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軍事革命論への異議申し立て

世界史における弱者とは誰なのか

ジェイソン・C・シャーマン『〈弱者〉の帝国 ヨーロッパ拡大の実態と新世界秩序の創造』(中央公論新社、2021年)を読んだ。
この本で、シャーマンは軍事革命論(近世ヨーロッパで生じた軍事技術の革新と、それを可能にした国家システムが、その後の地球規模でのヨーロッパの拡大と支配を生んだという理論)を疑問視している。

シャーマンは、近世において西洋世界が非西洋世界に対して行なった戦争では、軍事革命の成果が必ずしも適用されていないと指摘する。例えば、オランダ東インド会社の兵士は専門的な教練を受けた職業兵士ではなかった。

またシャーマンは、西洋の拡大に抗した非西洋の強さに注目する。例えば、南アメリカにおけるスペインの侵略に対して、最も有効に抵抗したのは、アステカ族やインカ族のように専門化の進んだ大規模な社会よりも、マプチェ族のように緩やかに組織された小部族集団だった。

そしてシャーマンは大胆な提言を立ち上げる。
そもそも近世において、西洋による非西洋の支配など、存在しなかったのではないか―。
シャーマンによれば、西洋人は非西洋を支配しなかった。むしろ、西洋人は非西洋人に、おもねりへつらい恭順して、とりいっただけのことだ。
たしかにポルトガルもオランダも、日本の戦国大名にぺこぺこしていたことを、私たちは知っている。どうやらそれは日本でだけでなく、世界のあちらこちらで見られた光景だったらしい。

さらにシャーマンは非西洋の強さと西洋の弱さに関する自説の射程を近現代にも伸ばす。
実際、19世紀前半、フランスはアルジェリア先住民を鎮圧するために、全軍の3分の1にあたる10万人以上の兵士を投じることを余儀なくされた。
つまり指摘されるべきは、先住民の想定外の強力な抵抗に対する、西洋諸国の悪戦苦闘ぶりなのだ。
そのうえ、20世紀の脱植民地化戦争(例えばヴェトナム戦争)は、「最も先進的な技術と最大の経済、最も発展した国家装置を有する国が勝利するという安易な想定を決定的に覆している(189頁)」。

実際、21世紀に入っても、アメリカの、イラクやアフガニスタンでの悪戦苦闘を想起すれば、果たして本当に西洋諸国は強者なのかという疑いが生じるのは当然である。
だからこそシャーマンはこの書を『〈弱者〉の帝国』と題したのだ。
もちろんこの場合の〈弱者〉とは西洋諸国を指す。
つまりたしかに西洋諸国は植民地帝国をつくったと言えるかもしれないが、その西洋諸国は一般に思われているほどには強者ではない、そういうメッセージがタイトルには込められているのだ。


植民地史のプロットについて

私が植民地史を研究し始めた理由は、ポストコロニアリストの歴史叙述に論理的な混乱を見出したからである。
ポストコロニアリストは「弱い者いじめ」のプロットを用いて、西洋による非西洋の支配を叙述する。
しかし、本当に、非西洋は弱かったのか?
弱かったとしたら、いつ、どのような面で弱かったのか?
ひとつ確かなのは、少なくとも戦争においては、必ずしも常に弱い者であったとは言えないということである。

例えば、19世紀初め、ナポレオンはサン=ドマング島(現ハイチ)における黒人奴隷の反乱を鎮圧するため、遠征軍を派遣した。
しかしナポレオン軍は敗北した。(黒人奴隷はアフリカで暮らしていたとき、既に銃を用いての戦闘経験があり、ナポレオン軍を迎え撃つことができるほどまでにじゅうぶん強かった。)
そして最終的にハイチは独立を勝ち得た。
もしも最終的な軍事的勝者を強者とするならば、黒人奴隷を弱者とみなし、「弱い者いじめ」のプロットを用いた叙述は、おかしなことにならないだろうか。

同様のことは、20世紀の脱植民地化戦争で軍事的に勝利したすべての国々について言えよう。

「弱い者いじめ」のプロットを用いるならば、まずもって弱者の定義を精確にすべきである。

さらに言えば、弱者が必ずしも常に「完全無欠な善人」とは限らないことも忘れてはいけないだろう。
例えば、現在、ロシアからいじめられているウクライナは、中国に空母を売却したほどの、武器輸出国(死の商人)である。ウクライナは「完全無欠な善人」ではない。
もちろんウクライナに侵略戦争を仕掛けたプーチンに、開戦責任があることにかわりはないが。

そもそもウクライナは、誰から見ても文句なしの絶対的な弱者ではない。
少なくとも、ウクライナとの戦闘で傷ついたロシア兵ならば言うだろう、「ウクライナ人は強いぜ」と。



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