医学は一問一答ではない話

「ほんと信じられないんだけどちょっと聞いてくれる？」

　そういって彼女はフスーと鼻息を荒げました。曰く、新しい職場の同僚が最悪で、尻拭いをさせられたりマウントを取られたり、精神的に参っていると言うのです。

　彼女の名はマリア（仮名）。

　縁あって研修医時代から数年間、同じ職場で働いて親密になった友人です。産休育休の最中に「このまま家の中に居たら発狂しちゃう！」と猛スピードで復職したバリキャリな彼女は、バランス感覚のとれた優秀な循環器内科医です。

　強靭なメンタルを持ち並大抵のことでは動じない彼女が精神的に追い詰められるというのは、いったい何が起きたというのでしょう。

　同僚の名はサタン（仮名）。

「サタンあいつマジ話通じないし、看護師さんからは『サタン先生の患者さんのことなんですけどー』って何故か私あたしに電話かかってくるし、意味わかんない治療されてたりオーダー忘ればっかあったり、そもそも同じ学年なのに何で私が尻拭いしなきゃいけないわけ？」

　止まらない、止まらない。ビール数杯から始まってレモンサワーを経て赤ワインに至り、マリアの饒舌さが研ぎ澄まされていくのがわかります。

「それでもね？このままじゃ患者さん死んじゃうって思って私も頑張ってみたわけ。それでサタンから文句言われるのってどーなのよ。ねぇ？あいつ変なコダワリがあって面倒臭いの。そのわりに病態分析アセスメントもオカシイし、治療戦略プランも2種類しかないのよ。やばくない？」

「2種類？」

「うん、2種類。そりゃね、急性心筋梗塞エム・アイが来たら心臓カテーテル検査カテするとか、呼吸不全に非侵襲的陽圧換気バイパップのせるとか、そういうのは別よ？それはやること決まってるから誰が診てもそうするでしょ。そうじゃなくて病棟の患者さんに何かあったときの対応がね、やばいの。」

「マジ？どうなるの？」

「それ聞いちゃう？彼、患者さんに熱が出たら『んー、抗生剤。』だし、尿量が少なかったら何でもかんでも『利尿剤。』だよ。サタンあいつ抗菌薬と利尿薬しか薬知らないんじゃねーかって思うけど、っていうかその前に熱のアセスメントしろよって感じじゃない？感染症疑って抗菌薬いくならそれはそれでいいんだけどさ、じゃあせめて培養検査提出しろよっていう。もうサタンの患者さん可哀想だし、私ぜっっったいアイツには診てもらいたくない。」

「やば。」

「ね、ヤバいでしょ！？しかも使う抗菌薬もCTRXセフトリかABPC/SBTスルバシリンかPIPC/TAZゾシンくらいだし、利尿薬なんかトルバプタンサムスカだけ。ワザ四つしか覚えられないのかよ。おまえポケモンかよ！って思わない？」

「ポケモンwww」

「指導医と私の二人でサタンに指摘してもさ、ぜんぜん言うこと聞かないの。」

「バッジが足りないんじゃない？」

「ポケモントレーナーじゃねぇよ！！いつ私がサタンGETしたんだよ。今すぐ逃がしたいよ。バイバイ、サタン！」

「でも彼、辞めないでしょ。」

「なんで急に正気に戻って真顔なんだよ。私が一人でスベッたみたいになってるけどノってあげたの私の方だからね？でも、まー….そうなんだよね。彼、大学が合ってるのか知らないけど、市中病院で働いたら危な過ぎるから医者がいっぱいいたほうがいいのかもしれない。頭が悪いわけじゃないんだよね。多分。経歴みると優等生だし、なんでそれであんなヤバい医者になっちゃうんだろ。」

「優等生…だから一問一答なんじゃない？」

　私は考察します。幼い頃から公文式に通い小中高と優秀な成績を修め、現役で一流大学医学部に合格し試験をひとつも落とさず医者になったサタン。学校教育、医学部教育、医師国家試験の全てが彼に高い評価を与え、その結果が今なのですから、最早これは戦後教育の敗北です。云うならばポンコツ医師を世に解き放った責任は、文部科学省と厚生労働省にあるということです。

　これまでの日本教育の基本は問題に対する模範解答があって、正答することこそ正義でした。ひとつの問いにひとつの答え。そうでなければ試験で公平に点数をつけることができません。科挙のような暗記に振り切っているわけではないけれど、基本的には知識の暗記を前提に与えられた問題に用意された模範解答を提示するのが「正解」です。

　サタンは罪人であると同時に被害者なのだと、私はマリアに伝えました。

　思えば現代日本において社会的地位が高かったり政治を動かしたりする人々の多くは高学歴です。彼らの信ずる「自分たちは一流だ」という勘違いが国家を滅ぼしていく様を、私たちは目撃しているのかもしれません。しかし、それならば私たちはどうすればいいのでしょうか。

　サタンを憎み滅ぼそうとしても、根本的な問題の解決にはならないことを私は憂い、マタイによる福音書の一節を思い出しました。

Take therefore no thought for the morrow: for the morrow shall take thought for the things of itself. Sufficient unto the day is the evil thereof.

【和訳】
明日を思い煩うこと勿れ。
明日のことは明日に任せよ。
一日の苦労は、その日一日に丁度十分なのだから。

『新約聖書』マタイによる福音書6：34
注：”shall”に能動的意思を、
”Sufficient”に過不足ない状態を読み取ります。

　そうして私はグラスを傾け、マリアとの晩餐を楽しみました。

　
　拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、美酒と平穏の社会を。

Amen.

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