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第17話  想い出という下克上

前回まで、2016~2019年にcakesで連載していた記事をアップしてきました。このあとは「新作」(?)となります。不定期アップとなりますが、よろしければご覧ください。
第17話は、かつて高2の学年末に、『学年だより』へ寄せた小文です。


ぼくには、ゆずりがたい持論がある。すなわち、高校生活をいろどる晴れ舞台での経験の数々は、十年後、二十年後、想い出の玉座にはいないということだ。

全員リレーで優勝した、文化祭で汗を散らして精一杯踊った、スポットライトを浴びる中で和声を究めてグランプリを取った。どれも間違いなく、かけがえのない経験である。けれど、忘却という記憶の風化には耐えきれないとぼくは思う。

何を偉そうに! では将来、あなたの想い出の玉座にあるのは、何だというのか? それは、今あなたの頭の片隅で、ハレの日の想い出にそっと寄りそう召使いのような、ささやかでちっぽけな想い出である。召使いは、あたかも下克上のように、将来、追憶の中央に鎮座しているだろう。

*  *  *

「ねぇ、ちょっと話があるんだけど」『どうした?』「今日の6限どうしても早退したい」『具合でも悪い?』「いや全然」『話が読めないんだけど?』「〈推し〉のライブがあって、グッズが売り切れる前に並ばなきゃだめなの。ね、お願い!」--生徒の申し出に、担任はただ沈黙した。

よくよく考えた末、ぼくは生徒の早退を許した。5限の授業で、クラスメートにこの一件を話した。「えこひいきじゃないよ。人生を左右する一大事があるんだとすれば、みんなにも早退する権利を1回ずつ付与するもん」

その生徒に早退を相談されたとき、脳裏にあったのは、世紀末にぼくが通った高校での一幕だった。高2だったその年、赤髪のミュージシャン、HIDEが死んだ。1学期、5限古典の授業の冒頭、バンドマンの級友がひとり黙って起立した。

「先生、授業抜けたいです」『具合でも悪いのか?』「いや、〈赤い髪の毛をした宇宙人〉のお通夜に行きたいんです......」。目を赤く腫らした彼を見つめ、古典の先生は少し間を置いて、言った。「行ってこい。事故には気をつけろ」

あれからもう何年も経った。ぼくの想い出の玉座にあるのは、教室での些細な一幕と、教壇の先生の涙目だったりする。そして今、ぼくの目の前には、〈推し〉のゆえんを力説するべくスライドまで用意した、一人の生徒がいる。

*  *  *

いっぱしの大人になったあなたは、高校生活のどんな日日を想い出すのだろう。

「大人の味だよ」。歴史の質問のついでに、そう言って、やんちゃ者のあなたはカントリーマアム抹茶ガトーショコラを差し入れてくれた。ただ、嬉しかった。そんなあなたはすぐテスト勉強に飽き、すぐテスト作りに飽きたぼくと、誰もいないだだっ広いグラウンドでキャッチボールを黙って続けた。そのときの、夕焼け。

「先生のテスト、最後だから」。そう言って、歴史の学年末テストに本腰を入れたあなたは、来年度は理系クラスへ進む。長く接していれば、あなたもぼくも、お互いの涙のシーンを容易に思い出せる。そんなあなたは、家で保護者とケンカしたとき、「林先生だったらそんなこと言わない」とタンカを切った。不平たっぷりの、それでいて優しさが抜けきらない横顔。

「ナイスシュート」。土曜3限のぼくのクラスは、グラウンドで体育だった。コンビニ帰りの担任に、律儀に手を振る生徒たち。日ごろとっても寡黙なあなたはゴールキーパーで、友のゴールを控えめに喜び、手を叩いた。太陽の下きらきら光る、あなたのゼッケン。

ひとつの持論は、今、確信に転じる。あなたが、いや、ぼくが十年後、二十年後、ぎゅっと心の中で抱きしめるのは、こうした小さな日常のひとコマである。

あなたと斬り結ぶ時間は、あと1年きっかり。コマ送りのように丁寧に、あなたといっしょに、日日を未来へ送ってゆこうと思う。

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