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妙深寺のお葬式

妙深寺の葬儀。どんな違いがあるでしょうか。

生きている間、食べる物にこだわり、レストランにこだわり、シェフや産地にまでこだわるのに、死んだらお葬式は何宗か分からない、どんなお坊さんがするかも分からない、というのは、本当の本当におかしなことだと思います。

それが、日本人?現代人?でしょうか?

ある意味で、どんなこだわりより大切なのが、誰に、どんなふうに、見送ってもらうか、どのような葬儀をするか、だと思います。

妙深寺の葬儀。本当に、ありがたく、大切な法要として、ご奉公させていただいております。

月曜の夜、兼子清顕師が御導師をするお通夜に参列させていただきました。迎里博子さんのお見送りでした。言葉に言い尽くせない思いがあります。

清顕師、本当にまごころを込めて、博子さんの一生を振り返り、ご遺族とともに、お見送りの一座を勤めてくださいました。これほど僧俗一体となったお見送りの一座があるだろうかと、胸がいっぱいになりました。

清顕師は、博子さんのご病気にあたり、何度も何度もお助行に通い、お供水をお届けしたり、ご家族と向き合い、励ましたり、話し合ったりしてきました。

そんな僧侶がお見送りのご奉公をする。なんと素敵な、ありがたいことでしょうか。清顕師の姿、ご家族や教区の方々がお参りする姿を見ていて、同じ一生の終わりでも、本当に尊いものだと感激いたしました。

葬儀社から依頼されて派遣されるお坊さんもいます。生前の故人を知らない、知っていても仏縁とはほど遠い関係の僧侶もいます。

世の中には宗派もたくさんありますし、お寺もいっぱいあります。お坊さんだっていっぱいあります。

しかし、やはり、レストランやお店と同じくらいたくさんあっても、本当の本当に素敵な、素晴らしい、自分で納得のいく、信頼できる、大好きなお寺や導師によって奉修いただくことが大切だと思います。

なんでもアリは、何にもナシと一緒です。たった一度の人生ですから、最後の最後もキッチリ締めくくらなければもったいないと思います。

南無妙法蓮華経
ありがとうございます。

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