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運転は、人柄が出る

車って、ある意味鉄の塊みたいなものですし、その運転手って窓から覗かないとわからないですが、運転の仕方や進路、ウインカーの出し方とかで、なんとなく「人格」があるような気がしませんか?
やっぱり危なそうなふらふらとする運転手がいると、いきなり曲がったり、急ブレーキをかけたり…どんな物事でも、やっぱり「人柄」というのは表れると思うわけです。

1、丁寧であること

車の運転でたいせつなことは、一体何でしょうか。安全であること。それは何にも優先すべきことです。事故を起こさなければ、自分や同乗者の安全を確保できるだけでなく、誰かを傷つけたり命を奪うこともない。

安全とは、すべてにおいて優先されることです。

では、その「安全」はどうやって手に入れることができるか。それは「丁寧であること」に終始すると思います。

モノや道具を適当に扱う人に、安全が保てると思うでしょうか。
作業や確認が適当な人に、安全を保てると思うでしょうか。

どんなときでも「丁寧に」仕事ができること。これは、安全を維持するために最もたいせつなことです。面倒くさがるとか省略するとか、あるいは「何も起きていないから大丈夫」という理論は、丁寧を「しなくてよい」理由にはなりません。

2、余裕であること

では、そんな「丁寧さ」は何から生まれるでしょうか。時間的、物理的な余裕も大切ですし、そして何より「心の余裕」がなければ、冷静に判断することもできません。

誰かを配慮したりするにも、その人自身に余裕がなければ、自分のことだけしか見えなくなってしまうことでしょう。

そんな余裕を作り出すためにも、「準備」や「慣れ」は大切で、そうした習熟や努力があるからこそ、いざ本番でも「余裕」をもって対処できる。だから安全は「近道」がないのです。

真面目に素直に取り組む。そして、見えてくる大切なことと重要なこと。それを自分のこととして実感し、責任を持って対処すること。そのすべてを表彰する言葉が「余裕をもつ」ということなのでしょう。

3、逃げないこと

車を運転する時、「あー、あの車停まってー!」なんて言葉を発しながら運転する車に同乗したことがあります。(二度と乗りたくはありませんが)

ウインカー出すときも「曲がりたいから来ないでー」とか、すべての行動の結果を「他人がやるべき」という無責任な姿勢。これでは、いつか事故が起こるといって過言ではありません。

安全は、「自分でつくる」もの。確かめるのも自分、決定をするのも自分。誰にも頼らず、「自分で大丈夫」といえるところに、1ミリの隙間があってはならないのです。

「えーい、いっちゃえー」ってアクセルを踏んだら、横から車が突っ込んできた。
「大丈夫だろう」と思ってハンドルを切ったら、後輪が内輪差で乗り上げた。
どれもこれも「他人事」で進めてしまう無責任さから生まれています。自分が招いた結果なのです。だから、逃げることなく、「自分で安全をつくる」という自覚がある人だけが、車を運転していい最低条件である、ということだけは、すべてのドライバーが自覚を持ってほしいものです…。

4、止まる勇気、辞める決断

物事はすべてうまくいかないように、人生も車も、アクセルを踏み続けるだけではいけません。ときに、危険や無理が生じると思えば、ブレーキを踏むことが大切。

「大丈夫だろう」でブレーキをふまなければ、大惨事がやってくるかもしれないのです。

もしかしたら、急いでいて、一秒でも早く到着したいという欲求があるかもしれません。それでもその数秒を優先するばかりに、事故を起こして、何時間どころか、人生を終えてしまったら、それこそ意味がありません。

「止まる」ということは、安全において、実はとても大切な行動。自らの進むことと反対になる決断ができるということは、すべてが「コントロールできている」ということにほかなりません。

どちらにしても「自分で、責任をもって、進むと止まると決めていく」それが、運転をするっていうことの根幹だと思うわけです。

さて、いま、とても悲しい事案が起こり、たくさんの命が奪われてしまいました。「行ってしまえ」「大丈夫」と決断したことが、軽率ではなかったのか、他山の石として、改めて「安全最優先」であることの自覚と決意を、新たにすべき時かもしれません。

ちょっとだから。
起きていないから。
きっと大丈夫だから。

そんなときにこそ、命は失われる一線を超えてしまうのです。

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