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わたしについて③ 〜東京仕送りなし生活〜

 高校3年の夏のインターハイが終わってから、急いで大学入試の準備を始めましたが、どうしても親には、早稲田に行くとは言えませんでした。
「お金がない」と反対されることを知っていたから。

 でも自分の可能性を諦めたくなかったので、親には内緒で願書を提出しました。「親にはいっさい頼らない。仕送りもしてもらわない。」と決断していました。

 親にはほぼ合格が決まってから話をしたと思いますが、「良かったね」という反応ではなく、やはりお金の心配をしていました。

 私は、高校の成績が良かったので、大学の学内奨学金がもらえ、学費の80%(だったと思いますが)が免除になり、他に日本育英会の奨学金で大学に通い、バイトで生活費を稼いでいました。

 バイトは掛け持ちで、家庭教師とステーキハウスでウエイトレスをしていました。家庭教師は、当時で時給2,500円で、ステーキハウスでは朝4時までバイトをしていました。

 4畳半のトイレ・風呂なしの2万円くらいの部屋に住み、近くの銭湯に通っていましたが、バイトの終わる時間だと銭湯が閉まってしまうので、洗面所で髪を洗うことも多々ありました。

 とにかく、お金が無かったので、うちの近くの弁当屋さんで、400円くらいの唐揚げ弁当を買って、昼と夜の二回に分けて食べるという感じでした。

 大学では、苦手な英語の授業が週4日あり、ネイテイブの先生だったので、日本語が通じないため、必死に勉強をしていました。得意なのは、フランス語でした。

 大学のサークル新歓の飲み会では、よく、一番人気と言われ、私と話したいという男子学生が30人ほど待っている状態でした。雑誌や映画出演の機会もあったり、ミス早稲田に推薦したいという声もありました。

 
 〜次回につづく〜

 
 

  

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