見出し画像

第5話 教員室の紳士なる異才

2016〜2019年にかけて、高校の教室でもがく教員の姿をcakesで連載していました。cakes終了につき、noteに転載するお誘いを受けましたので、定期的に再アップしていきます。よろしければご覧ください! 年齢や年代などは当時のままですので、ご了承くださいませ。

先輩をうやまえ。

どの組織でも、日本ではこれが当たり前とされている。たかだか数年、数十年先に生まれただけの人を、なぜ無条件にうやまう必要があるのだろう。そんな問いは脇に追いやられがちだ。心から尊敬できる先輩なんて、長い人生で両手のゆびに収まるかどうかかもしれないのに。

学校だろうがどんな会社だろうが、模範的な生き方をしてる人の方がめずらしい。「この人の生き方、いいな」と尊敬できる人は、そう簡単に見つからないものだ。

それだけに、勤務している高校で心から愛すべき大先輩にめぐり逢えたのは、とっても幸運だった。

職員室で異彩を放つU先生は、相棒たるカピパラのぬいぐるみをいつも胸ポケットからのぞかせている。彼は僕と同じ地歴公民科の先生で、年は30以上離れている。

昨年4月の入学式の日。赴任して早々に担任となった僕が新入生とともに体育館から教室に向かう途中、U先生はお手製横断幕を一人で掲げて待っていた。〈ご入学、心からお祝いしまーす!〉 そして相棒のカピパラを胸に、歩きゆく新入生と僕に手をぶるんぶるん振りながら、連呼してくれた。「おめでとーーーうっ!」

「誰だ、あれ!?」 新入生は当然ながらその反応。笑顔でうなった僕は、生徒に言った。「いやぁ、みんなも僕も、おたがい良い学校に入ったな〜!」 僕はうれしくなった。この学校では、あれくらいやってもいいんだ!

かつてブラックな一般企業で働いてたときも、同僚にだけは恵まれた。先輩風を吹かせて意味のない説教をする人はいなかった。この学校でもまた、面白い先輩にめぐり逢えるかも。春風のなか、心がおどった。


お茶目だけど、妥協しないU先生


U先生は茶目っ気あふれる。4月最初の授業がはじまると、先生は「イェーイ!」と両手のこぶしを突き上げたオリジナル・ポーズで登場する。そしてア然とする生徒を前に、相棒とともに自己紹介。その相棒は毎度の授業に連れてこられる。ときにはその兄弟、縁戚のカピパラも一緒に。

ゆかいな先生ではあるけれど、授業は容赦なし。教えつづけて30余年の授業のレベルはうんと高く、脱落してフテ寝する生徒もちら、ほら。政治、経済、社会、歴史、科学、そして文化や思想が縦横無尽に編みこまれた授業は、そこいらの大学の先生の講義よりはるかにハイレベルのはずだ。

そんなU先生の授業を見学したあと、「授業中寝てる生徒への対処って、どうしてますか?」と質問すると、彼はこう答えた。

「そのまま、そのまま。何日かすると、また真剣にこっちを向いてくれてるから。面白いね。みんなそれぞれペースがあるんだね。よくさ、『うちの生徒は勉強しない。出来がわるい』って簡単に言う先生いるじゃない? あれは違うよ、絶対ちがう。教える側がおごっちゃいけないよ。プン、プン!」

僕はちょっとうるっときた。とあるベテランのセンセイに、何度も何度もキツいお叱りをいただいた時期だったから。「キミの担任のクラスだけ、私の授業がうまくいかない。どうも生徒の集中力がなぁ……」。自分の授業への自信が大きい先生ほど、うまくいかない授業の責任を生徒に押しつけやすい。

U先生から「間接的に」励まされたおかげで、僕は元気が出た。お叱りいただいたベテランの先生とはちがった教師になろう。そう思った。

U先生の授業の人気は、在校生はもちろん卒業生のあいだでも高い。一生懸命復習してもよく理解しきれず、もやもやを抱えながら卒業したけど、大学に入ってからノートを見返すと、やっと本当の「すごみ」がわかった。彼らはそう言う。

そうした授業は、やろうと思ってできるものじゃない。僕のようなペーペーが猿まねしても、やけどするだけ。でもいつかは先生のように、卒業後にたびたび思い出してもらえるような授業がしたいなって思う。

彼の授業は一種の「芸(アート)」。演劇の素養にもあふれる先生は、まさに一枚目の「役者」であって、教壇は「舞台」なのだ。



U先生が職員会議で放った一言


U先生は自由を愛し、弱き者へそっと寄りそう「リベラル(自由主義者)」。今どき「リベラル」なんて流行らないかもしれないけど、筋金入りだ。

もちろん、「本物」は自分の主義・主張などおくびにも出さないし、ただ態度でそれを示すのみ。

空き時間の先生は、いすに座りつづけての仕事が持病の腰痛にひびくからか、冗談を言って周囲を笑わせながらストレッチしていることが多い。

一転、職員会議でのキレはすさまじい。学校経営や将来の方針におかしな点があれば、理路整然と相手をえらばず異議をとなえる。僕が学校に勤める前の話だが、先生は当時の管理職にこう言い放ったという。「恥を知りなさいっ!」

自動車通勤する先生が多い中、U先生は毎日、最寄り駅から学校までの20分を足早に歩く。僕もその背中を追いかけ、バスは使わずなるべく歩く。

そんな彼に、僕はまたも「間接的に」助けられることになった。


生々しいイカの絵のTシャツを着て行くと…


去年の1学期終わりころの僕は、部活指導などさまざまな校務がふりかかり疲れはてていた。そこで、きちっと正装して新任ぽさをアピールしなきゃいけない「お約束」の数ヶ月が過ぎてからは、ラフな格好へ「衣がえ」しようと決めた。仕事が多すぎるぞという抗議の意味もこめて。

もちろん、スーツしか召さないベテラン勢からはしばしば怒られた。でも、日ごろ自由を生徒に説きながら、自らの価値観を他者に無条件に強いるのはおかしいと僕は思った。生徒の自由のためには、教師もまた自由を抱きしめなきゃいけないんじゃ?(青くさい強がりだけど)

U先生はというと、間接的に背中を押してくれた(と僕は思う)。小言めいたものは一切なかったし、むしろ僕が着て行くTシャツのプリント柄を、毎日「いじって」くれた。

たとえば、生々しいイカの絵がでっかくプリントされたシャツを着た日があった。先生は、「うわぁ、ヌラヌラ〜♪」と手をひらひらさせるイカ踊りで迎えてくれた。昼には「それ見てると食欲落ちるぅ〜♪」と、またひらひら。

別のある日、落ちこんでた僕は、水平線の向こうに沈む太陽がプリントされたシャツを着た。

先生は、「あ、太陽がのぼってるぅ〜♪」と言い、パァッと両手を大きく広げ、天をあおいで見せた。僕とは絵を正反対に解釈したのだ。そんな彼につられ、僕の心にはうっすら光がさすのだった。

そしてある日、Paradise Not Lost(訳:楽園は失われちゃいない)と記されたシャツを見た先生は、「いいなぁ〜♪ そのとおりだ! どこで売っているの?」と僕に尋ねた。

この調子で、U先生は連日僕のシャツを愛でてくれた。新任にとって、職員室に器のでっかい先生がいてくれることがどれだけ心強いか、しみじみ思う。

そんなU先生と一緒に働けるのも、今年度が最後。彼は来年の3月で定年となる。

彼の生きざまを、とことん見つめたい。すべては盗めないにしても、彼一流の「わざ」を継承する努力はしなきゃいけない。

いつか、学校までの道をすたすた歩く足早の背中に、追いつけるときが来るだろうか。360度パノラマのような授業を、うまく引き継げる日が来るだろうか……。

決めた。もう夏休みだし、今日くらいは前向きすぎるメッセージの入ったシャツを着て行こう。

Never Say Never!(絶対ムリなんて絶対言うなかれ)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?