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肉体を持たない存在との遭遇:量子力学

 先ずは、1本の動画を御覧ください。
 固定観念を外し、幼少期の天真爛漫・純粋無垢・無邪気な頃を思い出す・戻り、最後までの視聴を強く御勧めします。
 今後の貴方の人生に違った色どりを加える・添える事になる、きっかけ・転機になるかもしれない位の大変に興味深い内容だと思いますし、後ほど記する私の体験談の参考にもして頂けたらと思います。

 武田邦彦さんは尊敬する人物の御一人であり、その知識・知見・見識・価値観・考え方・生き様などからの情報発信を常に参考にし、勿論、全てに同意・同調・崇拝・妄信などをしてるわけではありませんけど、その殆どに共感・同意・同調し、大変に勉強させて頂いてますし、沢山の動画がありますが、どの動画からも既存の情報発信媒体からは得られない、より多くの気付き・情報・価値観・知識・考え方・学びが得られ、崩壊の途中と思しき現在の社会システムを構成する様々な分野が、如何に不誠実・独占的・利己的・詐欺的・不平等・不公平であるか納得させること請け合いです。

 武田さんのチャンネルです。


 さて、本題に入ります。

 十数年前の、とある日の出来事です。

 実家から車で20分程の場所に鎮座する、由緒ある神社にての参拝中、肉体を持たない何らかの存在に遭遇しました。
 もしかしたら、肉体的な物はありつつも、お互いの周波数的な違いや、存在する次元の違い等の理由で見えなかった等の、別の理由・可能性があったのかもしれませんが・・・。

 その存在との遭遇の様子は後述するとして、先ずは、遭遇した神社について御紹介します。

麓に在る行縢神社の御神体である行縢山

 現在は、様々な理由から神社への参拝は遠のいていますが、当時は方々の神社へ参拝していた時期であり、例えば、日向市の大御神社の様な明るさ・清々しさを感じる神社とは対極にある、行縢神社は、ある種の畏怖や恐怖を感じ、最も気が引き締まる、威厳・荘厳という言葉が思い浮かぶ神社です。


 肉体を持たない存在との遭遇ですが、本殿での参拝を終え、玉砂利を踏み締め、本殿裏手へ歩を進めていた際に突如、「ブーーーン」という、映画内でUFOが発する金属音に似た音が頭の中に鳴り響き始めました。
 「ご先祖が近くに居る証拠」との例えもある耳鳴り時には「キーーーン」という似た様な音が頭の中に鳴り響きますが、それとは音質・音量・鳴り響く時間・鳴る様相が全く違っており、数百匹のスズメバチの集団が一斉に羽ばたくが如しの「ブーーーン」という音が、私の上空をの空間を波の様に移動しながら行ったり来たりする様子が手に取る様に認識できたのです。
 音が突然に止まったかと思えば鳴り出したり、また、止まったりを繰り返しながら、とにかく、波状に動いてる様子が明確に判るのです。
 時間的には数分の出来事でしたが、なぜか「殺されるかも」という想いが湧いてきたりもしましたけど、私達とは違う形態での存在を、それまでの曖昧さから確信に変えてくれた貴重な経験でした。

 後ほど調べましたら、同様の音は、その神社の祭神様に仕える存在が発するという記述を見ましたが、私が本殿の参拝時に採った、俗に言う下世話な願いという行為に思い当たる節があり、その説に納得する点があった事は確かではあります。

 特に印象に残った感想としては、音から感じる波動的な側面が我々、生物の持つ温もりなどに感じる「陽」ではなく、感情が希薄で機械的な「陰」を感じた点でしたが、別に「陰」だから悪い等の想いではなく、単純に「陰」と感じたまでですし、これからも、表の現実世界を第一にしつつも、内面の要の部分には見えない世界を大事に据え続けるつもりです。

 白黒・明確・具体的などが主流の欧米型思考の対極に、ともすれば曖昧とも揶揄され、負の印象を抱かれがちである日本古来より続いている程々・よい加減・適度な感覚・価値観・捉え方がありますが、どちらが良い悪いの話ではなく、時と場合・臨機応変で使い分ければ良いのでしょうけど、どちらかと言えば日本古来からのものや事を良しとする私は、肉体を持たない存在の具体的な詳細については殆ど興味が無く、我々とは違う形態での存在を実感できた事だけで満足であり収穫でもありました。


追伸:私は一般的に不思議と言われる様な現象に対しての疑問が全く無く、自宅の観葉植物が「ニョロニョロ」と、まるで、ミミズの様に大きく蠢く姿に遭遇した際も全く疑問なく、極、普通の出来事の様に眺めてましたし、仮に宇宙人が目の前に現れたとしても全く疑問を抱く事なく、素直に受け入れるであろうタイプの人間ですから、肉体を持たない存在に遭遇した際も存在に対しての疑問を抱く事は全くありませんでした。
 前述した、通常では有り得ないとされてる蠢く観葉植物についての話は、追々、記事にします。
 冒頭で紹介した武田さんの動画内容にもある、一昔前の物理学の世界で最小単位とされていた物質よりも、更に小さな物質が発見され、物理学を更に発展させた量子力学の世界の最小単位である素粒子は、人間が意識して観察した時とそうでない時との動き方が全く違っており、まるで、意思を持ってる様だという風に捉えられてもいるそうで、超常現象・不思議・見えない世界と言われている現象や世界は現実に存在するという認識があるそうですから、その様な観点からも、私の体験は別に特別とか不思議とかいう体験では無いと個人的には考えます。

 感想は各々に委ねますし、それぞれの判断の全てが、それぞれにとって正しいと思いますし、何らかを心に感じる方がいらっしゃったならば投稿した甲斐があり本望です。

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