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その腕の痛み、原因不明。【漢方医放浪記】

 発作的に腕が痛くなるんだ。
 眠っている時に痛みで目が醒めて、それから寝付けない日もある。

 その青年は悲哀の表情で言いました。
 詳しく話を伺うと、非常に強い神経痛のようで、首から腕を走り指先まで電撃が走る様子。痛みの範囲は下位頚椎から上位胸椎の神経分布に沿いますが、奇妙なことに痛みの発作は左右ランダムに起こるといいます。発作がいつ来るか分からず、持続時間は概ね10分ほど。それより短いときもあれば長いときもあるそうです。総合病院で精密検査を受けても「異常なし」で、痛みのせいで眠れないのに睡眠薬を処方されたといって彼は嘆きます。

 CTやMRIなどの検査結果が「異常なし」であったとしても、そこに症状がある限り、それは「原因不明」かもしれませんが「異常なし」ではありません。検査機器が感知できない「不調」を無視してしまっていたのでは、何のために医者がいるのでしょうか。検査結果ばかりに注目して患者本人を診ないのでは、そんな仕事はAIがやっても大きく変わらないでしょう。

 江戸時代の「漢方医」は自分の持てる全ての医術を以て様々な病を患う人に対峙しました。私の専門は呼吸器内科学と漢方医学ですが、先人たちの医道を忘れてはならないと思うのです。専門外だと遠ざける前に、できることがないか。自分に治療できない病ならば、どの専門科なら治療し得るのか。そこを明確にできるのがプロの仕事と考えます。よって私の精神を起点に自身の職業を表現するならば、私は漢方医という言葉を好みます。

 現代日本で絶滅危惧種たる漢方医の人生を、人との交流や診療経験を通して考えながら記していきましょう。それが私の【漢方医放浪記】です。


 さて、件の青年の抱える病の本体は何処にあるのでしょうか。

 神経分布に沿う発作的な痛みで、画像検査で捉えられない異常。神経診察を行い、その痛みが本当に神経分布に沿うものか確認します。こういう症状を患う人の中には、実は特定の経絡の場所に痛みが出ている人もあるからです。経に異常があるなら、該当臓器に西洋医学的な異常がないか精査を検討しつつ、その経の治療をすればいい。ところが青年の痛みはハッキリ神経分布に沿うことが分かりました。さらに痛みがないときは完全に無痛です。画像検査的にも脊椎症やヘルニアではないのでしょう。

 次いで脈を按じます。
 上焦浮、弦。肝が実し、肺が少々虚しています。
 腹直筋が張っていて、胸脇苦満があります。
 
 肝陽上亢と、それに続発する肺気虚のようです。

 過剰なストレスにより「肝」が失調して気が溢れ逆流し、肝経に沿う部位に異常が出たとみてよいでしょう。それが痛みの原因です。眠れないのは「心」に影響が及びふわふわと浮いているからで、「脾」と「腎」は元来強いため保たれているものの、「肺」には抑制的な働きが加わっているのでしょう。このまま放っておくと感染症に弱くなったり、便秘や皮膚のトラブルが出たりします。

 西洋医学的に表現するなら、交感神経の過緊張に伴う骨格筋収縮とそれに付随する発作的な神経根症状と考えます。寝ているときの「歯ぎしり」が、首の後ろの筋肉で起きているような感じです。

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 では、どう治療するか。

 治療戦略は幾つかありますが、私は柴胡桂枝湯を考えます。

外台柴胡桂枝湯方。治心腹卒中痛者。

『金匱要略』腹満寒疝宿食病脈証治第十より引用

 とあるように、この処方を選択する目標のひとつは「発作的な痛み」です。ここには心腹の痛みとありますが、肝経に関連する発作的な痛みですから、応用可能な範囲と考えます。

 ところが、この青年、なんと「なるべく薬は飲みたくない」と言います。マジか。どうしよう。そんなこともあります。漢方医は狼狽えません。

 そこで私は鍼治療を提案しました。
 幸いにして時間のとれる日でしたから、その場で治療を始めます。
 風池と肩井、肺兪から始めて、孔最や太衝など必要箇所に鍼を打ちます。一通りの施術を終えたのち、幾つかの置き鍼をして治療を終了します。数日置いておくのがよいでしょう。もし、これで治らなかったら漢方薬も含めて根本的な治療を相談しましょうと伝えて、その日の診療を終えました。


 翌週、青年の表情は明るく変化していました。
 鍼治療以降、一回も痛みの発作がないといいます。おかげで眠れるようになりました、と彼は嬉しそうに言いました。

 肝と肺の不調が完全に治ったわけではありませんが、痛みに苦しむ状態からは脱することができました。ただし、まだ治癒したわけではないと説明し、ストレスの原因となるような職場環境や生活習慣を意識したり、うまくストレス発散できるような方法を模索するように提案しました。その上で、また同じような症状が出るようなことがあれば、そのときは根本的な治療を考えましょうと伝えると、青年は心底ほっとした表情で笑いました。


 医術は病を治しますが、根本を治すのは本人の意志。そんなことを思いながら、漢方医の放浪は続きます。

 拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、貴方の不調の原因が解き明かされ、物事が快方に向かいますように。



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