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自己評価が低いのに自己肯定感が高い!(5/14)

4時間未満睡眠や日中の居眠りが慣例化してしまう前に、ようやく睡眠らしき睡眠ができるようになってきた。
これまでとは少し違う、ニュータイプの時差ボケなのか?

今日はとにかくひたすら言葉、言葉、言葉!の一日だった。私の大好物だ。ASDの診断で医師に言われた通り、言葉の能力だけが抜きん出て高いという世武脳波が喜ぶので、いつも世話になっているお礼にとついついサービスしてしまう。

さて、これから色々な側面でお世話になるであろうエージェントのアントワーヌ氏と再会し、ランチをとりながら今後の仕事の進め方を打ち合わせた。

「今後の仕事の」と言っても、実際にはまず私のデモリールを作るところから。これまで作ってきた映画の音楽から何をどう抽出して音源リストにまとめるか、これは名刺のような、挨拶代わりの大切な資料になるわけだけど、いかんせん何がどう人に刺さるのかが分からない。

「君のその強い個性をきちっと体現している曲をまず集めて、僕に送ってきて!そうだね、20曲くらいが丁度いいかな」とエージェントに言われるも、自分で自分の個性が分からないので始まらない。謙遜的な意味合いはなく、単純に、本人としてはサラッと曲を書いているだけなので何が自分らしさなのかイマイチよく分からない。

「自分らしさ」は頻繁に討論のテーマになったりするが、個人的にはあまり考えたことがない。というより、考える必要性を感じたことがない。なぜ人はしきりに「らしさ」にこだわるのだろうか。何かが不安なのだろうか。

誰かを肯定したい、鼓舞したい時に「らしさ」という言葉を使うことはある。あまり意味をなさない言葉だと思いつつも、意味をなさないまま相手に手渡したい気持ちの時には使い勝手が良い。

「それがあなたらしさなのだから、他の誰かみたいになろうなんて、まずその必要はないと思うよ」みたいな感じで。もちろん口から出まかせではない。その人を肯定したいという確かな気持ちに支えられている。ただ、その気持ちに支えられた「らしさ」の必要性はよく分からないってだけ。

さてさて、(自分の)「らしさ」に無頓着に生きていることをエージェントに素直に伝え、彼が20曲に絞るための50曲を提出することになった。
彼が「世武らしさ」を見繕ってくれるらしい。正直とても助かる。

エージェントに美味しいボンゴレをご馳走になったあと、次のランデブーへと向かう。日本で取材をして頂いたご縁で会うようになったKさんがフランスにやってきたのだ。明日から映画祭の現地レポでカンヌ入りをするらしく、その前にパリで会いましょう!ということになっていた。再会を楽しみにしていた人だ。

あらゆるジャンルの話を沢山したが、その中でまたしても「らしさ」に纏わる話が出てきた。今日はどうやら、これについて考える日らしい。

「世武さんのその強さ、憧れてます。世武さんは自分に厳しくて自己評価が低いのに、どうして自己肯定感が高いのか、ぜひ今日の日記に書いて欲しい!」

Kさんが言う通り、私は自己評価がとても厳しい。というか、対象が自分であろうが他人であろうが、評価がとても厳しい方だと思う。当然この姿勢には賛否あると思うが、私は今のところこれで良い、というより、これが良いと思って生きている。

まず「自分に厳しく、他人には優しい」という爆発的好感度を伴う理想像があると思うが、理想と現実ってそんなきれいごとなの?と少し警戒する。

「人間一歩あるけばだいたいスターウォーズ」
これは私の座右の銘(違う)である。要するに、この世界のあちこちにダークサイドへの誘いが用意されているってことなんだけど、ダークサイドは勧誘が本当に上手くて、老若男女をすぐに虜にし、あらゆる手段を使って仕掛けを発動してくる。ルークが健気に頑張ってるのに邪魔しないでよ!!(親心が爆発)(深呼吸してもろて)

そんな"世界総ダークサイド時代 since 紀元前"において、自分に厳しくて他人には優しいなんて、他者への無関心というダークサイドとあまりにも紙一重ではないか?というのが私の持論で(正論とは言わない)、だからこそ、ダークサイドにフォールしない程度に善処することを選択した結果が「自分にも他人にも等しく厳しい」なのである。もちろん、これはあくまで評価軸の話であって、評価後に優しさを表現することはできる、ことは力強く主張したい。

何故か自己評価と肯定感が混ぜこぜになって「世武は自己肯定感が低い」と言われることがあるのだが、その都度「この人の自己肯定感の定義は私のと違うのかな?」と思いながら、特に反論せず乗っかったり流したりする。
飲み会における血液型トークと同等の軽さを持っているだろう可能性も加味して。

私は相応に自分のことを評価していると思っているので、自己評価に不服がない。
「あなたは自分で思ってるよりもっと音楽の才能がある!卑下している!」とか「いやいや、世武さんは綺麗だと思うよ」と言われた際には、まず有り難く賛辞を頂戴し、二つに折って胸ポケットにしまう。

それから「それはあなたの評価であり、その時点で"自己評価の他者評価"なんですよね。私は自分に相応の評価をしているから、当然自己肯定感は下がらない。なんなら自分の良いところにもダメなところにも愛着があります」という可愛げのない言葉を、実は紙に書いて胸ポケットに入れていたことを思い出す。

さっき二つ折りにした賛辞の言葉と私の可愛げのない言葉は同じポケットの中に仕舞われて、私たちがもう別の話に移っているってのに、たまにカサカサと擦れては胸元で言葉を揺らし続けるのである。

相変わらず簡潔に書けないので長ったらしくなったけれど、カンヌまでの長旅の暇潰しくらいにはなるかも知れない。

まあよく分かんないけど、自分”らしく”生きていれば、自分で勝手に自己肯定して万事OKだと思うぜ!


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