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結婚を控えた女性へ

19世紀末フランスの、いまでは誰もその名を知らない、ある作家の小説を読んでいたら、興味深い一節にめぐりあいました。初めて読んだときは可笑しくて吹き出してしまいました。


老婆の教え

作中、アルジェリア先住民の老婆が、結婚を控えた若いフランス人女性に贈った言葉です。
もちろんこれを「時代錯誤の男尊女卑」と一蹴するのは簡単です。僕も最初はそう思いました。
でも時代を超えて、夫婦関係に限らず、すべての人間関係を良好に維持したいときの〈教え〉であると言える部分もあるのではないかと思われ、ご紹介することにしました。
箇条書きにすると、次のようにまとめられます。
 
①「もしも夫につくしてほしいのなら、夫のための奴隷になりなさい。」
②「夫のためだけに美しくありなさい。夫のためにちゃんと化粧をすれば、夫はおまえをとても愛するだろうから、神はよろこばれるだろう。」
③「夫がちゃんと食べているか、気をつけなさい。何故なら飢えは怒りと諍いの原因になります。そして夫にちゃんと休息を取らせなさい。不眠は不機嫌を運んできます。」
④「夫が喜んでいるとき、自分の悲しみを見せてはいけません。夫が悲しんでいるとき、自分の喜びを見せてはいけません。」
 
以下、番号順に解説。

①相互扶助

相手から何かをしてもらいたければ、相手に何かをしなさいという、あたりまえの教えを「奴隷になりなさい」という、かなり強い言葉で表現している。これほど強い言葉を使うこと自体に、この教えを実践する難しさと、教えの大切さがよくあらわれている。

②より高次元の目的

家にいるのにもかかわらず化粧をするといったような、夫のための面倒くさい気遣いは、実を言えば夫のためだけではなく、ふたりの愛を増幅させるためであり、その結果、神がよろこぶためである。
横糸(人間と人間との関係)は縦糸(人間と神との関係)によって、はじめて堅固になるというわけだ。
たとえ「神のため」でなくても、「家のため」「国のため」「普遍的人権のため」「地球のため」でもかまわない。
自分たちよりも高次元の存在を念頭におかないかぎり、人間同士の関係は緩み、崩れ、壊れやすくなる。

③不和の直接的原因を断つ

夫の怒りや不機嫌の直接的原因を断つことで夫婦喧嘩を避ける方法として、老婆は、夫にたくさん食べさせて、じゅうぶんに睡眠をとらせることを推奨する。
もちろんこの老婆の教えを、「体調管理は夫婦が各自でおこなうもの。妻は夫の母親でも看護婦でもない。何故、妻が夫の世話をしなければいけないのだ」と言って、にべなく無視する女性もいるだろう。
しかしこの「何故、しなければいけないのだ」という問いには、是が非でも理由が必要不可欠なのだろうか。
理由がなければ、しないのか。理由がなければ、してはいけないのか。
理由がなくても、「する」、それで良いではないか。「する」ことで、犬も食わない夫婦喧嘩を避けることができるなら、それが最も大事ではないか。
「する」ことが損なのか。もしもそうだとしたら、何故、そこまで損得にこだわるのか。損得勘定が人生の基礎ならば、愛は不必要ということにならないか。

④喜びも悲しみも幾年月

喜びも悲しみも、基本的には個人的感情である。
夫が喜んでいるときは、せっかく喜んでいるのだから、たとえ自分が悲しくても、とりあえず自分の悲しみにはフタをしておけばよい。そして一緒に喜ぶフリをしてあげる。それは嘘かもしれないが、人間関係を良好に維持するための嘘ならば、良いではないか。それが「大人の立ち居振る舞い」というもの。
自分の悲しみは、またいつか別の日に、夫に訴えればよい。
あなたの夫が賢ければ、そのとき夫はあなたの悲しみを共有してくれるだろう。

蛇足

もしもフェミニストがこの老婆の教えを批判するとしたら、どのような批判を展開するかしらんと想像しながら読むと、「フェミニストはエゴイスト」という意見の妥当性も分かる気がします。

実際、男を尊敬しない女が、男から尊敬されることはありません。ほんとうに強い女とは、男を守りかつ尊敬できる女のことです。

もちろん、ほんとうに強い男とは、女を守りかつ尊敬できる男のことでありましょう。

フェミニストは自らを「弱者の味方」だと主張していますが、私見によれば、弱者とは、一緒に生きる他の誰かを、守ることも尊敬することもできない人間のことです。
たしかにそんな人間に結婚なんて、もったいないですよね。

「強くありたい」、来年の(来年も)、私のモットーです。

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