第3話 個人面談と黒板の落書き
僕が高校2年のとき、夏休みをまる1ヶ月使って、東京〜東北間をマウンテンバイクで往復したクラスメートがいた。「ずっとサドルにケツを付けっぱなしだから、サルみたく真っ赤になって痛かった!」 2学期初めの彼は、すがすがしい笑顔でそう言った。
一人で旅をするってのは何とも心細いし、気のおけない仲間と和気あいあい行くのでは味わえない、大いなる不安と冒険心が入りまじる。それを16、7歳で経験するのって、単純に、貴重だと思う。
旅をしてほしいな、旅を。
世界史の授業で
6月、高校2年の世界史の授業で、中世ヨーロッパの手工業者のくらしを教えた。ちょうど1学期後半の授業だった。
靴でもパンでも、かばんでも。各都市では業種ごとに、手工業者が組合(ツンフト)をつくって、市政を牛耳る商人たちと闘争をくり広げる……。そう、「ツンフト闘争」。妙に心地いいこの言葉のひびき、なつかしいとお思いの方もいるのでは?(いないかな)
むしろ学んでいて興味深いのは、中世の手工業者界わいのきびしい身分制のほうかもしれない。そこでは、親方を絶対的なトップに、親方候補生たる職人、そして下っぱの徒弟がつづく。
授業では職人にスポットをあてた。「なんで、職人は英語でjourneymanって言うんだと思う?」
その昔、職人は放浪の旅人だった。都市から都市、国から国をまたいで、師事する親方をかえて修行するのが常。親方の指導はきびしい。だって親方としては、将来の商売がたきを育てているようなものだし。
それでも、「これだけのものを造られちゃ仕方ねぇ、こいつの実力は認めざるをえない」っていうくらいの作品を仕上げた職人は、晴れて親方になれる。
授業ではこうした話をして、僕自身の初・一人旅の思い出をつづけた。最初にふれた、マウンテンバイクの強者高校生とは正反対の、地味でビターな思い出。
成功談より失敗談を
僕の最初の一人旅も高2のときだった。1990年代後半、ボストンに住んでいた親類を訪問する旅。飛行機に乗るのは初めてだったし、着くまでに乗り換えもあった。英語はそこそこ勉強した程度で、超不安だった。
親も海外旅行経験なしだったから、出征する兵士を見送るような不安感を、家の玄関口でただよわせた。しかも、貴重品携帯用の腹巻きまでつけられた。今じゃ恥ずかしくて絶対しないけど、当時の僕は「海外ってそれくらいの装備が必要なのか!」と思ってた。所持金は分けて、およそ500ドルを腹巻きに、300ドルを靴下にしのばせた。
緊張感は極度。離陸してしばらくすると、片耳がキーーーンと痛くなり聞こえなくなった。そして眼をゴシゴシやったらコンタクトがずれ、目の裏側に回ってしまい外に落ちてこない。踏んだり蹴ったり!
「はじめてのおつかい」さながらに、気をふるい立たせた。頼れる人は他にいなかったから。ボストンに着いて親類の顔を見つけたときは、ホッとしてさすがに泣けてきた。
こうした顛末を語ると、生徒は目を輝かせる。どうやら人は、成功談より失敗談や後悔談のほうに食いつくらしい。自分もそろそろ一人旅かな?と頭にちらついた子もいたかもしれない。
でも、ちらついたところで、高校生にかぎらず、多くの人は実行しない。そりゃそうだ、怖いもの。面倒くさいもの。経済的にめぐまれた生徒だとすれば、保護者の計画する旅行に慣れきってもいる。
ある生徒との個人面談
そうだ、こいつにこの話、してみるか。そう思ったのは、担任を持っていた高1クラスの生徒と個人面談をしてるときだった。
教師の前ではぶすっと寡黙ながら、いたずら大好きで、授業中のおふざけも絶えない、「教師にけむたがられる」可能性大の生徒だった。べつに陰湿じゃないし、元気がなさすぎるよりありすぎるほうがよいと思ったから、大目にみていた。
とはいえ、この生徒が一体何を考えてるのかよくわからなくて、とまどってたのも事実。だから個人面談で、ちょっとくらいは内面を知りたかった。
すると、思った以上に自分のことを語ってくれた。Jリーグのサッカーチームが大好きなこと。応援には毎週通ってること。試験前も行っちゃってること。親御さんもわが子のサッカー熱に愛想を尽かしてること。
とにかく元気があり余ってるようだった。そこで、そいつにjourneymanの話と高2時代の僕の話をし、以下のように提案してみた。
「じゃ、夏休み、一人で旅行してみるのはどう? 自分がどこまでやれるか、試してみれば? もし行くってなったら必ずメールとかで事前に報告しろよ。餞別くらいあげるから」
これは大げさじゃないのだが、その子の目がぱーっと開かれたような気がした。お宝を前にしたルフィかってくらいに。あるいは風にさそわれるスナフキンってほうが近かったかもしれない。
教室に戻って電気をつけてみたら……
その面談を終え、雑務を片づけた夜、用を思い出して自分の担任クラスに足をはこんだ。教室に着いて電気をつけてみると……。
前の黒板一面に、ダイナミックな絵がチョークで描かれていた。文字どおり一面に! どことなく不気味だけど、気力みなぎるチェ・ゲバラとガイ・フォークス。(※後者はイギリス史上の有名人)
「犯人」はあの子しかいません。面談のとき、サッカーチームを応援するときにシンボルとして使われるこの2人について話してたから。面談後、こっそり描いたのだろう。
彼のあり余るエネルギーが、黒板いっぱいに発散されたらしい。ウマいものだなぁ。隠れた絵心に心を奪われつつ、あしたの授業のこともあるから、黒板の脇にこう書きのこした。
「 描いた者が自分で消すこと! でも、うまい。キライじゃないぞ」
*
夏休み、くそ暑い8月初め。そいつは「出発」した。「おはようございます。今から18きっぷで大阪まで行ってきます! 鈍行だから、これくらいの時間に出ないと試合に間に合いません」。
起床したら、朝5時台にメールが入ってた。餞別なんかに目もくれない、「事後」報告。でも保護者は知ってるようだし、よしとしよう。
高校生って、すげーな。
クーラーの真下で風にあたってるのに、なんだか汗をかいてきた。そいつのエネルギーが、自分にうつってるようだった。
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