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第13話  「学校やめちゃうぞ」と心配された野球少年の選択

2016〜2019年にかけて、高校の教室でもがく教員の姿をcakesで連載していました。cakes終了につき、noteに転載するお誘いを受けましたので、定期的に再アップしていきます。よろしければご覧ください。 年齢や年代などは当時のままですので、ご了承くださいませ。


ある年の春。運動センス抜群の1年生が野球部に入ってきた。その実力は3年生みんなが認めるほど。入部早々の練習試合に出ると大活躍し、5月には上級生を押しのけ、事実上レギュラーとなった。それでも彼は、決して偉ぶらず、謙虚だった。

だが、ふだんの学校生活では一転、いかにも「高校デビュー」なチャラい見た目だった。さっそく体育の先生に目をつけられ、特定の教科の先生には露骨に反発することもあった。

「ありゃ、学校やめちゃうぞ」と教員室で話題になることもしばしば。部活ではがむしゃらで、謙虚なのに……。

1学期末試験をひかえた頃、本人には「目つけられてるぞ〜!」と注意した。「授業集中しないと、マジで留年するよ? うちの学校、成績は本当に厳格だから。赤点取りつづけると良いことないし、部活も出られなくなる」。

本人はうなだれつつも、あっけらかんとしていた。「うーん、多分2年にはなれないすね。すでにあきらめてるんで……」。びっくりした。まだ1学期も終わってないのに。「何言ってんの!? 正気? そんなに先生たちとウマが合わないわけ?」

「授業がちんぷんかんぷんで、化学なんて、『アラビア語』を聞いてる感じなんすよ!」 眉を八の字にし、とまどいの表情を見せてそう言った。わざわざアラビア語に例える、背伸びしたセンスがおかしかった。

心配は深かったが、まだ1学期ということもあり、遅刻せず、授業サボらず、赤点取らず、を一方的に約束するにとどめた。


涙の理由わけ


3年に混じって、レギュラーとしてむかえた夏大会。彼の活躍もあって勝ち進んだが、やがては強豪校に敗れた。思い出を胸に引退する3年とともに、1年の彼もまた、文字どおり泣きじゃくった。

彼の野球センスが活きるくらいに3年もタレントぞろいだったから、感慨ひとしおだったのかもしれない。

そして1・2年の新チームでむかえた、8月末の秋大会。今度は相手校との実力差が大きく、初戦で敗退してしまった。2年が敗因を分析しながら帰りの準備をする中、1年の彼は目に涙を浮かべていた。

秋大会には、成立して間もないチームで出るため、負けたとしてもふつうは泣かない。それだけに意外だった。あとから考えれば、その涙には大きな理由があった。

「俺、学校やめるつもりです。それもあって、この大会を最後に、部活やめたいと思ってます」

大会終了からまもなくして始まった2学期、彼はこう伝えてきた。すでに秋大会に臨むときには退部の意思を固めていたからこそ、あの涙につながったのだった。

絶対に落ちると思ったら、奇跡的に、、、、入学できてしまった。案の定、授業についていけない。今はむしろ外国で英語を学びたいし、将来は服(ファッション)にかかわる仕事をしたいから、学校をやめてそちらの道に進むつもりだ。

彼は、ぼそぼそとそのように話した。留年ではなく退学とは……。驚いたが、言いたいことはわかった。だからといって、はいそうですか、と背中を押すわけにはいかない。絶対に。

行きたい道があるなら、応援するのが筋だ。学校にしがみつくだけがすべてじゃない! そんな風に、いさぎよく、、、、、生徒の背中を押す高校教師は無責任だと思う。

「学歴で人の本当の価値は測れない」などと、大学まで出た教師がふわりと言ってのけることは、チープな傲慢そのものじゃないか。高校中退者の社会生活がどれほどハードなものとなりえるか……。僕の姉がそうだった。

ここは一つ、あきらめの悪い男っぷりを見せつけるべきだと思った。


外堀から埋める少年


まずは粘りづよく彼を慰留した。中退した場合のデメリットも伝えたし、彼の話す夢は高卒後にチャレンジしても決して遅くはないとも言った。

それでも、頑固者の意思は揺らがなかった。父を説き伏せ、フィリピンの語学学校に通いながら、父の知人が現地で経営する会社を手伝うとの道を模索しつつもあるという。

外堀から埋めるとは! なかなかやる。野球で鍛えた闘い方は、だてじゃない。でもそうした道が適切なのか、僕には納得いかなかった。親を味方につけた彼は、本当に3月で学校を去るかもしれない。これで担任の先生があと押ししたら、話は決まりに等しい。

イヤだった。

ここまで来たら、もう強情だ。相手は義務教育を終えた高校生、しかも僕は単なる部活顧問なのだし、感情的になる必要はないのだけれど、どうもむずむずした。一か八かで本音をぶつけておこう。

「中退のデメリットとか、フィリピンやらアパレルやらの道が本当に確実か疑問だってことも伝えた。あとはよーく考えろ。お前を煙たがる先生は多い!  けど、部活でつるんできた俺としては、お前のこと好きだよ。誠実で謙虚なとこ謙虚だしね。だから学校から去られると寂しいわけ。超、超、超個人的に、絶対やめてほしくないっ。以上」

あとは野となれ山となれ。部活は休部扱いとして、学校をやめるかは、彼の中で引き続きよく考えることとなった。

そして1年の終わり、3月。結局、彼は自主退学した。僕の完敗だった。それでも、彼なりに真剣に次のプランを考え続けていたことはよくわかったし、もはや応援するしかない。僕はそんな心境になっていた。


あちこちふらりと模索し続ける人


それでも、やはり退学後は右往左往のハラハラが続いた。

やめてすぐフィリピンに向かったはいいが、現地での生活に飽き、夏には日本へ戻ってきた(悪の道に染まらなかったことが救いだ!)。現地で英語を身につける目的はどこに……? ちんぷんかんぷんの化学という「アラビア語」はさておいても、英語は大事だろっ!

とはいえ、律儀にも現地のバナナチップスをおみやげに学校を訪ねて来た彼は、どこかのほほんとしていた。次のプランを聞くと、そのとき彼が着ていた、だぼっとした服をプロデュースしている名古屋のショップで修行したいという。

だが後日、名古屋まで足を運んだけれど、けんもほろろに断られた。いくらなんでも若すぎると。そりゃそうだろう。

次のプランは? 渋谷にある服屋を気に入って、週数回のペースで通っている。ダメもとで働かせてくれないか、頼んでみたい。

若すぎて、きっとまたダメなんじゃないか……。心中ではそう思ったが、乗りかかった舟、引き続き「元」生徒のこれからを見守る覚悟くらいは持たなきゃいけないなと思った。

この前、久しぶりに彼からLINEがあった。渋谷のその服屋でついに働くことになったのだという。店員は数人の小さなショップ。

ヤツの行動力にはつねづね感服してきたけれど、実現するとは。でも世には怪しい企業があふれるから、心配は尽きない。ただでさえアパレル業界の競争は激しいし、高校中退のアルバイトはこき使われるだろう。「元」顧問らしく、いろいろ注意事項をLINEで返した。

すると……。「バイトじゃなくて正社員です。一丁前に保険証ももらいましたww 先生も今度、服買いに来てくださいよ!」

目を疑った。正社員!? いつもながら、(元)高校生は想定の上を行くなぁ。ただ、僕の着るような服はたぶん売ってないんじゃ……。だぼだぼズボンていう年じゃないし、ラッパーやギャング気どりでもないしな。

それでも渋谷のお店まで足を運ぶかどうか。真剣に悩んでいる。それでいて顔は自然とほころんでいるから、おかしい。この世は捨てたもんじゃないかもな、との思いも刹那せつなよぎった。

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