閑雲野鶴の心象風景
年明けて数日が経ちました。
未来を明示することは避けますが、私たちは激動の時代を生きているのだと、いつか振り返ったときに誰もが思うことでしょう。
古来より人類は疫病、災害、飢饉によって多くの命を失ってきました。そうした現象は社会構造を破壊し、時に文明を推し進め、そして厄災が重なるところには必ず争いが生まれました。繰り返す歴史に抗う人々を嘲嗤うように、今も戦禍は拡大し、その火種は世界中に撒かれています。
人の手に余る天変地異に直面した私たちの祖先は、例えばそれらを神の御業と説明し、畏怖の念はいつしか信仰を興しました。原始的な宗教の背景には、当時の文明では説明不可能な自然現象があったことは想像に難くありません。
記録に残る限り遡っても、現代以上の高度文明は地球に存在しません。この高度文明を以てしても、疫病と災害と飢饉を完全に克服するには至らず、ひとつの種族の中に数多の集団が存在し、越え難い格差の中で、争いの感情は絶え間なく巻き起こっているようにみえます。
何をすればいいのか。
何かすればいいのか。
安全圏からしか物言わぬ凡夫の空論に意味などありません。対岸の火事と思っているうちには、誰しも本気にはなれないものです。燃えるまでは熱さを知ること叶わず、燃えてからでは遅過ぎるのだろうと想像します。
平和への鍵は、それぞれの手の中にあります。
自分の手の届く範囲のこと。それが譬え小さな世界であっても、それぞれの生業の中で、出来ることがあるはずです。手に届く範囲の人間関係も穏やかにいられずに、どうして集団同士の争いを回避できるでしょう。どれほど大きな組織であっても、例えばそれが国家という規模だとしても、分解していくと最小単位は人と人との関係です。
今日、貴方の触れる誰かとの関係性が、どこかで何かに影響するかもしれません。人と人との縁に気づくこと。そうして自分を大切にすること。自分を大切にすることは、誰かを大切にすることと同義です。それが両立したとき、何かが変わるような気がするのです。
朧な文章ですが、祈りと未来を込めました。
どうか、日常を。
拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、貴方の生活が穏やかに幸せなものでありますように。
ご支援いただいたものは全て人の幸せに還元いたします。