分配強化に向けた支援
*公的部門における分配機能の強化
を掲げています。
 安倍内閣においても、「企業から家計への波及、雇用と所得の増加へ」 (骨太方針2013)などということが謳われ、毎年3%程度の地域別最低賃金の引き上げ、官製春闘とも揶揄される民間部門に対する賃上げの働き掛け、
賃上げを行った企業に対する減税策である所得拡大促進税制、正社員と非正規雇用で働く者との同一労働同一賃金などが進められてきました。岸田内閣の掲げる「新しい資本主義」は、こうした施策をより強めるものであり、
*労働分配率が長期にわたって低下傾向を続けてきたこと。
*わが国の賃金水準が、先進国の中で低位にあることがいまや誰の目にも明らかとなっていること。
からすれば、当然の方向性だと思います。
 安倍内閣の下においても、働く者への配分はそれなりに行われ、労働分配率も緩やかな回復傾向をたどってきたのですが、やはり分配よりも成長優先、「成長なくして分配なし」という傾向が根強かったと思います。
 「成長なくして分配なし」という主張は、それ自体が間違っているわけではなく、むしろ当然のことなのですが、働く者への配分不足や配分の歪みが生じており、それが成長を阻害しているという現状においては、的外れと言わざるを得ません。「緊急提言」も、残念ながらこうした主張に対し、有効な対抗策を打ち出しているようには見えません。
 日本経済が本当に「新しい資本主義」に衣替えし、「成長と分配の好循環」を実現しようとするならば、さらにひと皮もふた皮も剥けていく必要があると思います。

株主資本主義からステークホルダー資本主義へ

 本欄でも以前に紹介していますが、 2019年8月、米国の主要な経営者の団体であるビジネス・ラウンドテーブルは、「企業の目的に関する声明」を発表しました。
 顧客への価値の提供、従業員への投資、サプライヤーとの公正かつ倫理的な取引、コミュニティーへの支援、株主への長期的な価値の創出という5項目を掲げ、企業、地域社会、そして国の将来の成功のために、すべてのステークホルダーに価値を提供することを約束し、とりわけ従業員への投資については、「公正な報酬を支払い、重要な給付を提供することから始まる」と指摘しています。
 また、 2020年1月に開催されたダボス会議では、「ダボス・マニフェスト2020」が示され、ビジネス・ラウンドテーブルと同様、顧客、従業員、サプライヤー、地域社会、株主に対する企業行動についてコミットされており、従業員については、労働条件と従業員の幸福の継続的な改善に努めることなどが掲げられています。
 世界では、いわゆる「株主資本主義」から、「ステークホルダー資本主義」と呼ばれる新しい資本主義への転換が進んでいます。
 ひとくちで言えば、株主資本主義は、株主利益の追求を最優先とし、従業員の人件費などはコストとしてしかみなさない資本主義、ステークホルダー資本主義は、企業を社会的存在としてとらえ、株主の利益だけでなく、従業員を中心に、顧客、取引先、地域社会などステークホルダー全体に対する貢献を重視する資本主義です。
 株式会社は、資本と労働を結合させる仕組みですから、その一方にすぎない株主の利益追求のみを優先し、もう一方である従業員をないがしろにする株主資本主義は、もともと株式会社という形態とは相容れないものでした。株主とは株の持ち主であって、会社の持ち主ではありません。土地や建物、機械設備など有形資産だけで経営が成り立つならば、株主資本主義でよいのかもしれませんが、経験やノウハウのような属人的な無形の資産が経営の核心である以上、従業員重視のステークホルダー資本主義が当然の帰結となります。よしんば経験やノウハウをデジタル化することが可能だとしても、知恵や創意工夫をAIに置き換えることは不可能でしょう。
 株式会社では、経営者の選任をはじめ、経営に関する最終的な決定権が株主にあることは事実です。それがために、株主資本主義のような誤解も生じてしまった、と言えます。
 しかしながらそれは、企業の通常の意思決定が従業員から昇進した経営者、経営者によって選ばれた経営者によって行われているために、それに対する、いわば株主の「非常大権」とみなすべきだと思います。
 英国は、もちろん議会制民主主義の国ですが、エリザベス女王には、法案の拒否や議会の停止を行う国王大権があります。1975年にはオーストラリアにおいて、エリザベス女王の名代であるカー総督がホイットラム首相を解任しました。ただし、まさに国の存亡がかかっている非常時でなければ、その発動は許されません。株主の議決権行使もそれと同じように慎重に、とまでは言いませんが、少なくとも株主の短期的な利益ではなく、企業の持続可能性、長期的な発展の観点から、判断が行われなくてはなりません。ましてや、議決権行使助言会社の助言がなければ判断できないような株主は、判断をすべきではありません。
 ステークホルダー資本主義とは、新しい資本主義というよりは、本来の資本主義への回帰と言うべきだと思います。
 新しい資本主義実現会議の「緊急提言」では、「現在、世界各国において、持続可能性や『人』を重視し、新たな投資や成長につなげる、新しい資本主義の構築を目指す動きが進んでおり、我が国が持続可能性や人的資本を重視するこの動きを先導することを目指す」「現場で働く従業員や下請企業も含めて、広く関係者の幸せにつながる、多様なステークホルダーを重視した、持続可能な資本主義を構築していく」と謳われています。
 もともとわが国は、渋沢栄一の「論語と算盤」、近江商人の「三方よし」などに代表されるように、ステークホルダー資本主義が自然と受け入れられてきたわけですが、株主資本主義を扇動してきたマスコミなどの抵抗は根強いものがあります。「緊急提言」にしても、案の段階では「ステークホルダー」という文言は一切なく、最後の最後で盛り込まれたということは、やはりわが国の後進性を表していると思います。新しい資本主義実現会議の役割は、そうした経営者や投資家のマインドの方向転換を図ることであり、それさえ実現できれば、自ずと働く者への配分も拡大し、成長にもつながることになると思います。

「成長なくして分配なし」から「分配による成長」へ

 「成長と分配の好循環」に対しては、いまだに「成長なくして分配なし」などという反論が聞かれます。基本はもちろんそのとおりなのですが、現在の状況からすれば、それは的外れと言わざるを得ません。
 前回の景気回復が始まる直前の2012年から景気回復最後の年の2018年へのわが国の実質GDPは、6年間で7.0%の成長となっています。この間における主要先進国の成長率を見ると、同じく6年間で米国14.5%、ドイツ10.6%、フランス8.2%、イタリア2.8%、英国14.3%、カナダ13.0%となっていますので、わが国の成長率はイタリアを除いて最も低いということになります。
 一方、この6年間における個人消費の実質成長率を見ると、日本が2.4%なのに対し、米国16.3%、ドイツ8.9%、フランス7.3%、イタリア3.3%、英国17.3%、カナダ16.9%となっており、日本以外の国々が実質GDP全体の成長率とほぼ同様の成長率となっているのに対し、日本だけが、実質GDP成長率とはかけ離れて低い成長率となっていることがわかります。日本の低成長の原因のひとつに、個人消費が成長に寄与していないことがあるのは間違いありません。
 「成長戦略」と言えば、供給能力を高めるための供給側の改革が中心でした。しかしながら、そもそも需要がなければ、政府がいくら政策努力を重ねても、供給能力を高めることはできません。仮に供給能力を高めることが
できたとしても、国内の民間部門の需要が拡大しなければ外需依存や財政赤字の拡大を招いたり、デフレになったりするだけです。加えて、新しい在留資格「特定技能」の創設による外国人労働者の受け入れ拡大のように、安く製品を供給するためには役立つけれども、働く者に対する適正な配分にとってマイナスとなるばかりでなく、個人消費の拡大や産業の近代化の障害となり、そもそも成長そのものを阻害する可能性のある政策が、成長戦略の名の下に行われてきたというような事例も見られます。成長戦略の議論では、解雇規制の緩和が俎上に載ることが多いですが、これも個人消費にとってはマイナスの政策です。
 こうしたことから、当然のことですが、成長戦略は目立った成果をあげることができなかった、と言えるのではないでしょうか。
 「新しい資本主義」における「成長と分配の好循環」は、「成長なくして分配なし」ではなく、分配こそが成長戦略であること、「分配による成長」を全面的に推進することが、きわめて重要だと思います。

所得拡大促進税制の制度設計について

 緊急提言では、「賃上げを行う企業に対する税制支援の強化」が打ち出されており、2022年度の税制改正論議において、検討が進められているものと思います。現在の状況の下では、大変重要な施策だろうと思います。
 ただし、本稿の掲載号が発行されている時には、すでに結論が出ているとは思いますが、低い賃上げでも減税になるような仕組みは回避すべきであると思います。
 2021年度の所得拡大促進税制は、中小企業で給与等支給総額(企業全体の給与)が前年度比で1.5%以上増加した場合、給与等支給総額の増加額の15%を税額控除するというものでした。このため、
①賃上げではなく、一時金の増額でもよい。厳しい環境下で、一時金を削って賃上げに回した企業は対象にならないことになる。
②定昇の平均的な水準(厚労省の調査では、平均1.6%)よりも低い1.5%の賃上げで減税の対象になる。
③賃上げしなくとも、従業員が増えればよい。
という問題点がありました。 ③については、2020年度までと同様、要件を「継続雇用者」の給与等支給額の増加に戻すことが緊急提言に盛り込まれていますが、①、②については、本稿執筆時点で、どのようになるのかはわかりません。
 制度の趣旨からすれば、基本賃金の引き上げを支援する制度とすべきだと思いますし、定昇相当分に加えて、最低限でも消費者物価上昇率を超えた賃上げを支援する制度としなければなりません。

配分のあり方も重要

 2014年以降、毎年賃上げが行われており、労働分配率も、いまだ低水準とはいえ緩やかに回復してきています。しかしながら、それでも個人消費が低迷しているのは、配分の歪みという問題があるからだろうと思います。
 個人消費の拡大には、単に所得が増加するだけでは不十分で、
*恒常所得の増加
*生涯所得の見通しの向上
が必要です。
 わが国の賃金制度では、一般的に、収入の中で所定外賃金や一時金がきわめて大きな割合を占めています。こうした収入は不安定ですから、働く者は安心して消費を行うことができず、貯蓄志向が高くなってしまいます。
 また2014年以降、毎年賃上げが行われているにも関わらず、中高年層については、賃金水準がむしろ低下する傾向が見られます。
 当然のことながら、このような状況では、中高年層は節約しなくてはなりませんし、若年層についても、子どもの教育や老親の介護、住宅の購入・建て替えといった、人生で最も生計費のかさむ世代となった時に、賃金が上がらないということがわかっていれば、若いうちから消費を抑制するしかありません。
 「成長と分配の好循環」のためには、こうした配分構造の歪みにも、メスを入れていく必要があります。

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