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第五章①:43歳~ 現在まで 【 波瀾万丈な半生を歩んで、人生折り返し地点でようやく立ち上がるまでのお話 】

KINGです。おはこんばんちは。

さぁ、いよいよ現在までを綴る 第五章へと入って参ります!
前章ラストで『奈落の底へ』落ちていくことが決まったわけですが、まずは実際に その奈落の底へ落ちるところスタートですね!(重いな…w)

どうぞ駄文にお付き合いくださいませ。



◆ 23年半振りの地元への帰還、奈落の底への各種手続き

引っ越し業者に家財や原付を預け、自身は最低限の荷物だけ持って、単身 新幹線で愛知へと。新居への入居が可能になる日までの数日間は 実家で寝泊まりさせてもらいました。
入居日にタイミングを合わせて引っ越し業者が荷物を届けてくれるんですが、当然 原付はその中に含まれているので、各種手続きのための動き出しは 原付が手元に戻ってきてからです。(愛知までの移動は 新幹線やら電車やらを乗り継いできたわけですけど、それは たまたま運良く発作が出なかっただけですw)

と、急ぎ足で引っ越しを進めてきたわけですが、
その 愛知への移動日~入居日 までの数日間、いきなり【どこにも行けないし、何の予定もない】期間が生まれてしまったんですね。

そこで気付きました。
20歳の誕生日に地元を離れ、それから何度か帰省することはあっても、基本的に親族と会う用件があっての帰省であることが多く、当時の友人達と会う機会は 殆ど持ってこなかったうえで、23年半も経って帰ってきても、
…連絡を取れるような友人・知人が、誰も居ねぇ!!!ということに。。

ましてや、これから直ぐに仕事を探す とかするでもないわけで。
知り合いが増えていく機会もほぼないんだろうし、寂しい一人暮らしになるんだろうなぁーなんて ボケぇ~っと考えながら、その数日間を過ごしました。

そして、入居日がやってきて、原付も戻ってきて 移動手段を得たので、
やらねばならんことを やり始めました。


◇ 生活保護費受給のための手続き

市役所へ行き、転入届を出す。そのまま福祉課へ向かい、生活保護の申請を行う。(自己破産する旨も伝えて)
あとは、受給要件を満たしているかの審査期間を経て、支給が開始される通知が届くのを待つのみ。

ただし、その審査内容としては【3親等までの親族を対象にした扶養照会】が含まれるので、照会対象になり得る親族の皆さん(既に成人済みの B子ちゃん含む…)へ
『扶養照会があっても「扶養できない」と正直に答えてくれればいいから』
と、事前に連絡しておいて。

申請をしてから 2ヶ月後には、無事に生活保護費の支給が開始されました。


◇ 自己破産するための手続き

まず、地元から一番近くの 愛知の法テラスの場所を探して、無料相談予約して、法テラスから紹介された弁護士事務所へ行って 諸々の状況説明をしてきました。
自己破産手続きに入るために準備しなければならないことが色々とあって、それを整理するので相談時間は終わりました。

自己破産する、その手続きを開始(破産申し立て)すると、一定の範囲を除いて財産は全て処分(全債権者への返済の一部として充当)されます。今後の生活に必要な範囲の財産は手元に残りますが、その一定の範囲とは 10万円未満だと伝えられました。
幸い(?)、当時の預貯金はさほど残っておらず、裁判所への予納金や 生活保護費の支給開始までの生活費として消費する分を除けば、10万円にも満たないほどしかありませんでした。

自分の保有する全銀行口座の情報(過去数年分の入出金明細レベルに)、
それまでの生活でどのような消費をしていたかの 家計簿レベルの記録(無駄な浪費やギャンブルなどの有無確認に必要なんでしょうね)、
借金の存在する全債権者の情報(借金総額の分かるものと、連絡先など)、
そういった 破産申し立てするのに必要な書類・情報をまとめて、
再度 弁護士さんのところへ行き、正式に破産申し立てをしてきました。

一口に「自己破産する」といっても、裁判所で取り扱う事件ですから、
破産が認められて 免責が下りるまでに、結構な期間が掛かります。
弁護士さんとの面談も何度もありましたし、管財事件扱いでしたので 破産管財人になっていただいた別の弁護士さんとも面談が数回。
で、管財人が諸々詳細なところまで調べ尽くして 破産手続きとしての要件を満たしているかの意見を纏めて裁判所での判決に委ねる となると、
ようやく裁判所への呼び出しがあります。

通常、管財事件となった破産手続きがちゃんと裁判所まで進んで、判決が「免責不許可」になることは あんまないんだと思いますが、
無事に免責の許可が下りまして。
そこまでに要した期間は、初めて愛知の弁護士さんのところに相談に行ってから 1年半近くは掛かりましたね。

あ、ちなみに、破産申し立てをした時点で、各債権者へ受任通知というのが送られて、債務者への直接の負債取り立てが禁じられるんですね。よって、その時点から もう返済をしなくてよくなるんです。(仮に 免責をもらえない という結果になったら、その期間分も込みで 後から取り立てられるんだとは思いますが)
なので、急いで引っ越して、急いで破産手続きを開始した方がいい、ということだったんですね。


と、すったもんだで、無事に(?)奈落の底へ転がり落ちきりました。


◆ 仕事をしないで生き続けていることによる、労働意欲の消失感

とうとう、生活保護のお世話になって生きる身になってしまいました。

毎月決まった日に、決まった額の「健康で文化的な最低限度の生活を送る」ための生活保護費が振り込まれてくる。
何もしていなくても。

もちろん、就労が可能な人は そのための前向きな活動をしなくちゃいけないんですが、俺の場合、病気を理由に職を失い、その病気を治療することに専念するために 無理な就労をしないということを理由に 生活保護を受給しており、ケースワーカーさんにも「就活しろ!」とは言われません。
心療内科へ定期的に通っていることは、そもそも医療券というのを市役所から事前に貰って、それを持って通院することになるので、市役所としては把握はできているし。(ある時期から、医療券での扱いから 自立支援医療 (精神通院医療) というのに 切り替えましたが)

なので、今までの生活でやっていたことの中から、ポッカリと【仕事をして、自力で収入を得る】という行動がなくなってしまったんですね。
もちろん、それが『パニック障害の完治のための手段』として、自分で選んだものです。…とはいえ、そうした【これまでの生活の中で、パニック発作の起きる要因となっていた行動】の一切を排除して、薬物療法だけを続けて生活していても、認知行動療法を適用できるようなケースが 特別に起きるわけでもなく。
パニック障害の治療状況としては、一進一退、いまだに飲み続けている有り様です。。

ただ、【仕事をして、自力で収入を得る】という部分がなくなっただけの、治療としては何も進んでいないような、そんな虚無感を抱きながら 日々を過ごしていました。
仕事をしなければ! 早く自活できるようにならなければ! という気持ちすらも、次第に 薄らいでいきました。。

『パニックの状況が良くなってきたら、仕事探せばいいんだから』
『いまだにパニック発作が出てる以上、まだその段階じゃないんだよ』
『先生も、焦らなくていいって言ってる。だから、いいんだ』

自分の中で、現状から抜け出せていないことへの言い訳ばかりを語りかけ、甘えて、努力もしないで生きている 今の自分を ただ正当化して、
労働意欲がなくなっていく感覚に気付きながらも 動き出せずにいました。

そうは言っても、自己破産の免責が下りるまでの間は、一応【やってること】がある状態だったので それでいいと思ってましたが、
いざ 自己破産も全て完遂して、本当にやることがない日々になったとき、
さすがに

『 やっぱり、このままじゃイカンよな!? 』

と、
在宅ワークで 無理のない範囲で パニック障害のことも事前にちゃんと把握しておいてもらったうえでの、仕事を始めなきゃ!と、思ったんですね。

ウチにある ノートPC は古く、一応 Windows 11 にアップグレードできるだけのスペックはあるものでしたが、
何をインストールしてあったのかもう忘れましたが(笑)、起動するにせよ 何か操作するにせよ、とにかく時間が掛かり、重すぎて とても業務に使用できるレベルのものではありませんでした。
なので、母のクレジットカードを使わせてもらい、
デスクトップPC、ディスプレイ、キーボード、WEBカメラ、ヘッドセット、あと必要なケーブル類、これ等一式を なるべく安く、購入しました(総額で65,000円ぐらい)。
母への返済は、生活保護費から 毎月5,000円ずつ返していくということにして。(本来、生活保護受給者が 分割支払でものを買ったり、借金したりすることは、禁じられています。見逃してください…。もう完済してますしw)

そして、【在宅ワークで 無理のない範囲で パニック障害のことも事前にちゃんと把握しておいてもらったうえでの、仕事】を始めるための、仕事探しを始めました。
時間は掛かりましたが、なんとか こんな難条件を適えてくれる企業様に巡り会え、在宅ワークで 仕事を始めました。

初めの 1~2ヶ月の間は、本当に無理のないペースで、週に 2~3日、1日あたり 4~5時間の就業 というスタイルで、続けられてました。
しかし、いくら自分のペースでいいと言っても、仕事をする日は 事前に申告する必要があり、その決まった日の 決まった時間に、PC の前で業務を開始できる状態に必ずなっていなければならない という部分が、明確にストレスに感じてきて、パニック発作が出てきてしまうようになりました。。

最大限 歩み寄ってくださったうえで、こうして就業させていただける機会をくださった企業様に申し訳ないという気持ちが募れば募るほど、申告しているシフト通りに就業できない日が増えていきました。
1年半ほどの間 契約を続けてくださっていましたが、結局 契約を終了するとのご連絡が先方よりあり、
また【仕事をして、自力で収入を得る】ことが皆無の生活に戻りました。

途方に暮れ、

『通勤を伴わない 在宅ワークでの、
 しかも あんなに理解を示してくれて無理もさせない企業様での
 就業ですらも続けられないんじゃ、
 社会復帰とか……、もう 無理なの…か?』

そんな思いが、心を蝕んでいくようでした。


そんな思いに押し潰されないよう、あまり考えないように、
日々 ただスマホでゲームしたり、ポイ活に夢中になったりしてるだけの生活の中で、とあるアンケートに回答していて(ポイ活の一環)、あるセミナーの広告に辿り着いたのです。
正にそれが、自分の現状を変えてくれる突破口になろうとは、この時の俺は 気付いていません。

ただ、そのセミナー広告を 初めから終わりまで舐めるように読み終わったときには、誘われるように「無料面談申込」のボタンを押していたのです。


いやぁ、第五章も 1回で書き切れなかったですねww
お次は

で、お会いしましょう。
続きはどうなることやら、、、

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