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長々し夜をひとり厨で

夫がエッセイを書いてくれていたので、another sideを少し。

月に1回くらいまったく寝付けない日がある。心身ともに健康体であると自負しているので不眠症ではない。不思議な現象だが、本当に起きる。じーっと目をつぶってもスマホを遠ざけても、まったく眠れない。

横にいる夫は、すやすやと寝息をたててすっかり寝入っている。ひとりの夜は長い。そういう日は、ベッドにいることを早々に諦めてキッチンへ向かい、パウンドケーキを作ることにしている。

なぜパウンドケーキか。理由は単純で、お菓子作りにありがちな特別な材料も、レシピも用意しなくてもいいからだ。たまご、バター、薄力粉、砂糖をすべて1:1:1:1で混ぜればおいしくできる。何も迷うことはない。シンプルなパウンドケーキを、時間をかけてただただ丁寧に焼き上げるだけだ。

そろりとベッドを抜け出し、晩ごはんを作り終えてその日の役目を終えたはずのキッチンにパチリと灯りをつける。

深夜のキッチンにはいつもの慌ただしさがなく、なんだか別世界に舞い込んだような感覚すらある。街がすっかり寝静まっている午前2時、あの空気感。マンションの前の国道を、まばらに走る車のエンジン音と近くの病院へ急ぐ救急車のサイレンが聞こえる。

生地を混ぜていると、明日の仕事のこととか、ツケ払いの支払い期限が迫っているとか、週末どこにいこうとか、ベッドでぐるぐると考えていたことが、頭を飛びだして、泡立て器を握る指先をつたい、生地の中に混ざっていく。まるで魔法の杖のようにすーっと思考が吸い取られていく。それからもはやその感覚すらもなくなって、ぼんやりとしているわけではないのに、そこには何もなく、生地を混ぜ合わせて、型に流し込んで、火を通す。

オーブンから、バターと砂糖が溶け合う幸福の匂いが漂いはじめるころ、心地よい疲労を感じてベッドへ舞い戻る。寝室とキッチンを繋ぐ扉を閉めても、ほんのりと甘い香りがただよってくる。そうすると、あれほど眠れなかったのが嘘のように、すんなり夢の中へ落ちていくのだ。

2、3時間ほど眠れば、先に起きた夫が呼びにやってきてくれる。かすかに深夜の余韻をのこすキッチンに立ち、夫はコーヒーを淹れ、わたしはホットサンドを焼いて朝ごはんを用意する。そうして、ふたりでまたいつものように朝をはじめる。

眠れない夜はキッチンが呼んでくれる。
興奮で眠れない夜、悲しい夜、不安な夜
あぁ、今日はキッチンが呼んでいるんだなと思う。

夜のお菓子作りを思い返しながら書いてみると、驚くほど夫の描写がぴたりとはまっていてびっくりしました。まるでみてきたように書くなあ。いつか夜の静かなキッチンに夫を招待しようと思います。(彼は眠りが深いのでそんな日がくるかは分かりませんが…)ぜひ夫のエッセイもお読みください。

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