かんてん
様々なフリー切符や長旅に出た記録の置き場。
高校・大学・社会人…かんてんが歩んだ鉄道写真を少しずつ上げて皆さんと振り返りたいなと思う場所。 特に腕は期待しないでください。 古のやつ出てくる可能性アリ
著者のお知らせ・あとがき・クリエイトの様々を記します。
はじめに ようやく間に合った。この記事を書いて4月の助走を切ることが出来そうだ。(自分がとにかく怠惰な事、そして更に九州・広島の一件を長く書き続けたツケが回っているような感じはすれども…) 取り敢えず、最近に自分を知って下さった方々は自分を「学ランキャラ」として認識して下さっている事も多いだろう。そして、外に繰り出せばその理由も多く聞かれる。Twitterにて「学ランで言われた言葉打線」というのをツイートした時には若干の反応があり、非常に手応えを感じたが… それはそれ
自分としてはかなり予想外な入手になりました。 というのも、発売が決定し公式では『5月31日より発売』とありましたがよく利用しますJoshinのキッズランドに何日か前に出向いたところ。 もう既に販売されていました。 取り敢えず速攻で購入。この後、 『この模型を走らせる手順』 まで記しています。どうぞ宜しければ。 では改めまして。 鉄道コレクション、名鉄6000系 6010Fの復刻塗装車両です。 この車両は名鉄のはじめて誕生した冷房車両である5500系をイメージし
大月行き電車 既に夕暮れの河口湖の駅。 自分は再び列車に乗車して大月の駅へ向かう。 終点まで乗車すれば、ある程度の暇つぶしにもなろうかという感じだったが大半の時間は寝ていて大体の記憶を紛失してしまう事になる。 冒頭の写真は大月まで向かう列車に乗車した際に撮影した記録だ。 6700系NARUTO電車の側面である。 富士山駅では一部しか切り抜いて撮影できずだったが、河口湖の留置線では偶然にもホーム側に停車していたので車内から撮影可能なのであった。 助っ人列車
前回分の記事を読んでいた方は分かるかと思うのですが、今回も東海地区の鉄道に関する話です。 今回は三重県の北勢地区。いなべ市を走る全長30キロ程度の路線、三岐鉄道の写真です。 三岐鉄道といえばやはり貨物列車なのですが…今回は貨物列車ではなくその脇を走る旅客車両から。 写真の車両は、かつて西武で401系として活躍していた車両でした。西武では増結車として。そして2両で活躍しそのまま引退を迎えた事から譲渡時は引く手数多な状態で、全車が廃車にならず上信電鉄・近江鉄道などに譲渡さ
上げるネタならたくさんあるやろぉ〜、なんですが、もうこの記録に関しては確か平成28年くらいで、もう自分は高校生の頃になります。 あぁ、懐かしい。あの頃に戻れるなら真剣に勉強して、良い大学を再び目指してみたいものです。 と、叶わない夢を残したところで… 今回の写真は関西本線で最後の活躍を見せたDD51形ディーゼル機関車の貨物列車です。 関西本線では、確か令和に入っても少しだけ。 タンク列車とコンテナ列車が残り少なくなったディーゼル機関車、DD51形によって運転されて
河口湖線とハエニッパ 埼京線から譲渡され、首都圏最後の205系として尽力した205系ハエ28編成は、この富士急行に転職して富士急ハイランドの人気アトラクション『きかんしゃトーマスランド』のラッピング装飾を身に纏って活躍している。 訪問した際にはその装飾をじっくり見る事は出来ず、ただただ混雑の中に紛れていたので撮影や記録に浸る事は出来なかった。 やっとの思いにて富士急ハイランド方面への河口湖行きに乗車する。コレにて富士急行線は完全乗車達成…になるのだが、トーマスランド号
皆様、どうお過ごしでしょうか。 どうも、かんてんです。 簡易的な写真にしようなんて探っていましたら、これまで収集しているカプセルプラレールの写真が出土しましたのでコチラに。 タイトルにもありますように、ここ最近までずっと毎日投稿していたんですよ。 そんで10日も連続で上げていたので、バッジも貰いましたね。次は1ヶ月ずっとやろー!なんて思いましたが、結局ここで切れました… てゆーか毎日投稿するのってかなり難しいですし、日記的な使い方。作品を作って生み出すような感覚で
富士山駅にて フジサン特急を下車し、この駅である撮影の為に駅で暇を潰す。 フジサン特急を下車した時、横には大月方面に向かおうとしている205系改造の6700系が停車していた。 この駅はかつて『富士吉田駅』であったが、平成23年に駅をリニューアルする際に『富士山駅』に改称されたのであった。リニューアルは富士急行線の中で走行している観光特急のうちの1本。『富士山ビュー特急』と同じデザイナーによるものだ。 水戸岡鋭治氏のデザインがキラリと光り冴える駅となり、明るさと同時に
現在では新塗装化が進行し、時々ではありますが派手な車両が走行する京阪の石山坂本線。 ファンの間では石坂線の愛称で親しまれる路線ですが、かつてはこんな色の車両が走行していました。 色を見れば分かると思いますが、坂本比叡山口から先の坂本ケーブルの塗装です。 600形の611-612に塗装され(ラッピングだったかしら)、平成19年からこの姿で走行していました。 確か、この年…平成29年あたりで終わったような記憶があります。 この姿、個人的にはかなり気に入っており、未だに
もう1つのOB 御殿場線の華であった371系の転職列車、富士山ビュー特急を都留文科大学で下車した。 この駅で特急に乗り換えて再び富士山方面に向かう。 この富士急行線では、御殿場線で優等列車の時代の全盛期を支えた列車が共演している。都留文科大学まで乗車した富士山ビュー特急はその1つで、もう1つはこの後にやってくる列車だ。 都留文科大学で下車し改札外に出札。 その際にNARUTO列車(ここからは以下略)の折返しと遭遇する。しかしこの列車には乗車しない。もう1つのとって
愛した味を探して 下吉田付近での忠霊塔に近い踏切で撮影を終了すると、自分が予ねてより行きたかったうどん屋に向かった。 ミュージシャン、志村正彦氏が勧めたうどん屋、『みうらうどん』である。この店のうどんを、志村氏は生前ずっと愛していたのだとか。 やはり富士急行沿線を志村氏浮かべて訪問するのであればこの地は欠かせないだろう。大根パスタと迷ったが、そのカフェは次回に訪問する事にした。 という事で下吉田の駅を通り過ぎて店に向かう。『みうらうどん』までは20分かかるかかからな
最近の話ですが、TOMIXから近鉄12200系のNゲージ製品化が発表されました。 と言っても現状、製品化の企画が進行した…といった具合のようで、まだまだ表面的な告知だけです。 自分にとっては赤子の頃から母親に抱かれて乗車し、そして高校生からは撮影で。時には乗車して祖父母に会いに三重へ行く手段として世話になりました。 盆に正月は座席が埋まっていて、喫煙車の曇った車内で青山越えとなり、三重と京都を行き来したのは良い思い出です。 健康増進法の進行で、そうした体験も過去にな
何年か前、少しだけある生放送にハマっていた都合などもありまして養老鉄道に通っていました。美濃本郷STATIONといいます。探してみてください。 そうした中で、一回だけこんな並びを見ました。 忘れもしない、東赤坂駅。 偶々ですが訪問すると、当時はセンロク色であった600系D04編成が現在もラビットカラーを維持している同形式D06編成と並びました。 気付いたのは自分だけ。そして撮影に行ったのも自分だけだったので、今を思えばレアな何かです… ちなみに左のD04編成ですが
下車駅・三つ峠 この駅でJRからの直通列車を下車して、撮影地を探しに向かう。 三つ峠から先、寿までの区間は富士急行線随一の撮影地の多さであり、関東圏の鉄道ファンがこよなく愛する撮影地が多い。 そうした中で、自分もそこに惹かれて下車してみた。また、漫画家…しろ先生によって描かれた漫画・TVアニメである『ヤマノススメ』にてこの三つ峠駅は登場した事があり、自分は奇しくもその回を学生時代に視聴していた体験があったので一度は下車を…と思った中であったのだ。しかしヤマノススメ作中
近況…と言える近況ではないのですが、広島県の安芸高田町にあるキハ58-554がどうやら解体の危機を迎えている… との事で、5月前半にあったGWを利用して訪問してきました。 話に関してはまたじっくり記していこうかと思いますが、今年度の6月に実施される議会でこの車両の処遇が決定し…そして先に向かっての維持に向かって話の舵が決まるようです。 なんとか良い方向に向かうと嬉しいですが… 取り敢えず町議会までに訪問する事は出来ましたが… 6月議会だったらまだ間に合いましたよね
闇のチェックイン 田野倉駅を降りて、相変わらずの富士急行線路沿いの暗い道をずんずんとはいかないまでもチェックイン予定のホテルに向かって歩き、マップと照らし合わせ進んでいく。 しばらくすると、大きな旅館のような施設が見えた。 どうやらこの場所らしい。 建物に向かって進み、灯りの僅かなホテルのフロントに到着する。 チェックインを早速…と思ったのだが、自分の訪問した時間が既に21時を回っていたのかカウンターには誰も居らず、一瞬の戸惑いの時間ができる。 「どうしたら…?こ