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「学ぶ=謙虚さ」って大事!


銀杏の葉も彩り変わりましたね。
しあわせの黄色いっぱい❣️


ちょっと思い出したことを書きますね。

「学ぶ=謙虚さ」大事よね。
誰かに学んだことに対して、感謝を忘れたくないなって思います。


稀にいるの....

ある時、同じ場所で一緒に学んだでることを忘れて、わたしに教えるの。まるで自分が体験したり考えたことのようにね。

「それさ、〇〇氏が言ってたことよね。〇〇氏って素敵よね」と教えてくれた〇〇氏を、わたしは敬います。


感謝も謙虚さも忘れると泥棒みたいよね。


あのね、わたしから聞いたことを忘れて、自分の体験のように“わたしに”聞かせる人もいるのよ。

それ知ってる!っていうとさ、
「あれ?前に言ったっけ?」っていうのよ。

「それ私があなたに話した事」というと、思い出して恥ずかしげ。最悪よね。


でもね、わたしはいうよ。わざという。
それはね、その人に“今後は気をつけた方がいいよ”という思いがあっていう。本人に直接ね。

でもね、常習犯には言わない。笑
こういう常習犯は、プライド高い人に多いよね。
だから別枠。関わるとめんどくさい。笑


擬似と自分自身の体験を分けた方がいいと思うのは
人は気づいても黙ってるから。知らぬ間に人としての信用失う気もする。(SNSも気づく)


だから、わたしは正直にいう。
その話しをした主を誰だったか忘れた場合は「誰だったか覚えていないけど、聞いた話しなんだけどね」っていう。そういうとね、「それ私だよ!」って言われても、話しは継続できるし、信用失うことないもの。


あのね!ここなのよ。怖いのは!


擬似と自己体験を分けないと、恥ずかしい事故が起こる。
要は、他人の体験を自分の体験のように話すのって嘘つきなのよね。嘘はバレるのよ。
でも、自己体験は嘘をつけない。

あっ、盛ったり飾るとバレるけどね。

マジで自己体験と擬似は分けた方がいい。
嘘つきに謙虚さは感じない。“カッコ悪すぎる“よ。



もう言っちゃうけど、
わたしね、擬似体験を語るのを聞いてると、夢物語(架空の話し)を聞いてるのと同じに感じるのよね。

だって実際には体験していないんだもの。

他人の体験に自己の勝手な感情を付け加えて話すことも「尾ひれはひれ」というのよ。


そうね、自己体験も同じよね。
わたしも、尾ひれはひれに注意しようと思う。

自分に正直に生きよう。

🌸勘違いが起きちゃ困るので追記。
夢を熱く⁡語るのを聴くのは大好き!
夢を語るのと擬似体験を語るのは、別だと思っています。

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