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恋しい日々

カネコアヤノさんの「恋しい日々」という曲が青葉ちゃんぽいよと、大学生のときの友人が教えてくれた。

すぐさま聴いてみたら、私っぽいと言ってくれたことにときめくようなすてきな雰囲気の楽曲だった。彼女がその曲を私に教えてくれたのもうれしかったから、それからよく聴いている。

この曲のタイトルもすごくすきだ。恋しい日々。もう返ってこない日々にまみれて生きている私は、現在進行形の今日も、いつかは懐かしく思い出す日がくることを知っている。

noteというものを知って、ここで文章を書くようになってから数年経った。

しかしこの投稿以降、今月末から夏に入るまでは更新が完全にとまってしまうと思います。わりとよいペースで日々を綴り続けてきたからすこし残念だけど、今しかできないことがあるので、そちらに集中してきます。

だから今も昔も関係なく、今日は私の恋しい日々についてあれこれ書いてみようと思う。


きれいな肺で死んでいってね

去年のちょうどこのくらいの季節、教育実習に行く直前のこと、私はSaucy Dogのアルバムをいくつか聴きながら、大学と実家とを車で頻繁に行き来していた。

コロナ禍が明け、のこりわずか1年となった大学生活を前にし、新たな人間関係がどこへでも発展していく可能性を帯び始めていて、そのときは楽しくて楽しくて仕方がなかった。

この1週間くらい、大学の同期だったマッシュボブの彼のことをぼんやり考えながら過ごしている。Saucy Dogのアルバムを聴いていたら、うっかり彼を思い出してしまったのだ。去年のこの時期には彼と結構なかよしで、ちょうどSaucy Dogを聴いていたから思い出してしまったのだ。ただそれだけの理由。

私の脳はものすごく単純なつくりなのだ。

過去のnoteでも書いたように、彼とはいろいろなことがあった。書いていないことも含めたらもっといろいろあったのだろう。

しかしそれら全部が過ぎ去り、今何よりも強く思うのは、最後にもう1度だけでも彼と話すことができたらよかったのに、ということ。

彼が私をどういうふうに捉えているのか、今となっては分からないから、話して私がすっきりしたいだけだろうし、いまさら何かがどうにかなるというわけではない。

だから大学生だったときも、仕方ないって自分に言い聞かせながら沈黙を選んだ。知らんぷりをするわけではなくて、必要最低限の範囲でおしゃべりしたり笑ったりした。

教職の授業を一緒に取っていたから、夏やすみの集中講義のときに、彼がいつものように笑いながら、自動車免許をオートマで取ったか、はたまたミッションで取ったかという至極どうでもいいような会話に参戦してくれたり、他の同期たちも交えて一緒に学食でごはんを食べたりしてくれて、私はちょっぴり救われた。

ただ、いろいろなことが仕方なかったとしても、私は彼のことがわりと好きだったし、幾度となく勝手に助けてもらっていたから、どうかしあわせでありますようにと思う。

本当はその一言だけでも伝えられたらよかったんだけど、もう私から話しかけることは二度とないだろうから、せめてそう願う。

たとえ知られなくても、勝手に願っている。

そして表向きは隠していたらしいけど、聞くところによると、彼はどうやら煙草を吸うひとだった。今でも吸っているのだろうか。

だとしたらどうか、煙草が原因のひどい病気や疾患を得ず、できるだけきれいな肺のまま年老いて、いつか死んでいってほしい。

そんなことを言ったら、「もうむりかもなあ」とか言いながら笑うんだろう、彼は。

ピンクのチューリップ

すこし前、朝起きて携帯電話を見ると、高校のときの同級生の女の子から「今日は何してる?」と連絡がきていた。

彼女のことは昨年noteに書いているから、憶えていてくださっている方もいるのではないかしら。高校3年間ずっと同じクラスだったのに、ひょんなことで高校を卒業してからの方が親しくなった、じつにかわいいひとだよ。

「今日何してる?」という趣旨の連絡そのものが、私はあまり好きではない。その日に急に遊ぼうとか、今日は空いているかとか聞かれてどこかへ出かけて行くのが億劫なたちなのだ。

だからどんなにだいすきな相手だろうと、気分が乗らなければ「ごめん。予定がある」と言って断る。本当に申し訳ないけど、ほとんどの誘いは断る。

だけれども、彼女からの連絡はとりわけうれしくて、その日は予定もなかったので「今日はずっと家にいるよ」とだけ返事した。

彼女は私の住んでいる市の隣の市に住んでいる。その日はたまたま、彼女のお母さんが用事で私の住んでいる市に来ることになっていたらしい。私のことを思い出したのか、彼女は「おうちに行ってもいい?」と尋ねてくれた。

もちろん!と返すと、彼女はその日の午後に私の家にやってきた。

とぅるんとした、アイドルのようにきれいなボブヘアーを揺らした彼女は、ピンク色のカーディガンを着ていて、見た瞬間「かわいい!」とうっとりしてしまった。あんなに自然にピンクの洋服を着こなしてしまうなんてやっぱりすごい。しかもスカートじゃなくてパンツを合わせるところがいい。おしゃれ。

彼女は颯爽と現れ、おしゃべりをし、私に贈りものとお手紙をくれた。私が今月末からいったん実家を出ることになっているのを知っている彼女は、早めのお誕生日プレゼントをくれたのだ。

彼女はきっとなにか持ってきてくれるのだろうなと思っていたし、私も渡したいものがあったので、ポストカードと手紙、彼女に読んでほしいと思っていた川上未映子の短編集、『愛の夢とか』を贈ることにした。

彼女と会っていてもっとも楽ちんなのは、彼女がだらだらと長居をせず、話したいことを話し、聴きたいことを聴いたら、すぐに「またね」と帰っていくところである。要するに、去り際が大変潔いのだ。

これは案外難しいことで、何にせよ、物事に対する引き際をわきまえているというのは非常に重要なことだ。

この数年で私はそう思うようになった。

どんなにすばらしい文章を書くひとでも、だらだらとした、まとまりのない長い手紙をくれたら興ざめである。せっかく素敵なデートをしても、いつまでも時間を引き延ばして全然家に帰らせてくれないのでは、少々げんなりする。押してダメなら引いてみろというのは正しい。ちょっと物足りないくらいで案外ちょうどいいのだ。

その点、彼女は実にさっぱりとしていて気持ちのよい時間の使い方をするのだ。

だから私は彼女と会うことに対するハードルが低いのだと思う。他のお友だちの多くは、せっかく会うのならばと、できるだけ私と一緒にいてくれようとする。あるいは話したいことをたくさんためてくれているから、いったん会うとなると1日がかりになってしまうことも多い。

しかし彼女はその日、わずか30分程度で帰っていった。それは言い換えるならば、たったそれだけの滞在になるとしても、それでもわざわざ私に会いに来てくれたということでもある。そして、またすぐに会えることを確信しているかのようでもある。私はそういうのにすんごく弱いのだ。

もうひとつ。

彼女が私のために選んでくれたプレゼント(かわいいパグ犬のぬいぐるみ型スマホスタンド、10種類の味の塩の詰め合わせセット)がうれしかったのはもちろんなのだけれども、彼女のくれた手紙には、便箋にも封筒にもチューリップの絵があしらわれていた。

そして私がその日、彼女が来る直前にあわてて手紙を書くときに選んだのもまた、チューリップがついている便箋だったのだ。

それに気づいたとき、私はとてもうれしい気持ちになった。彼女と私はなにかがちゃんと通じ合っているぞ、と思った。

彼女とはこれからも、さっぱりとした関係で仲よくしていけるだろう。

SISTERS

このまえ恋人の妹のことをnoteに書いた。

そうしたらその記事を思っていたよりたくさん読んでいただいて、なんなら直近書いた恋人についてのnoteよりたくさんのスキをいただいてしまったので、そのことを彼に伝えた。

彼は「ええっ、俺より俺の妹の方が人気あるってこと?うーん…」とすこし不満ありげに言っていた。なんだかおもしろかった。

そんな彼の妹はここ最近、私がかなり前に貸した、もはや何を貸したのかも忘れてしまったような小説たちを読んでくれているらしい。なんと驚くべきことに、澁澤龍彥の『高丘親王航海記』まで読んでいるらしい。

ちなみにこの小説は、私が卒論で扱った、思い入れのある作品である。

私は本や漫画を貸してもらったときに、相手から「もう読んだ?」「このまえ貸したやつ見た?」と質問されるのが苦手だ。なんだか急かされている気がして、げんなりしてしまうのだ。

だからこそ、自分のタイミングで読んでほしいと思っていたので、彼女に本のことを尋ねたりはしていなかった。

するとつい先日、彼の家にお邪魔してなにかを話していた折、彼女が普通に「儒艮がさ…」とか「パタリヤ・パタリヤ・パタタ姫がさ…」とか言うので、私はよろこびのあまり、「高丘親王読んでくれてるのお!?恋人はまだ小説どころか漫画さえ読んでないのに、あなたはその年で原作の方を読んでくれてるのお!?うれしいッ!」と大声を出してしまった。恋人はやや落ち込み、その妹はにやにやしていた。ああ…

おそらく澁澤龍彥を読んでいる中学生はかなり少数だと思われる。

そして、傲慢かもしれないけれど、彼女が私の貸した本を拒否せず素直に読んでいるということは、彼女が私のことをそれほど好きだということでもあるのかなあ…そう思うと、素直にとってもうれしい。

***

恋人の妹のことだけではなく、私の実の妹たちのこともすこし書こう。

京都の美術大学で日本画を先行している3つ下の妹は、このゴールデンウィークは帰省しなかったので、次に実家に帰ってくるのはおそらく夏やすみだろうと思う。

幼少期から一緒に育ってきたせいもあるのだろうけど、彼女は帰省すると1日のほぼすべての時間を私とともに過ごしている。私と彼女でちがうのは眠る時間と起きる時間くらいのもので、それ以外はずっと同じ空間にいてなんやかんやと騒いだり、黙ったり、笑ったりしている。

「ずっと一緒にいる上に風呂まで一緒に入ってるのはさすがにやばすぎ!」と大笑いしていたけれど、おそらく夏もそうなるだろう。

もうひとつ、上の妹にまつわることを書いてみよう。

先月ごろ、下の妹が同級生たちと連絡を取るために家にあったタブレットを使用することになった。私が端末の設定をしてあげていた際、家の電話番号を入力してLINEのアカウント登録をしようとしたら、なんと、過去に3つ下の妹がタブレットを使用していたときのアカウントが現れた。

どうやらそのとき使っていたべつのタブレット端末のLINEも、家の固定電話の番号を利用してアカウント登録をしていたらしい。

しかし上の妹が勝手に自分仕様のパスワードに変更していたらしく、適当な文字列を入力してみても一向にログインできない。

上の妹に連絡してパスワードのことを尋ねても、「そんなの覚えてるわけないだろ!!!」という返事しか来なかったので、仕方なく、彼女の名前と誕生日を組み合わせた至極簡単なパスワードを入力した。

するとなんとあっけなくログインできてしまい、さらに「おかえりなさい、おはな」(上の妹は花にまつわる名なので、そういうニックネームを登録していたのである)などという文言まで出てきた。それがあまりにもおかしかった私と母はその場でお腹を抱えて笑った。

なんという脆弱なパスワードだろうか。

彼女にそれを伝えると、「それくらい簡単な方が、こういうときにはいいんだよ!」と言っていた。

***

11歳年下の妹は、いま人生で初めての中間テスト期間を迎えており、学習計画を立てて毎日一生懸命勉強している。

彼女の楽しみは、朝ドラ「虎に翼」を見ることだ。よねさん推しの彼女は朝ドラを毎日欠かさず録画し、眠る前の15分間を至福のひとときにしている。なお、私の推しは優三さんである。

春の健康診断で「側弯の疑いあり」と診断された妹は、私と母とに連れられて病院へ行き、この側弯が思春期の女の子によくみられる、さして問題のないものだと言われて胸をなでおろした。

しかしそれもつかの間、今度は「難聴の疑いあり」という診断書を学校から持ち帰ったため、母は「側弯の次は難聴の疑い!」とため息をついていた。まだ病院へ行っていないけれど、近いうちに行くのではないかと思う。

しかし妹自身も、すこし前に、先生やお友だちの話していることが聞き取りにくいことがあると言っていたので、結果がどうであれ、お医者さまに診てもらうには絶好の機会だろう。

そんな彼女はかなりまじめな性格なのだけど、最近すこしずつ我が家特有のポンコツさというか、おっちょこちょいやうっかりが発動してきている。

ドラゴンボールZのオープニング曲の歌詞を間違えて「あたまウルトラZ」と歌ったり(正しくは「笑顔ウルトラZ」である)、「イギリスを通っている経度0度の線」の名を問われて「ロンドン」と言ったり(正解は本初子午線である)。

忍者ハットリくんに出てくる、ケムマキというキャラクターの話になったときには、「ケムマキって聞くとなんでか海苔を思い出すんだよね~」などと心底不思議そうに言うので、「それ、ケムマキと海苔巻きの音が似てるからじゃないの?」と返すと、一瞬ぽかんとした顔をしたあとで大笑いしたり、なんとも平和なものである。

***

世界にはたくさんの「妹」と呼ばれる女の子たちがいると思うけれど、どこの家の子であれ、妹たちには兄や姉よりもずっとのんびりと強かでいてほしい。

ラッキーボーイたち

私には「ラッキーボーイ」なるものたちがいる。

ラッキーボーイというのは、会えたらちょっとラッキーで、1日ハッピーな気持ちでいられる男の子の総称である。私が勝手に名づけた。友だちというのはちょっとちがうけど、ばたりと出会ったら挨拶をし合う男の子。

もちろん、恋愛対象として気になる男の子はラッキーボーイではなく、ただの好きなひとなので、そういうのでもない。

しかもここが何よりも重要なのだけれども、いつも必ず会えるわけでなく、その日やタイミングによって会えたり会えなかったりするくらいの相手でないとラッキーボーイとは呼べない。

今まで小中高、そして大学とさまざまな種類の学校に通うなか、私には幾人かラッキーボーイがいた。「今日は彼に会えるかな」という、ごくごく軽い期待感を、私は学校へ行きたくない日のエネルギーに変換した。

ラッキーボーイにはそれくらいすごい力があるのだ。

最近の私の日課は、妹を毎朝最寄り駅まで送っていくことである。

中学生の彼女は、毎朝JRの駅前から路線バスで中学校近くのバス停まで行き、そこから少しだけ歩いて学校へ登校している。もちろん駅には妹の同級生たちがたくさんいる。

そして駅の近くに住んでいる妹の同級生のある男の子が、ここ最近の私のラッキーボーイである。

彼は毎朝、私が妹を送り届けて家に引き返すくらいの時間に道を歩いて駅へ向かってくる。そして私の姿を認識すると、必ず手を挙げて挨拶をよこしてくれる。

この挨拶の習慣は、ついこの間の春休み、おつかいで妹ふたりを連れて街へ降りたら、たまたま彼が家の前で素振りをしていて、「あっ、あんたの友だちのワクワクくん(仮の名)がいるよ!」と言いながら、妹たちと3人で彼に「おーい!」と手を振ったのが始まりなのだけど、それが今も続いているというわけだ。

なんせ私は妹が赤ちゃんだったころのことだけではなく、妹のお友だちみんなが赤ちゃんだったころのことさえ知っているわけなのだ。みんなも私のことを、同級生の子のお姉ちゃんとして認識してくれているだろう。

そう考えたら、みんななんと大きくなったことか。この前までおむつを履いていたのに、もう中学生か…としみじみしてしまうくらいだ。

思春期にありがちな、目が合ったのに相手を無視するとか、そもそも気づかないふりをして知らんぷりするとか、そういうことをワクワクくんは絶対にしない。かといってへんに愛想よくしたりもせず、ただ手を振る。

なんともよい子なのだ。

もしかしたらそのうち手を振ってくれなくなるかもしれないけれど、それも含めて彼は私にとってのラッキーボーイである。

***

ついでにもうひとり、おそらく私の人生における最初のラッキーボーイのことを書いておく。

小学校6年生だったとき、入学してきたばかりの1年生の子たちがかわいくてかわいくて仕方がなかった。つい最近まで保育園に通っていたような幼い子たちだからか、みんな無邪気で甘えん坊で人懐っこく、休み時間になるとよく彼ら彼女らと遊んでいた。

そんな当時の1年生たちの中でも、とりわけ私になついてくれていた子がひとりいた。

彼はものすごくきれいなつり目の男の子で、短い髪がつんつん立っていて、数年後にはきっと格好いい少年になって、中学や高校の同級生たちにきゃあきゃあ言われること間違いなし、というようなキュートな見た目をしていた。

その子は私を見かけるといつも「青葉ちゃん!」と呼びながら走り寄ってきた。それがかわいくてかわいくて、私はよく抱っこしたりおんぶしたり、一緒に遊んであげたりしていた。こんな弟がいたらさぞかわいかったろうなあ、といつも思っていた。

つり目の彼は、休み時間になるとよく多目的室というところでなわとびをしていた。多目的室は1階の1年生教室と2年生教室の並びにあり、天井は吹き抜けになっていた。2階にある6年生教室を出てすぐのところから、多目的室全体を見下ろすことができたので、私はそこを通るたびに下を眺めた。

下級生たちはそこでよく遊んでいた。

私がたまたま2階の廊下を通りかかったり、意図的に多目的室を見下ろしたりすると、つり目の彼はなわとびを中断して「青葉ちゃん!」と大きな声で私の名を呼んだ。

逆に彼がなわとびに夢中になっていても、私が上から「つり目くん!」と呼ぶと、必ずこちらを向いて、「あっ!青葉ちゃん!」と歯を見せて笑ってくれた。

つり目くんは「ねえ、青葉ちゃん見て!」と、私を一生懸命にその場にとどめてはなわとびをして見せた。

それがすごくて、最初はただの前飛びや後ろ飛びだったのに、彼は途中から難易度の高い、二重飛びという飛び方を練習し始めた。そしてときどき私を呼び止めて、練習の成果を見せてくれるのだ。

私はなわとびというものを少しも好きじゃない子どもだったので、どうして彼がそこまで一生懸命になわとびをしているのか分からなかった。だからこそ、つり目くんが二重飛びを練習し始めたときには、本当に目を疑った。

二重飛びは難しいし、かなり勢いをつけて縄を回すから、ひっかかると足に当たってすごく痛い。6年生でもできない子がいるくらいのやつなのだ。

もちろん、彼も最初は縄が足にひっかかってばかりで全然飛べなかった。しかしいつの間にか1回飛べるようになり、次は2回続けて飛べるようになった。

そして私が卒業する前には、彼はかなりの時間、続けて二重飛びをできるようになっていた。衝撃的だった。たまに多目的室に足を運ぶ私に、つり目くんは走り寄ってきて、ぎゅっと抱きつきながら「なわとび見てて!」と言う。そのたびに技が上達していて、本当に感心させられた。

そんな彼は、私が小学校を卒業してしばらくしてから、どこかへ引っ越して行ってしまったらしい。

そのことを知ったときは、中学生ながらにとてもかなしかった。3歳年下の私の妹と2歳違いのつり目くんだったから、妹の成長とともに彼も成長していくはずだった。私は小学校を卒業し、中学生や高校生になっていく彼の姿を見守ることができると思っていたのに。

もうあの子に会うことはないだろうし、仮に会えたとしても、私の名前を呼んで無邪気に抱きついてきたりはしないだろう。それどころか、私のことを覚えているかどうかも怪しい。

しかしきっと今頃、あの子はさわやかでかっこいい青年になっているだろうなあ。

そしてかつて二重飛びに挑戦したように、今までもいろいろなことに挑戦したのだろうなあ。これからもあらゆることに挑戦していくのだろう。

小学校生活最後の1年間、私に学校へ通うささやかな楽しみを与えてくれた小さかった彼には、感謝してもしきれない。ありがとう、私のラッキーボーイ。


観葉植物とぞうさんのジョウロその2

以前にも書いたことがあるのだけれど、去年、大学の学生研究室のロッカーの上には、観葉植物のパキラと真っ赤なぞうのジョウロが置かれていた。

そのパキラはカッターシャツの彼(過去のnote参照)が夏になる前に大学へ持ってきたもので、命名しようと言いつつも結局しないまま1月に卒論を提出し、そのあとでようやく名前をつけた。

どんな名前がついたかというと、ずばり「澁 春成威しぶ しゅんせいい)」である。

なぜちいさなかわいいパキラが、澁春成威などという唐の偉大な人物のような名になったかというと、すなわち、毎日欠かさず学生研究室を訪れ、一緒にお昼を買いに行ったり、文学やその他にかんする議論をしたりしてとりわけなかよくしていた4人組(過去のnote参照)の卒論作品の作家の名にあやかったからである。

澁澤龍彥の澁、村上春樹の春、川端康成の成、そして三島由紀夫の本名である平岡公威の威から一字ずついただき、パキラはただのパキラではなく、澁春成威になった。

そしてこの種族のちがう友人を、卒業に際し、私が実家に連れ帰ることになった。なんでそうなったかというと、カッターシャツの彼が「このパキラ、卒業するとき、青葉さんにあげるわ」と前々から言っていたからである。

そのときは「ええっ、私にくれるんだ!やった!なんかうれしいワ!ジョウロもくれる?」とはしゃいでいた。

しかし今になってよくよく考えてみたら、私にそれらをくれると言ったのは、単に大きくなったパキラを、彼の卒業後の新天地へ連れていくのが大変だったからかもしれない。

みんなは県外に就職したり地元へ戻ったりすることになっており、私だけ県内に残るひとだったのだ。それゆえ「青葉さんこそパキラの世話係に適任だ」という彼の思惑に(おそらく)、私はまんまと乗せられたのだ。

しかし私は卒論を出してしまったあと、澁とゾウのジョウロを自分の車に積み、2時間運転して実家へと連れて帰った。

家ではまず、家族に対してきちんと「これは澁春成威だよ」と紹介した。

そのあと、彼を(彼女か?いや彼だな)広い家のどこに置くか、ということでとても悩んだ。彼は日によって家のあらゆる場所を転々とし、しばらくは遊牧民のような生活を送った。

急激に環境が変わってストレスを感じたのか、みんなに会えなくなってさびしかったのか、春成威は最初のころ、元気がなかった。どう見ても葉っぱがしょぼくれているし、次第に日光に当てていても日影に置いていてもみるみる葉が茶色くなってきて、本当にどうしようかと思った。

理由がどうであろうと、みんなで成長を見守っていた植物を預かったからには、同期たちとふたたび会うまで、いや私が生きているかぎり、春成威を枯らすわけにはいかないのだ。

研究室で、彼は直射日光の当たらない窓際に置かれていたので、同じような場所、しかしできるだけ外が見える窓際を探し、そこに移して様子を見ることにした。

そして茶色くなってしまった葉をきれいに剪定し、土が乾いたら赤いぞうのジョウロで水をたっぷりやって、毎日「おはよう」と「おやすみ」を欠かさず言うようにした。

春になってからは、「眼鏡の彼は昨日残業をしたらしいよ」とか、「カッターシャツの彼は、最近名刺を渡したりお辞儀したりする研修をしてるんだって」とか、「うっかりやさんの彼女が手紙をくれたんだよ。一緒に見る?」とか言って、みんなのことをときどき話してあげることにした。

するとみるみる元気になって、今では新しい芽をいくつも出し、まっすぐ光の方へ伸ばしている。この前、ついに葉がひらきはじめた。植物というのはすごく素直だな、と思う。

そしてパキラの澁の世話をしながら、私は毎朝みんなのことを考える。もしそういう日々がこれからも続いていくのだとしたら、私はいつまででも、彼らに澁を託されてよかったなあと思うことだろう。

澁はすくすくと大きくなってきているから、そのうち鉢を変えてやろうと思う。


四方八方に伸びてまとまりがない


夢日記

最近よく夢を見る。ほぼ毎日のように見ている。

もともと夢をよく見る方だ。しかもこわい夢をあまり見ないので、小さいころから眠るのが好きだった。夢はいつも鮮やかで、奇想天外で、愉快だった。現実の風がつらいときには、夢を生きがいにし、夢の世界に生きられたらいいのに、と思っていたくらいだ。

しかしもし夢の世界が私にとっての現実世界になってしまうと、やっぱりその現実に対して文句を言いたくなるんだろうなあ、という答えにたどり着いてしまうので、夢は夢でいいなということに最後は落ち着くのだった。

何度もくり返し見る夢があったり、夢でしか行くことのできない場所があったり、夢ではよく会うのに現実ではほとんど会わなくなってしまったひとがいたり、夢というものはおもしろい。

夢を日記につけるのはあまりよくないとされているから、なんとなく避けてきたけど、最近はあまりにも夢を見るのでときどき書き留めている。

今まで私が見てきた夢、そして覚えている夢のなかで、もっともうつくしかったものは、ただひたすらにちいさな花を摘むという、それだけの夢だ。

私は家のおもてにいて、そこはやさしい夏の午後のような陽射しに包まれている。木々はきらめいていて、風がさわやかでとてもきもちがいい。そんな中、私は右手の親指と人さし指を使い、庭に咲いているちいさな花をひとつずつ、つまむように摘んでは、左手の手のひらへ丁寧に乗せていく。

いろとりどりの紫陽花の小さな花弁を摘んでいるような夢。

その夢を見たのは高校2年生の冬で、私はその日、熱を出していた。当時はまだ付き合っていなかった今の恋人は私をとても心配して、私が眠る前、午後8時ごろに電話をかけて「おやすみ」を言ってくれたのだ。

そうして眠り、次の日の朝、目覚めると熱は魔法のように下がっていた。

私は彼が電話をくれたからその夢を見て、そして熱が下がってしまったのだと信じている。あれほどおだやかでやさしい夢は、どんなに願っても、もうなかなか見ることができない。

恋人のこと

そんなすばらしい夢を見せてくれた、私の恋人との最近の出来事をすこしだけ書いておこう。

彼はいまお仕事をしているので、私たちが会うのは彼のおやすみの日に限られている。このまえ、ちょうど彼のおやすみの日、私はあんまり体調がよくなく、頭が痛かったりおなかが痛かったりしてぐずぐずになっていた。

彼はその日の午後、約40分かかる距離を運転してぐずぐずな私に会いに来てくれた。彼も彼で仕事のため、大変くたびれていたので、私たちは「きたよ」「いらっしゃい。きてくれてありがとう」と言ったあとすぐ、いっしょにごろんと横になってお昼寝をした。

2時間半くらい、ふたりでひたすらぐうぐう寝たあと、私たちは起きてお茶を飲み、おやつを食べながらすこしおしゃべりをした。

そのあと、夕方には彼はおうちに帰っていった。彼はお昼寝をするためだけに私に会いに来てくれたのだ。

そういうのって、やっぱり愛情がなくてはできないと思う。

去年までは遠距離恋愛中だったこともあって、そんなふうに、ある意味怠惰に休日をつかうことを想像もしていなかった。会えるときには必ず会ってどこかへ出かけたり、1日中くっついていたり、私たちは私たちなりに一生懸命に時間をつかっていた。

しかし今はやすみでも会わない日があるし、会うにしても午後にちょっとだけとか、ごはんを食べるだけとか、そういう選択もできるようになった。カップルとして、またすこし進展したのではないだろうか。

いつも彼は私がうとうとするまで、髪をやさしくなでていてくれる。

なにがなんでも私は彼との日々を重ね、その先にあるたくさんのよろこびや苦難に出会いたい。ほかのひとではとてもだめなのだ。

旅立ちに向けて

もうじき県外に出るから、あれやこれやとその支度をしている。

県外に出てしまってから数か月間は携帯電話もPCも使えず、SNSを一切見ることができなくなるということを、すこし前に大学の同期の女の子(「恋しい日々」を教えてくれた、おひさまみたいな女の子)に話した。

彼女は「デジタルデトックスどころの騒ぎではない!」と強烈に反応していた。そうよね…

私はアナログな人間だから、新しい誰かに出会うためにSNSを使うというよりは、リアルでの私の顔と名前を知っている、とりわけ仲のよい誰か、あるいはだいすきな誰かとつながるためにInstagramやLINEを使っている。

しかも、この数年で私はさらに大人になって、自分の気持ちを率直に相手に伝えること自体にさほど恥ずかしさを感じなくなってきた。

だから、本当に本当にすきでたまらない友人たちには「電話番号と住所を教えて」と尋ね、手紙を書いたりしている。

これが結構たのしいのだ。

だからもし、リアルの私を知っているうえにこのnoteを読んでくれており、加えて、私に住所や電話番号を訊かれたことがあるというひとがいたら、それは私があなたを、勝手に、ものすごく好きだということです。いやだったらごめんなさい。しかし、うれしかったらよろこんでほしい。

そんなふうに、私のコミュニティはわりとちいさなものだけど、それでもみんな大切なので、夏まで連絡がつかなくなることを一応伝えておこうと思い、数日前にInstagramのストーリーでそのことをシェアした。

そうしたら、今までかかわってくれたいろいろなひとがDMをくれた。

さっきチューリップのところで書いた女の子は、「無事を祈ります」と簡潔なメッセージをくれたし、小学校以来の親友の女の子は「あなたが行く前に会いたいよ」とLINEをくれた。

妹の同級生の男の子まで「頑張ってくださいね」と言ってくれた。大学の同期、ワニの筆箱の彼は「門前の小僧がんばれよ」などと送ってきた。やかましいやつめ。

でも、みんなすごくすごくやさしい。

一度いろいろなものを絶ってみたら、案外SNSなど不要なものだと割り切れてしまうのかもしれない。いろんなアカウントで、毎日ぽつぽつ何かをつぶやいたりしていたけれど、夏には全部億劫になってアカウントを消してしまったりするかもしれない。

けれど、きっとnoteだけはこのまま置いておくのだと思う。

私はSNSをこわいものだとどこかでずっと思っているけれど、noteは自分と他者との距離感がとてもここちよい。それはこれを読んでくれているみんなが、ことばで自分を表現することを選択しているひとたちだからなのだろう。こっそり見守ってくれて、ときどきスキを押してくれるあたたかなひとたちが、たくさんいるからなのだろう。

だからここで、改めてお礼を言わせてください。

私の文章をよく読んでくれている方には、いつもありがとう。今はじめて読んでくれている方には、見つけてくれてありがとう。好きでいてくれる方、応援ありがとう。

お天気や気温がころころ変わって困ってしまうけれど、そんな不確かな日々でも、少しずつ幾重にも重ねて、いつか全部を恋しく思い出せたらいいものですね。

それでは、また夏ごろにお会いしましょう。





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