朗らかすぎる自伝。陳建民『さすらいの麻婆豆腐』(平凡社ライブラリー)

先日、陳建民『さすらいの麻婆豆腐』(平凡社ライブラリー)を読み終えた。

これが非常に良い本だったので、読後の興奮が冷めないうちに文章を残してみることにする。


手に入れるまで

この本は平凡社ライブラリーの目録で知った。紹介文は僅か3行だったが、それでもそそるものがあった。

「料理の鉄人」の父の波瀾万丈の人生。四川省に生まれ放浪の料理修行のうち、運命の日本へ。以来、四川料理の数々を紹介する奮闘の日々を軽妙な語りで再現。

目録より引用

なんとも面白そうではないか。そしてタイトルも印象的である。これはなんとしても手に入れたい。

しかし、なかなか自分に買えそうな出物は見つからなかった。そもそも数が少ないし、いずれも高値がつけられている。
これならいっそ復刊希望noteのネタにするか、と思っていた矢先、ブックオフオンラインで丁度良く巡り合った。750円+税。定価とほぼ変わらない。これはまたとないチャンスではないか?と考えた私は、即座に注文を行った。ブックオフオンラインの商品コンディションに不安こそあったが、背に腹は代えられない。

結果として、若干の匂いこそあるものの、コンディションは良好だった。
いつもの私なら、あぁ〜良い買い物をした、さて積むか、と考え、その後数ヶ月、或いは数年単位で読まないことがザラにあるのだが、この本に関しては別だった。入手時にまだ読み終えられていなかった『驚異の百科事典男』を読み終えたあと、1冊挟んですぐに読み始めた。それだけ期待値が高かったのである。

感想など

本書は、料理人・陳建民氏の半生を描いた自伝である。が、当初私は陳建民氏のことを存じ上げなかった。何しろ私が生まれる遥か前に亡くなっている(1990年死去)ので無理もない。ただ、名前からして陳建一氏の父なのだろうなと想像はついた。
実際、紹介文には『「料理の鉄人」の父』とある。この平凡社ライブラリー版が刊行されたのは1996年で、ギリギリ番組の全盛期だったらしい。番組のネームバリューに肖るのも納得である。

ただ、そんなことをしなくても良かったのでは、と思うくらいにこの本は面白かった。

聞き書きだから伝わる靭やかさ

本書は、全編にわたって建民氏の喋り口調で綴られている。厳密に言えばこれは本人の筆によるものではなく、草野のりかず氏によって構成とインタビューが行われた、所謂聞き書きの本である。だが、それが良い。
私は在りし日の建民氏を見たことは一度もないが、それでも紙面の文字上に建民氏が浮かんでくるのが感じられた。生きた文章なのである。

建民氏は非常に朗らかで、温かく、愛情に溢れた人だ。読んでいるだけでそれがハッキリと分かる。
例えば、当時の中国料理店では包丁担当と鍋担当が明確に分かれていた、という話(p.33〜35)。まず包丁の経験を積んで、そこから鍋の技術を習得する、というのが通例だったが、建民氏は「もし将来自分が料理を教える立場になったら、包丁も鍋も全部教えようと思いました」と明かす(p.35)。優しさの表れだし、同時に型破りでもある。なかなか出来ることではない。

その型破りな一面は随所に現れる。生活に困り、自らが隊長となって鴉片(アヘン)作りに勤しんでいた時代は、全員が同じ重さになるように持って街へ行く。そうすれば平等だから、命令をしても部下がちゃんと言うことを聞いてくれる(p.47)とか、船に乗るお金が無いので船業者を装い、中国人特有の同郷意識に助けてもらってタダ乗りに成功する(p.60〜62)とか。戦時中の混迷を極めた時代にあって、建民氏はその性格と機転で幾度となく苦難を乗り越えてきた。その経験が氏を益々優しくしたのだろうな、ということは想像に難くない。柔らかくも芯の強い、「靱やか」という言葉がよく似合う方である。
こうなれそうにはないが、目標とすべき人物かもしれないとは思った。優しさにはある種の強さも伴わなくてはいけない。

四川料理とともに来日

建民氏が生まれた四川省は、日中戦争の際に中国側が本拠地とした場所である。日本側は辿り着くことができず、それ故に四川料理は日本に伝わるのが遅れた、と建民氏は説く(p.53)。では、四川料理はいつ伝来したのかというと、それは建民氏が来日した昭和27(1952)年のことだそうだ。

それまで、重慶→上海→台湾→香港と渡り歩きながら料理の腕を磨いた建民氏は、自分たちの店で内輪揉めに巻き込まれてしまったことがきっかけで、ちょっとした出稼ぎのために日本へ行くことにする(p.100〜101)。
パスポートの有効期限は2ヶ月。言葉も分からない。調理器具や食器だけ持って来日した建民氏は、お世話になっていた四川省出身の知り合いを通じて、当時外務次官を務めていた奥村勝蔵氏に料理を作ることになる。振る舞われた料理に感銘を受けた奥村氏の計らいで、建民氏のビザは延長され、やがて外務省お抱えの料理人となる(p.117〜119)。
その後、建民氏はいくつかの料理店を経て、昭和33(1958)年に「四川飯店」を開業。忽ち評判となり、四川料理は瞬く間に日本中に広まった。

『さすらいの麻婆豆腐』というタイトルは、決してダテではなかったのである。建民氏が日本に来なければ、四川料理の伝来は遅れたか、或いはそもそも日本に入ってこなかったかもしれない。いくつもの偶然が重なったことで、中華料理は日本で大いに親しまれる料理になった。いささか陳腐な感想ではあるが、きっかけや縁は大事にすべきだ、と感じた。最近実生活で特にそう思っているのも大きいと思う。

自らの工夫を強固なものにする矜持

建民氏による功績の中で最大のものは、やはり四川料理の日本に向けたローカライズではないだろうか。

本場の四川料理は辛すぎて、日本人の口にはとてもじゃないが合わない。そこで建民氏は辛味を調節し、料理そのものを改良する。そのため四川料理は日本中に広まった。
それだけではない。回鍋肉にキャベツやピーマンを入れたのも建民氏だという。流石に驚いた。本場中国の回鍋肉は肉ばかりなのだそうだ。建民氏は「お客さんいやでしょ。それに栄養のバランスもよくない」(p.205)と、基本を守りつつ新たな料理に作り変えてしまう。私に料理の知識は皆無だが、そんな私でも、これは並の料理人にはできないことだろうと感じる。
陳氏は、自らの料理について、こう語っている。

わたしの四川料理少し嘘あります。でも、いい嘘。ニセモノとちがいます。

p.206

建民氏は何よりお客さんを、というより関わった全ての人を大切にしていて、それが氏の工夫と矜持に現れている。苦労を重ねた氏の半生を踏まえた上で読むと、益々それが腑に落ちるのである。

偉大な功績に敬意を示すとともに、麻婆豆腐が食べたくなったことは言うまでもない。

終わりに

私は「平凡社ライブラリー」という存在自体が好きだ。数多ある文庫レーベルとは違った異質さ、独自路線が魅力的に映る。
その反面、かなり堅めの内容の本が多いため、なかなか手を出しづらくもあった。

しかし、この『さすらいの麻婆豆腐』は、心理的ハードルをいくらか下げてくれるうえに、その低下分を補って余りある満足感を与えてくれる本だった。
建民氏が様々な工夫で四川料理を身近なものにしたのと同じように、この本自体も平凡社ライブラリーをより身近に感じさせてくれる本だったように思う。

なんだかとりとめのない文章になってしまったが、とにかくこの本は稀に見る良作だった。絶版且つ高騰しているのがあまりに惜しい。オンデマンド版でも良いので是非復刊してほしいものである。


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