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トゥサン・ルヴェルチュールの凡庸さ -独立運動への疑念

トゥサン・ルヴェルチュールの愚かさは、現代人もしばしば陥る愚かさである。


プロフィール

トゥサン・ルヴェルチュールはハイチ革命の立役者である。
彼は、18世紀半ば、フランスの植民地サン=ドマング島で、アフリカ系黒人奴隷として生まれる。フランス革命が起きて、島の政治体制が揺るぐと、奴隷たちとともに奴隷主からの解放運動に身を投じる。勇猛果敢だったので、軍事指導者となる。

しかし黒人だけの戦力による奴隷解放運動は不可能だと判断し、スペインと同盟を組む。
しかしフランス本国が奴隷制の廃止を宣言すると、スペインを裏切り、フランスと同盟を組む。そして奴隷主と、奴隷主に肩入れをするイギリスに対抗する。
しかしフランス本国内にもまだ奴隷制主義者がいると知ると、フランスを裏切り、イギリスと同盟を組む。
最終的には、ナポレオン軍に逮捕され、死ぬ。
その後、トゥサン・ルヴェルチュールの遺志を継ぐ者たちが、ナポレオン軍を打ち破り、ハイチ独立を成功に導く。

こんにち、ポストコロニアリストの運動もあって、トゥサン・ルヴェルチュールは「神聖視」されるようになった。
しかし私見によれば、彼は同時代のフランスの人種差別主義者と同じくらい、凡庸だった。

彼の愚かさ-①軍事力崇拝

トゥサン・ルヴェルチュールはナポレオンと同じくらい横暴だった。
彼は、ナポレオンと同様に、文民統制の原理を踏みにじった。
フランス共和国の奴隷制廃止宣言の功労者で、サン=ドマング島の黒人たちからも絶大な人気があった白人議員ソントナクスを、トゥサン・ルヴェルチュールは島から追放した。権力闘争の観点から、自分のライバルであったソントナクスを排除したのである。

おそらく、そもそもトゥサン・ルヴェルチュールは民主主義(=多数派の支配)に反対だった。
議会で奴隷制主義者が多数派になれば、いちどは廃止された奴隷制も、ふたたび復活するかもしれない-。確かにその危険は総裁政府期における王党派の活発な動きからも感じられた。だから彼は民主主義を否定したのだろう。
奴隷制を廃止して自由になるためには、手段は暴力的であってかまわない、そう判断したのだ。

彼の愚かさ-②シニカルな人間観

またトゥサン・ルヴェルチュールはタレイランと同じくらいシニカルだった。
彼は、サン=ドマング島が砂糖さえ持続的に産出できていれば、どんな国とだって同盟は結べると、考えていた。
つまり砂糖を、現代の石油のような、外交上の武器として用いようとした。

しかしトゥサン・ルヴェルチュールは、商売とは何なのかを理解していなかった。
ほんとうの商売とは、相手の幸福を思いやるものである。ある商品を相手が買うことで、相手の生活が楽しくなるために、商売は為される。
では、幸福になってほしい相手とは、どういうひとなのか。
自分と同じ価値観の持ち主である。

この点に、トゥサン・ルヴェルチュールは思い至らなかった。
もちろん、彼だけが考えが足りなかったわけではない。
例えばタレイランも同様の考えを持っていた。総裁政府期の外務大臣タレイランによれば、フランス共和国は反革命的な国とも通商をつうじて互恵関係を結び、平和にやっていけるはずである-。

タレイランの見解を、鋭く批判したのがエシャセリオであった。
総裁政府期の下院議員エシャセリオによれば、共和政(=人権宣言の支配)という基本的な価値観が同じではない国とは信頼関係を結ぶことができない。信頼関係が欠如した、経済的利潤だけの互恵関係は弱い。もしも相手国の商品をフランスよりも高額で買う国が現れたら、利潤だけの関係はすぐに断ち切られよう。
正論である。

それゆえトゥサン・ルヴェルチュールは、エシャセリオに比べて、愚かだった。
トゥサン・ルヴェルチュールは、奴隷制の即時廃止に否定的なイギリスとは同盟を結ぶべきではなかった。人権宣言の支配する世界という未来像を、一緒に信じることができる国とだけ、通商=軍事同盟を結んでいくべきだったのだ。
ところが彼は砂糖を餌に、スペイン、フランス、イギリスを手玉に取れると信じた。
モノを餌に、他人を動かすことができるという人間観は、自分自身の人間性も貶めるものである。

歴史の教訓

トゥサン・ルヴェルチュールの愚かさは、民主主義や共和政といった理想を信じることができない点にあった。

肌の色に関係なく、貧富に関係なく、性別、年齢、学歴にも関係なく、愚かさは批判されるべきだ。歴史に教訓を求めるならば、トゥサン・ルヴェルチュールの政治を批判することと、黒人奴隷の境遇に共感して涙することは、別問題だと考えなければならない。

暴力による排除、そしてシニスムが支配する現代世界。
各人が、この世界に生きる自らの責任を想起すべきであろう。
責任を果たさない奴は、権利にありつけることもないのだから。

参考文献

Kôbô SEIGAN, « Le colonialisme des républicains sous le Directoire – Le cas d’Eschassériaux » dans La Révolution française, 19 | 2021.


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