忘れえぬ街シュツットガルト(中編) 「雌馬の庭」から世界最先端の自動車が生まれたわけ

「この街の人たちはシュツットガルトに生まれたことをとても誇りに思っています」と、市の文化局広報担当(当時)のヴェルナー・シュテーフェレ氏は笑顔でインタビューに答えてくれました。

「なにしろ、ほとんど意味の無かった小さな町が世界に冠たる自動車産業を生み出したのですから」

シュテーフェレ氏によれば、シュツットガルトで自動車が生まれた理由はふたつあるとのこと。ひとつは、厳しい土地柄です。これといった資源もなく冬は長く雪に閉ざされたこの地域では、木材などを使った手工業が発展していった。「祈れ、仕事をしろ」という当時の厳格なピューリタニズムの影響もあり、人々は室内で黙々と木を削り、細かな歯車の仕組みを考案していったのです。

こうして養われた職人気質が長い歳月を経て自動車を生み出す原動力となったそうです。自動車だけではありません。うっそうとした針葉樹が茂るシュヴァルツヴァルト(黒い森)地域からは、世界中で知られている木工細工の「カッコウ時計」が生まれました。

「当時、一家の長男は家業であった農業を継ぐことが出来ましたが、次男、三男は自立するために時計工房を造って生計を立てたのです」

そう話してくれたのは今もフルトヴァンゲンにある時計博物館の館長(当時)、エドアルト・ザルツ氏。しかしやがて英国で始まった産業革命の影響で生産技術に飛躍的な変革が起き、手工業は衰退の一途を辿りました。そこで生き残るために考えだされたのが家型の時計の小窓からカッコウ人形飛び出して時を告げる仕掛けだったというわけです。

これはかなり人気を博したようです。ちなみに日本では鳩時計と呼ばれました。カッコウの別名が閑古鳥であるため縁起が悪いと考えられたからです。細密な構造と組み立て技術で正確な時を刻むカッコウ時計の遺伝子は、やがて自動車の正確なピストンのストロークへと受け継がれていったのでしょう。

かつて、雪解けの季節になるとこの地方の人々はカッコウ時計を背負って行商にでたという伝説があります。博物館にはそんな姿の人形が展示されていました。これは面白いとザルツ館長に詳細の説明を求めたところ、単なる作り話だと一笑に付されてしまいました。

「昔話というのは往々にして作り話が多いものです。時計を背負った行商人もそのひとつ。しかしそれを信じるのも歴史の楽しみ方のひとつでしょう」

伝説は残念ながら幻でしたが、モノづくりに対する情熱と伝統が本物であることは現地を訪れてよく分かりました。フルトヴァンゲンの時計博物館は現在も観光スポットとして広く知られていて、一番人気のお土産品といえば昔も今もカッコウ時計なのです。

この地域で自動車が生まれたもうひとつの理由は、ふたつの相反する気質がみごとに融合したことにある、とシュテーフェレ氏はみごとな顎鬚を撫ぜながら話を続けました。

シュツットガルトが州都である現在のバーデン・ヴュルテンベルク州は、元々、バーデン大公国とヴュルデンベルク王国のふたつに分れていました。そしてそれらの国の住民気質は火と水ぐらいに違っていたのです。

「フランス国境に近いバーデン大公国に住んでいた人々は陽気でラテン的な気質でした。一方、ヴュルテンベルク王国の人々はピューリタニズムの土地柄のため勤勉で頑固だったのです」

それが第二次大戦後、連合国によって合併されてひとつの州になったのです。通常ならいがみ合ってうまくいかないはずですが、なぜか両国の人々は違和感無く生活を送っています。

「お互いの違いを認め合い、お互いの良さを認識できたことがよかったのでしょう。それでもやはり奇跡的な出来事と言ったほうがいいかもしれません」

シュテーフェレ氏は笑顔でそう話してくれました。

ちなみに名車メルセデス・ベンツの生みの親であるカール・ベンツとゴットリープ・ダイムラーはシュツットガルトを挟んで比較的近い場所で生まれ育ったとされますが、ベンツは旧バーデン大公国の生まれであり、ダイムラーは旧ヴュルテンベルグ王国出身でした。
違いはふたりの自動車に対する取り組みにはっきりと現れました。気持ちよく楽しく運転できる高級車づくりを目指したベンツ。倹約家でとにかく小型で効率のよいエンジン作りに励んだ頑固一徹のダイムラー。ドイツを代表する高級車メルセデス・ベンツには、気質は違うが最上の快適さと最高の技術を求めたこの二人の思想がみごとに融合されているのです。

そう考えると思わずメルセデスのハンドルを持つ私の手も誇らしげに軽くなりました。

シュツットガルトを本拠地としているのは自動車メーカーだけではありません。電装部品などで知られるボッシュ社や自動車の座席を製造しているレカロ社など自動車部品メーカーも「雌馬の庭」の立派な継承者です。

「シュツットガルトはドイツのエンジンだ」

ヴォルフガング・シュスター市長(当時)はいつも胸を張ってこう言っていました。ダイムラー・クライスラー社を中心に特徴ある機械系中小企業がその強みを発揮し雇用を創出しているからです。失業率は5.5パーセント(当時)とドイツで一番低くかった。

仕事の奪い合いがないから他の都市でみられるような地元と外国人労働者との軋轢も少なかったのです。この街の企業はまた文化のパトロンでもあります。シュツットガルトには思わず足を止めて見上げてしまうような宮殿建築の美術館や音楽施設などが点在しています。

私のお気に入りはオペラ、バレエ、演劇をすべて上演する劇場としては世界最大級の州立歌劇場。とりわけシュツットガルト・バレエ団の活躍は世界的に知られています。
「コンサートチケットの売上では首都ベルリンに次いで2位がシュツットガルトです」、と語るシュテーフェレ氏の言葉には文化都市としての誇りさえ感じられました。

「雌馬の庭」から世界最先端の自動車が生まれた街、シュツットガルト。豊かな大自然に包まれ、ハイテク全盛期の今でも文化・伝統の輝きを失っていません。4月になると道路沿いに植えられたりんごの花が一斉に咲きほころび、人々は春の訪れを祝います。(続く)

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