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徴兵制の虚実



井上達夫氏の主張

井上氏の『世界正義論』(筑摩書房、2012年)は良かった。
「市民的政治的人権(政治に参加する権利)」と「社会経済的人権(飢えない権利)」を区別して、前者に優位性を置く議論など、勉強になった。
また一般向けの『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでくださいー井上達夫の法哲学入門』(毎日新聞出版、2015年)も、『憲法の涙―リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください2』(毎日新聞出版、2016年)も良かった。

憲法9条に関して、改憲でも護憲でもなく、平和主義と個別的自衛権保持の立場から「9条削除」を求めるという説も説得力があった。
ただ井上氏は、憲法9条を削除したうえで、もしも戦力をもつなら徴兵制にせよと唱える。
氏は言う、「徴兵制は、国民が無責任な好戦感情にあおられないための歯止めですね。志願兵制で、一部の知らない人たちが遠いところで戦争をしている限り、国民は真剣に考えない。徴兵制下で戦争を決断したら、(中略)自分や家族が戦場で死ぬかもしれない。人を銃で撃たなければならなくなるかもしれない。だから戦争に慎重になる。」(『憲法の涙』54頁)

ここで僕は違和感を抱いた。

民主主義と徴兵制

たしかに18世紀の啓蒙思想家は、ルソーにせよ、ギベールにせよ、徴兵制を支持した。
国民主権なのだから国民には国を守る義務があるし、傭兵ではなく、自分の日々の生活に忙しい国民が兵士になれば、戦争の長期化は避けられると唱えられた。

実際、フランス革命期、徴兵制は定められた。
1798年のジュルダン法がそれだ。

このジュルダン法を修正しつつ発展させたのが、ナポレオンだ。
大きな修正点は「代理人制度」を認めたこと。出征が義務づけられた者は、出征したくなければ、代理人を雇うことができるとしたのだ。
それは、徴兵制の原理主義的な適用を避け、徴兵制に柔軟性を与え、各個人の状況を考慮に入れられるようにした。例えば、もしも息子が軍隊に行ったら、残った家族は暮らしに困る、そういう家族を救えるようにした。

ナポレオンの戦略

ナポレオンにとって重要なのは、国民主権でも徴兵制の柔軟な適用でもなく、求めた兵員数が集まることだった。

そもそもナポレオンは、徴兵制よりは、志願兵制のほうが良いと思っていた。
アマチュアの新兵よりも、プロの職業軍人のほうを信頼していた。

しかし絶え間ない戦争のなか、プロを育てている暇はなかった。
仕方がないので、しぶしぶ嫌々ながら、徴兵制に頼った。

というのも、当時のフランスは人口大国だった。
人口ならば、周辺諸国に勝てた。
だからこそ、多勢で無勢を攻略する戦法を用いて、戦争に勝とうとした。
そのために徴兵制を採用したのだった。

「兵隊が多ければ勝てる」「徴兵制で勝てる」、そう思えたからこそ、ナポレオンは徴兵制を実施したのだ。

徴兵制で勝てるのか

僕が井上達夫氏の徴兵制論に抱く危惧は、まさにこの点である。
果たして、徴兵制で勝てるのか。
機関銃もドローンもあるのに、兵員数がそんなに大事なのか。
徴兵制で集めた日本人の若者が、紛争地域において、専守防衛の理念に基づき(怖くても撃たれるまで撃つことなく)、非戦闘員を守る国際人道法の執行を実施する能力があるのか。

井上氏は東京大学の先生だから、真面目でおとなしい若者しか御存知ないのかもしれない。
けれども僕はいまどきの若者に不安を感じる。
自己中心的で、自己犠牲を否定する彼ら。権利だけを求め、義務に無頓着な彼ら。
薬物や闇バイトに手を染め、迷惑行為をへいきでおこなう彼ら。
彼らが銃を持ち、軍事機密に触れるのか!
不安を感じて当然ではないか。

どのようなカリキュラムで、彼らに「市民的徳」を教育できるつもりなのか。
予備役に登録して、おままごとのような訓練だけで、じゅうぶんだとお考えなのか。

徴兵制のコスト

それだけではない。徴兵制の実施にあたっては幾つもの問題が待ち構えている。

例えば女性。
男女共同参画社会だから、当然のことながら、女性市民にも兵士になってもらわなければ困る。
しかし若い男女が同じ現場で肉体労働をするとき、発生する問題は誰でも見当がつくだろう。
なにせ大学入試センター試験会場で、男子受験生が女子受験生をナンパして、問題になるのだ。
さてどうする?

さらには徴兵不服従の問題。
井上氏は良心的徴兵忌避については触れている。
しかし思想信条に関係なく、「怖いの、イヤなんだ」と言って逃げる、傷つきやすい、軟弱な若者については、どうなさるおつもりだろう。
彼らを捕まえて(そもそも誰が探して捕まえるの?憲兵?)、裁判にかけて、さてどうする?

西願の結論。徴兵制、非現実的。
少数精鋭の高度専門職業軍人(多国籍民間軍事会社など)に任せませんか。


参考文献

西願広望「セーヌ=アンフェリウール県における兵役代理制の実態」『史学雑誌』第108篇8号(1999年)。
西願広望「ナポレオン帝政期のセーヌ=アンフェリウール県における徴兵忌避と脱走」『歴史学研究』735号(2000年)。
阪口修平・丸畠宏太編著『近代ヨーロッパの探求⑫軍隊』(ミネルヴァ書房、2009年)。

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