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アートとマインドフルネス

先日都内某所で、友達たちと1日過ごした。
小さなワークショップである。


全体像

私からの案内

私の中で、アートとは、人の今ある感じを表現したもの。
私の中で、マインドフルネスとは、今、何を感じているのかに戻ってくること。
共通していることは、まだ言葉になっていないところに触れることができること。

そこには、穏やかなものも、そうでないものもある。
世界にも、こころにも穏やかでないものもある。

そのまま感じられる、そのまま現すことができる。
そのままわかちあえる。
それはとても安全だと思う。
アートとマインドフルネスはその可能性を持っていると思う。

案内文より

この日の時間割

午前「素材に戯れる」
午後「表現したいことを、表現してみる」

この時間の中では次の小さな実践が繰り返され、徐々に深まっていくことを意図してガイドを行った。

  • 地に足をつける

  • 安全を確認する

  • 感覚を開く

  • 今感じていることを、表現する

  • 分かち合う

この結果、とても素敵な1日が訪れたのだ。

実施記録

ウォーミングアップ

呼ばれたい名前、今の気持ち、今日起きて欲しいことを分かち合う。
そして、紙で彫刻をつくり、部屋に配置。それぞれプレゼンテーション。すでに美術館である。

紙で彫刻

次に、さまざまな鉛筆で筆圧を意識して、素材と戯れてもらった。そして、黒く塗ることができなかった私の経験を話し、どれだけ黒く塗ることができのか挑戦を誘った。
結果、わかったことは、戯れることを目的にしても、作品を制作する。それが人なのだろうということ。ただ塗ることを目的にしても、作品が出来上がっていくことを目の当たりにしていた。

さまざまな鉛筆で筆圧を意識する

グラウンディングとリソーシング

ウォーミングアップが終わったところで、グラウンディングとリソーシングのワークを実践した。
グラウンディングとは、地に足をつけると言い換えていいと思う。その手段としては身体に意識を向けること、五感を意識的に使うことの2つの方向性がある。
リソーシングとは、安全で安心できる感覚を思い出すことだ。その感覚は過去、現在、未来、どこから来ていてもいい。その感覚は身体の内側ではどこにあるのか、どのような感覚なのかを確認しておくことが、さまざまな経験の中で安全の感覚に戻れる場所を持つことにつながる。

参考書籍

グラウンディングとリソーシングの後、「見えている世界が立体的になった」という感想があった。私もようやくみんなの顔がしっかりとみることができるようになった気がした。ここから考えられることは、私たちは日常的に情報を少なくし、平面的に捉えることで情報の洪水から身を守っているのかもしれない。安全な環境で、少しずつ、感覚の扉を開き、自らの感覚に触れる準備をすることで、アートとマインドフルへの扉は開かれ始めるのではないかと考えている。

色と戯れる

その後、色鉛筆での制作、クレヨンでの制作を通して、集中力はさらに増していったように記憶している。
画材の硬さの違い、指先へのフィードバックの違い、など画材と戯れ、感想を分かち合うとで、だんだんと関係性も開いていったように思う。
まるで、はじめましての人たちの集まりではない空気感に思えた。

オイルパステルと戯れる

午後の記録

午後は参加者からの要望によって時間割を構成した

  • ボディスキャンとアート

  • 聞くこととアート

  • コミュニケーションのある共同制作

ボディスキャンとアートでは、15分ほどのショートに体の感覚をたどる実践を経て、画材と紙に向き合ってもらった。自然と内側から湧き上がったものを表現している様子が見受けられた。

ボディスキャンとアート

考えたものでもなく、準備していたものでもない、その時感じていることを、指先に任せて表現する。そして、ひとりひとり感じていることを言ってみる。
そうしたシンプルな実践が、積み重なることで、少しずつ感覚と言葉が積み重なっていくように思われた。

聞くこととアートでは、聞こえることに意識的になりながら安全な場所でしばらく時間を過ごし、その後、画材と紙に向き合ってもらった。

この段階までくると、マインドフルネスもアートも共に自然な行動であり、自らの中にある気づきを楽しんでいるかのように私には思えていた。

そして、コミュニケーションのある共同制作では結果的に3枚制作された。この日最も大きな画用紙であるF6スケッチブックを参加者で囲み、描き続けた。一枚おわることに感想を分かち合い、次の一枚への準備を行い次に進む。

最後の一枚が出来上がった時には、このグループが一つになっているように私には感じられた。
そしてエンディングに向かうことがわかり、別れがたい感覚がそこにあったように記憶している。

アートとマインドフルネスまとめ

アートとマインドフルネスは違うものである。しかし、とても近いところにあるものだと思う。
マインドフルネスの実践が豊富でもアートの実践には少ない人もいる。アートの実践が豊富でもマインドフルネスの実践は少ない人もいる。アートマインドフルネスも実践が少ない人もいる。この日はいずれの状態の参加者もいた。
マインドフルネスの実践が豊富な人からは午前の戯れての時間から「アートもマインドフルネスも経験としては近い」と表現されていた。

アートとマインドフルネスの機能

アートの実践も、マインドフルネスの実践も、注意集中するという機能的側面についてはとても近いものだと考えている。
但し、アートでは、感情や思考は観察対象としていない。しかし、描画している間に、考えや感情を感じているのだろうと思う。または、感情や思考を表現することによって気づいているのかもしれない。結果的には感情や思考も観察していると推測できる。
つまり、マインドフルネスの実践では、注意集中、オープンモニタリング、脱構築、構築という4つの形式があるとする場合、今回のアートとマインドフルネスでは、主に注意集中の側面を実践し、リソーシングでは、構築の実践、そして、感想の分かち合いを通して所属している実感を得ていたのかと思われる。
また、アートの機能としては、感覚を身体的、視覚的に表現し分かち合うことによって、相互に関係性を育てる可能性があるように思われた。
言語を介さない直接的な表現と言語による表現の組み合わせは改めて力強いものだと確認している。

この日の実践はとても豊かな時間であったし、何かの問題を解くわけでもなく、ただ今ある感覚を表現し分かち合う、私が最もしたかった実践ができた時間となった。

参加してくれたみなさまに、感謝しかない。


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