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仁義なき戦い

ウィーンのCafé SperlにはHausordnungなるものがあります。Hausordnungという単語は「施設利用規則」とでも訳せば良いでしょうか。旅行前、「ウィーンでは久しぶりにCafé Sperlへ行こう」と話している時に、夫がCafé SperlのHPでこのHausordnungを見つけました。
「Café Sperlでは昼の12時以降、座席でのラップトップ使用は禁止なんだって!」

その後、私たちは滞在期間中、毎日Café Sperlで昼食を食べることになるのですが、その初日のこと。私たちが座った席の隣の女性がテーブルの上にドーンとラップトップを置き、バリバリ音を立てるように仕事をしていたのです。私たちは席を確実に確保するために12時少し前にCafé Sperlへ行ったのですが、その姿を見て私は思わず「この女性の12時以降の運命や如何に」と思いました。

その女性は12時過ぎても相変わらずバリバリ仕事をしています。もう夢中です。すると、おもむろに給仕人がやって来ました。そして「Hausordnungはご存知ですよね。12時以降のラップトップ使用は禁止されています」とかなり厳しい口調で女性に注意しました。「きたきたきたきた」と思い、耳をダンボのように大きくしていると、女性は「わかりました」とだけサラリと短く答えました。それから全く動揺する素振りも見せず、軽食を新たに追加注文しました。そして、(私にとっては)驚いたことに、その後もラップトップの使用を止める気配もなく、引き続き仕事を続けていました。彼女が注文した軽食をテーブルに運んだ給仕人は、厳しい顔で女性を睨みつけましたが、彼女はPC画面から全く顔を上げないので、それに気付いたかどうか…。

その後、見かねた給仕人が再び彼女に注意します。彼女は再び「わかりました」と答えました。そして以前と変わることなく仕事を続けています。すごい、すごすぎる。私だったら、1回怖い顔で注意されただけで「すみません」と言って荷物をまとめ、支払いを済ませてカフェから出て行くに違いありません。何しろ、Café Sperlの斜向かいにはphilというブックカフェがあり、その入り口のドアに(これも私は「おお」と思いましたが)「ラップトップの使用可能です!」という威勢の良い貼り紙が貼られているのですから。私は無理せずサッサとそちらへ移動します。…というか、そもそもラップトップ使用目的でカフェへ行くなら、最初からphilに行くと思いますが。

結局、私たちが昼食を終え、その後デザートのケーキを平らげ、会計をすませ席を立つまで、この給仕人と女性の仁義なき戦いは続いていました。その後、どうなったんだろう…。

ここで興味深いのは、給仕人と客である女性の立場が全く対等であったことです。給仕人には、客に対する遠慮など全くありませんでした。客だろうが何だろうが関係ない。ダメなものはダメ。絶対ダメ。その態度はドイツ人の夫をして「厳しい」と言わせるものでした。それに対し、女性客も負けていません。「私がやりたいことを、やりたい場所で、やりたいだけ、やる」という気迫が(この場合Hausordnung云々という件は差し置いて)メラメラ満ち溢れており、その結果、終始どちらも一歩も引かないという膠着状態が続いたのです。

私が住む辺りのドイツでもそうですが、ここウィーンでも客は「神様」などではなく、サービスする側と全く対等な「個人」なのだと思いました。時々、日本の方が「ドイツの接客態度がものすごく悪い」と何処ぞに書いているのを目にしますが、そもそもサービスする側とサービスされる側の関係が日本とは大幅に異なるため、ここは注意が必要です。日本の常識をドイツに持ち込んで、その都度怒っていたら、こちらの身が持ちません。「果たしてこの接客態度で良いのか悪いのか」という疑問は棚上げにして、この地を支配する常識とはこういうものなのだと受け入れる「諦め」が必要です。
…そう偉そうに言う私も、かつて商品の支払いをする時、レジ担当者に「どうぞ」と言われる前に商品をカウンターに置き、舌打ちされたことが何度かあります。最近では、うっかり商品を早々と支払いカウンターの上に置いてしまい、その結果舌打ちされたとしても、「うえ〜ん、感じ悪〜い」と泣き寝入りするのではなく、「あら、これは、これは。大変失礼いたしました」と商品をもう一度つかみ、ニッコリ笑ってゆっくり一歩後ろに下がるくらいのことはできます。私もすっかりドイツに慣れたということでしょうか。