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第606回【筋トレ日誌 その他日々是】597(2023/1/17)▲▲ノンフィクションに触れ世界を広げる▲▲

先日見たNHKスペシャル

『認知症の母と脳科学者の私』

『私』である恩蔵絢子さんの書籍、

『脳科学者の母が、認知症になる』

を読んでおりました。


番組を予め見ていたので

認知症の家族が身近にいるとは

どういう事なのかを理解していたつもりでしたが、

まだまだ知らない世界がある事に

驚かされつつも、

自分が同様の立場になった際の

イメージングが出来たような気がします。


もちろんテレビの番組で語られるのは

ある程度絵になるカットを選んでいるとはいえ、

番組を拝聴し書籍も拝読し感じたのは

恩蔵さんも言う通り下記のことかもしれません。


『認知症は、言われる前は、

悲惨な将来を思い描くけれど、

言われてしまえば、

昨日の母と今日の母とが

急に別のものになってしまうことなどなくて、

今までの継続があるだけだった。

突然何もかもができなくなるというより、

認知機能はゆっくりゆっくり落ちていくのであって、

時間はいっぱいあるのだった。』

恩蔵絢子 『脳科学者の母が、認知症になる記憶を失うと、その人は“その人”でなくなるのか?』


認知症のメカニズムは専門家にお任せするとして、

認知症の人間は

空っぽになってしまった生き物ではなく、

感情が根っこのところに残っていると言います。


認知症になった方は

突然怒りだしたり、

脈絡のないことを言い始めたり、

と認知症では無い人にとっては

不可思議な世界と遭遇します。


しかしこの行動は、

自分の置かれている環境への

不安や戸惑い、

自分がこの世で必要とされていない事への

苛立ちから来ているの

だそうです。


『簡単なことでいいから自分が主体性を感じられる場所、

小さなことでいいから人の役に立つことができて、

人から認めてもらえる場所なら、

そこが好きになるし、

楽しむことができる』

恩蔵絢子 『脳科学者の母が、認知症になる記憶を失うと、その人は“その人”でなくなるのか?』


やはりこの手のノンフィクションの系の話は、

知っているか知らないかで

大違いの結果を生む気がします。


認知症の家族を持った時に

悲しみに暮れるのか。

それとも

家族の新しい一面を知ることが出来たと

前向きに考えるのか。


一筋縄ではいかない課題ではあるし、

そう簡単に割り切れることでもないでしょう。


それでも

既に起きた未来を知っているかどうかで

心持ちに変化は起こせるのだと思います。


今日も

素晴らしい一日をお過ごしください。

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