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【超私的スピリチュアル・キーワード辞典】エン・ソフ

まあそもそもカバラというのが何かというと、ユダヤ神秘主義につながる話となり、

ユダヤ神秘主義とかイスラム神秘主義の話をすると、このメンタル弱々男子の私がなぜ、若い頃に無理をしてエジプトやイスラエルやトルコをバックパック旅行するほど、中東に憧れたのか、の話にもなるのですが、

はっきり言いましょう。。。

2024年2月現在の国際情勢を見ると、ユダヤ神秘主義とかイスラム神秘主義に好意的な若者だったことのある私、心の底から、「いまの現実の中東」のことを話したくない、、、というか、とてもとてもニュースも見ていられない心理状態なのだ。。。

だから、昔の中東の話、そしてそこに私が何を感じたか、の話だけをします。

で、この土地の昔の話を始めると、

私としては、他のところでも何度か繰り返している通り、もしかしたら中東の一神教っていうのは、我々が西欧のキリスト教を見た時に感じるような「一神教」とは違って、やはり「アジアの宗教」らしく、「一神教か多神教か」の枠をそもそも解体するような、「矛盾」をあえて抱擁しているような気がする。

そんなことを考えている時に、以下の本を読んだ。

数学史の本なのですが、この前半は、もっぱらギリシア哲学とカバラの話に邁進していて、面白い。

カントールやラッセルが現代数学の中で「無限」を扱う前に、ギリシア哲学やカバラの宗教指導者たちが、独自に「無限」を発見していた、というのが、この本の主張。

で、カバラの宗教指導者たちが主張したのが、エン・ソフ、という概念、まあ「神」のことなのですが、

ただしここでいう「神」というのは、あまねく世界の隅々にまで行き渡っている、

スターウォーズの「フォース」みたいな、宇宙そのものと一体のエネルギーみたいなものとして扱われていて、

「姿もないし、人格もないし、ましてや『どこか(天国?)』に住んでいるわけでもない」、「宇宙そのもの」、みたいに説明されている。日本人には、「大自然そのもの」といったほうがイメージが湧きやすいのかもしれない。

どうして、「一神教」として始まったはずの、ユダヤの神様が、そんなふうになっているのかというと、

中世のカバラで説明されたことには、

たとえば定規を持ってきて、その1センチメートルの目盛りを見る、今度はそれを半分に分ける。それをまた半分に分ける。さらにそれを、、、と、有限の長さの1センチメートルは、無限のステップを経ることで、無限にミクロに分割可能である。このように、神とは見かけは「一」でありつつ、無限に「多」でもある。かように、「一であることは、同時に、無限の多」なのだ。

という理屈になるのですが、

あれ!?この理屈ってもはや華厳経の、「ミクロな花の種も、宇宙全体とイコールである」とほとんど見分けがつかないのでは!?

と、いうように、こういう話を聞くと、

やはり私の直感、

中東の宗教っていうのは、やっぱり、西欧のガチガチに論理づくしのキリスト教よりも、「禅問答のようなぶっとんだ理屈をぶつけてくることで常識を破壊しようとしてくる」ところが、「アジアの宗教だなあ」という気はする。

そしてそれが、

なんとなんと、

私のシロウト考えではあるものの、

現代数学とか現代論理学とかの最先端で出てくる「無限」概念と直感的にはよく似たものになってくるのが、本当に面白い!、、、本当に面白いと思っているから、私は、最近の、「現実の中東」のリアルな話をするのが本当にしんどい状態が残念無念でなりません、と申し添えておきます。

ともあれ、以下の参考文献で、「カバラで研究されていた『一であると同時に多でもあるエンソフ』といういっけん突飛なアイデアが、現代数学の無限の問題に合体する」展開は実にスリリング。真のプロの数学者にはこういう「ややオカルトよりな数学バナシ」は嫌われるかもしれませんが、好奇心旺盛な読書家の方向けにはぜひぜひオススメしたい。ただし、言わずもがなかもしれませんが、こういうたぐいの「数学本」はそれなりに眉に唾つけながら読んでねw


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noteで連載中のコミックエッセイ「エキセントリック夢日記」の番外編として、作者であるヤシロの、スピリチュアルぽい夢体験とか、18歳以下に…

子供の時の私を夜な夜な悩ませてくれた、、、しかし、今は大事な「自分の精神世界の仲間達」となった、夢日記の登場キャラクター達と一緒に、日々、文章の腕、イラストの腕を磨いていきます!ちょっと特異な気質を持ってるらしい私の人生経験が、誰かの人生の励みや参考になれば嬉しいです!