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専門カバ 【ショートショート】

 「専門の先生に紹介してください。」

 患者家族からそう言われたエフ博士は、その病を専門とする日本有数の「名医」だった。エフ博士は無言で処方箋を渡した。気を悪くしたのかもしれない。そのことを聞いて「何を言ってるんだ!エフ博士はこの上ない専門家だぞ!」と憤慨したのは、これまた高名な偉い先生だったという。

 この話を教えてくれたのは、友人医師のエヌ氏だった。現代医学の最先端を走るエヌ氏は、歪んだ笑みを浮かべながら言った。

「まったくバカな家族だよなぁ。あのエフ博士に診ていただけるなんて、幾らか包んだほうがいいくらいなのに、文句を言うなんて非常識だ。」

 包むという表現が自然に出てくるあたり、エヌ氏も後ろ暗い仕事をしているのだろう。たしかにエフ博士の研究は、門外漢の私の耳にも届くほど有名な成果を挙げている。私は素朴な疑問を呟いた。

「専門家に紹介って、どうして。」

 エヌ氏は訝しげな表情をして溜息をついた。

「…薬が効かなかったんだと。」

 薬というのは、エフ博士の開発した新薬のことだろう。その病の特効薬として、かつて新聞でも大きく取り上げられていた。

 科学技術によって便利で豊かな生活を手に入れた人類は、殆どすべての欲求を個人で叶えられるようになった。他者とコミュニケーションをとる文化は衰退し、人工知能による感情の翻訳を介さねば挨拶ひとつもできなくなった。
 当初は環境変化に伴う機能的進化と考えられていたが、コミュニケーション能力の低下は、ある種のウイルス感染による大脳機能の異常が原因だということが判明した。発症すると、人の話を聴くことができなくなる。

 その病は二峰性自己中心性思慮欠乏症(Bimodal and Anti-altruistic Chronic Athoughtfulia; BACAバカと命名され、人々から恐れられた。

 発症早期には著しいコミュニケーション困難に本人もひどく落ち込むが、ほどなく人工知能のサポートによって日常生活に支障はなくなる。ところがBACAバカは進行性で、晩期になると人工知能さえ理解不能な奇行を繰り返すようになるのだ。

 脳科学の権威であったエフ博士は、長年の研究によってBACA治療薬バカにつける薬を開発した。その効果は目覚ましく、人類は次第に他者と交流する文化を取り戻し、今の若い世代にはBACAバカを殆どみなくなった。



 エフ博士の病院に立ち寄ると、例の家族が門前で騒いでいた。

「息子はずっとおなかが痛いって言ってるのに!
 絶対治るとか言って変な薬を出して!」
 

 どうやらエフ博士は、自分には薬を使わなかったらしい。

 いかに高名な専門家でも自分のことは見え難い。

 診てもらう相手がヒポクラテス医学の権威だろうがヒポポタマス野生のカバだろうが、そんなことは関係なくて、患者にとっては話を聴いて治してくれる者が名医なのだ。


ー了ー



 拙作に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、貴方の日常に軽妙なショートショートのリズムが訪れますように。




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