見出し画像

植民地支配 -軍人と文民、どっちがわるい?

21世紀の日本のポストコロニアリストは、植民地主義の原因を、差別や偏見という心の問題にあるとする。しかし差別や偏見など、いつでもどこでもだれにでも多少はあるものだ。
もっと別の角度から、歴史的に思考する重要性を、19世紀フランスのアルジェリア支配を例にとって明らかにしよう。


アルジェリア征服戦争 -強い先住民

1830年のフランス軍によるアルジェリア侵攻は、復古王政によって始められ、七月王政に引き継がれた。
当時、アルジェリアでは、複数の部族がいがみあいながらも、大国トルコの影響下で暮らしていた。
そこへ乗り込んでいったフランス軍は、自分たちに友好的な部族には保護を、敵対的な部族には懲罰を、与えた。

ところが敵対的なアルジェリア先住民は、思いのほか、とても強かった。
不慣れな風土のせいもあり、フランス軍はさんざんひどいめにあった。
当時、フランス軍の武装は先住民に比べてさほど優越してはいなかった。
たしかにフランス軍は、先住民が持っていない大砲を持ってはいたものの、大砲はアルジェリアの荒地では移動が困難で、迅速に機動する先住民の騎兵には効果がなかった。
フランス軍は本国政府に幾度となく兵力の増強を要請することを余儀なくされ、平定にはおよそ20年もの歳月を必要とした。

だからこそフランス軍は先住民絶滅政策には反対だった。
そんなことを試みたら、とんでもない反撃にあうのは自明のことだった。

しかし絶滅を望む声はあった。
それは軍のトップからではなく、むしろ植民者から聞こえてきた。


軍人総督の時代 -やさしい軍人

アルジェリアをまずまず平定できたのは1848年ぐらいである。
その後20年あまり、代々アルジェリア総督にはフランスの軍人がなった。

フランスからやってきた植民者の目には、フランス軍人は植民活動に消極的にうつった。
植民者はもっと先住民の土地を奪いたかったが、軍人は先住民の反乱を危惧して、植民者の要求を拒んだ。植民者から見ると、軍人は先住民に対してやさしすぎた。

平定後の、軍人の先住民にやさしい政策は、1852年即位のナポレオン3世の意思に対応していた。ナポレオン3世は「アラブ人のためになることをせよ」と訓令をだして、先住民に土地と権利を保証せよと唱えていた。
かくして軍人は友好的な部族にはやさしかった。
とりわけ先住民女性の社会的地位の向上には気を配った。


1870年から1871年 -〈支配=保護〉から〈支配=搾取〉へ

ところが1870年、普仏戦争が勃発した。
フランス軍は完敗し、ナポレオン3世は退位した。
フランス軍の威信は地に落ちた。

アルジェリアでは植民者がここぞとばかりにフランス軍人を攻撃し、権力の座から引きずり落した。植民者から見れば、それは長年、植民活動に消極的だった軍に対する報復だった。

ところが先住民はこのフランス人同士の内乱を違ったふうに見ていた。
―我々、先住民はフランス軍に忠誠を表明し、だからフランス軍は我々を保護した。実際、軍は飢饉のさいには救済策を提案してくれもした。
ところがいまや、街ではフランスの将軍たちの像が倒されている。
そして我々の土地の収奪を求める植民者を中心に、文民勢力が新たに権力の座についた。
たいへんだ!

かくして1871年、先住民は大規模な反乱を起こした。
またその背景としては、普仏戦争でフランスに勝利したプロイセンによって支持されたトルコが、アルジェリア先住民を助けにやってくるという噂が流れていたことも、注目されよう。


結局、反乱は一年ほどで鎮圧され、その後、文民当局による大々的な土地の収奪と先住民の搾取が始まった。
そして資本の投下が本格化していく。
実際フランスの産業革命はナポレオン3世の統治下で急速に発展した。ナポレオン3世の退位と、それに伴う第3共和政の始まりは、産業革命後の帝国主義時代の幕開けに対応していた。ちょうどこの頃、兵器の技術革新も進んだ。そして西洋列強の世界分割が加速化していった。


歴史の教訓

私が注目したいのは、産業革命後の文民による植民地支配が、それ以前の軍人による植民地支配に比べて、「より悪質」になった点である。

べつに軍人の支配を理想化したいわけではない。

ただ植民地主義の諸原因のひとつとしての資本主義の問題に注目したい。
悪いのは、ある特定の国の人間の心ではなく、経済ではないのか。

そこに注目して、経済(下部構造)こそが差別や偏見といった心(上部構造)を規定するとみなすことで、社会全体をひとつのシステムとして捉えることも可能になろう。

21世紀の日本のポストコロニアリストは、資本主義のシステムとの真っ向からの対決を避けている。
そして現行のシステムの枠組みのなかで、自分は安全なところにいながら、差別主義者の心を道徳的に批判するだけである。かくして「批判ばかり」の説教好き以上にはなることができていない。



参考文献
西願広望「フランス七月王政期のアルジェリア植民地戦争をめぐる言説」『軍事史学』第56巻第2号(2020年)。
Jacques Frémeaux, Algérie 1830-1914. Naissance et destin d’une colonie, Paris, 2019.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?