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「顧客選別」の時代へ


1,「もうあなたのところで買わないわ」

最近は、燃料費や人件費の高騰で、「コストアップ」の話題が持ち切りとなり、いよいよ売価の見直しはまったナシとなり「値上げ」や「価格改定」を進める店舗や企業も多く見られます。
こうした動きもあり、売り手と買い手の間で、「価値観の相違」を感じることも多く見られるようになってきたかと思います。

「え?こんな値段が高いの?」
「前はこんな価格じゃなかった」
「こんな高いんじゃ買わないよ」

内容量を見直しや売価の値上げによって、顧客であるカスタマーの一部から、そんな声を聞くことも多くなってきたように思います。加えて、ネット時代故に、レビューやSNSを通して、「匿名でのクレームや文句」を一方的に記載、発信されることも…。こうした一部や、一軒が、主語を大きくして「すべての事象かのように語られる」ことが、売り手や生産者にとって、評判を害する(=いわゆるレピュレテーションリスク)として、顕著になってきたと言えるでしょう。

9割の方が何も言わず、また変わらず購入いただくのに、なぜ1%程度の強い口調の相手に徒労しなければならないのか…。でも、安心してください。これから「顧客選別」の時代が始まります。それは、価格を巡る「価値と納得」を踏まえて、売り手と買い手の「相互信頼」が基本となる売買のあり方です。

2,「価値」の創造を妨げるもの

モノやサービスの価格は、どのように決まるか。それは「需給曲線」で説明することができるでしょう。もう忘れてしまったかもしれませんが、中学校の「社会」の時間に習っている内容ですから、義務教育が施されているこの日本で生まれ、育った以上、すべての人が「習っている内容」です。

需要が高くても、供給量が少なければ、値段は上がる。
そこで、世の中のニーズが高いのだからということで、供給量が増えていけば、需給の関係から価格は下がり、均衡価格に収まっていくというもの。独占的な事業でない限り、自由な市場経済が保証されている環境では、買い手と売り手の間で、自然と価格はある一定のところに落ち着くのです。

これまで、日本では「協調性」といった日本のムラ社会に代表される社会性から、「横並び」「均質性」が求められてきたため、例えば、生鮮品の野菜であっても、地域のJAで出荷すれば、個選(=農場や生産者がブランド、品質の証)でない限り、ランク分けの中で平均化され、「誰もが食べていける」仕組みが、ムラや地域、社会の安定を作ってきました。
 戦後の敗戦から復興をする中においては、「共同」や「協力」を通して皆で成長してきたことの効用はもちろんあったでしょう。それがいつしか「互いの足を引っ張り合う」ようになってしまったのは、いつからでしょうか。

 やる気や成長しない組織であろうとも、より高い生産性や収量をあげて、努力を成果につなげていく意欲的な人ももちろんいます。ネット時代に直販のチャネルとSNSの情報発信を味方にし、新たな市場や顧客との関係を構築する売り手も出現しています。それは一次産業だけに限らず、二次産業、三次産業あるいは、昨今では「起業家マインド」として、より高い目標を実現する、これまでにない価値を想像する事ができるようになり、日本の新しい「成長力」となっています。
 こうした「突き抜ける力」を目にする中で、「結果平等」という協調性の最たる無言の圧力が日本という国の成長を妨げてきたことも理解できるでしょう。
 新しいことをやれば、「それは失敗する」といい、違ったことをやれば「迷惑がかかる」と、何かにつけて「同調圧力」という沼にハマる多くの人々。この否定的で悲観的な思想のコミュニティにいる限り、私達は沈みゆく船に乗りながら、ただ共に死にゆくだけです。この国が「失われた30年」にも渡る低迷を続ける理由は、もはや説明する必要もないでしょう。
 誰かの成果や成長や、素直に喜び、そして共感する。それだけでいいのに、否定や足を引っ張る言動を無自覚に行う。これでは、社会に存在する会社や地域の負の側面ばかりが目立ち、組織の不要論が出てしまうのも、仕方ないかもしれません。

 そして、自発的には低迷を抜け出せなかったところに、コロナ禍という世界的に足踏みをする時期があり、そして、これまでの制約や慣習を超えて、新しい価値を見出さなければならないところに、コストの値上げ迫り、いよいよ「これまでの延長線」では困難な状況に直面したわけです。
 もう、直面する課題を「先送り」することはできないのです。

3,「もう、あなたには売らないわ」

 「お客様は神様です」は、本当の意味とは異なり、買い手側を恭しく、そして「お金を払うこと=えらい」といった誤った価値観を浸透させています。けれども、社会とは、誰もがこの世の中を構成する一人であり、「誰かが誰かを支えている」ことに気がつけば、社会を円滑に、そして価値を誰もが交換できるようにした「貨幣」のやり取りは「対等」であり、優劣はありません。
 だから、お互いに納得ができないのであれば、たとえ買い手が「欲しい」といっても「売らなくていい」のです。
 様々なコストや労力を一生懸命考慮して、それでも手に取りやすくと考え抜いて、何度も考え直して決めた「売価」を高いというなら、「売らなくていい」のです。
 これまでずっと買い続けてきたのに、「値上げしたから買わない」というなら、「売らなくていい」のです。

 売買とは、一方的なものではなく、相互に価値を認め、それを交換する行為です。だから、「片方の要求や考え」だけで、決める必要はないのです。
 適当なものも作ったり、価値のないものに高価な価格をつけても、長くは売れません。需給曲線の話にあるように、やがて「納得行く価格」に集約されるからです。作り手や売り手は、ひたすら真摯に、価値あるものをつくり、それに妥当な売価を設定し、販売すればいいのです。

4,お引き取りいただくという誠意

 「お客様は神様」ではありません。また「売り手が傲慢」であれば、それはやがて市場から「価値がない」として、締め出されていくでしょう。だから、勇気を持って、対等でないと感じたなら、はっきりと言ってほしいのです。「あなたは、顧客ではありません」と。
 そして、売買が成立しないからと言って、相手の人間性を否定したり、否定されたりするものではありません。あくまで「合わなかった」という事実だけです。また合うときや、合うタイミングで、向き合うだけです。
 「お断り」は「永遠の別れ」ではないのです。

 あまりにも過度な顧客であるカスタマーからのクレームや要求に、ついに「カスタマーハラスメント」として認識し、東京都では「条例の制定」まで考え始めました。

 相互のやり取りでは食い止められず、法律やルールになるのは、情けないものです。ただし、これを契機に、作る側、売る側も一定程度保護されていくことでしょう。

 お金を払う、お金をもらうという「一つの事象」だけでなく、そのやり取りが社会全体を作り、人それぞれが分業しながら社会を支えている。その全体が想像できれば、売買に伴う「怒り」や「過度な要求」は何ら得るものはないと理解できるはずなのに・・・。むしろ、感謝の気持ちが先にあり、そして、自分が損しないために何ができるか、を第一に考えるほうが、得することばかりです。あと1000円値引きするよりも、あと1000円払うと何ができるのか。発想と生き方の違いは明白です。
 
 値上げを受け入れてくれる顧客、継続して買い続ける顧客の態度や姿勢から、それらは感じ取れることでしょう。無論、買い手側も良好な関係の売り手を持っていることは、心地よく、快適な暮らしの一部を為すものです。同じものを売買しているのに、「文句を言う人」と「ありがとうを言う人」。なぜこうも分かれてしまうのか。「顧客選別」を通して、お客様に理解いただき、そして「顧客教育」が必要と言えるでしょう。もはや「わかっているはず」というのは、通じない人もいる前提で、商売をしなければならない時代なのです。


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