生活保護。この単語が某お笑い芸人によってメディアに晒される前に私は生活保護を受けていた。生活保護がどんなものかはほとんど知らなかった。ただ、生活に困窮している人に最低限でも人間らしい生活を送ることができる制度だというのは知っていた。それがどのような仕組みでどのような屈辱を味わうか知らなかった。それもそのはずで、学校では生活保護なんてものについて教えない。大人になって家族に頼れず、仕事もなくなった時はどうしたらいいかなんて誰も教えてくれなかった。

  通院しているクリニックでパン屋として働かされたことがあった。パン屋になるのは望んでいなかったのだが、スタッフの命令で働く事になった。疑似就労と呼ばれるそれはほとんどお金にならなかった。

  家族にも頼れず、生活できるだけのお金が稼げない私は死にたくて仕方がなく、薬をたくさん飲んだ。病院で点滴を受けて意識は戻ったが、私は薬を飲んで必死に死のうとした。一〇年以上職につく事ができなかった私が再び社会で必要とされる可能性はゼロだ。

  しかし、神様はいつだって死なせてくれない。私は通院しているクリニックのスタッフに連れられて役所へ行った。何回も自宅とクリニックと役所を行ったり来たりした。その時のことははっきりと覚えていない。どのような順序で手続きを取ったかわからない。薬で意識がぼんやりしていたからかもしれない。覚えているのは役人に通帳を全て見られて、財布の中身を小銭までチェックされて、わら半紙に大きく生活保護についての説明を見せられた事だ。そこには小学生向けのテスト用紙のように大きく文字が書かれていてご丁寧に漢字にひらがなまで振ってある。

  私は高校生の時は国語で学年トップだったんだ!と怒鳴りつける気も起きない。過去は過去。今の私は簡単な漢字すら読めない人間とカテゴライズされている。そして、よくわからないまま書類にサインをして生活保護を受けるようになった。

  一番大きな自殺未遂をした。2ちゃんねるの自殺のスレッドを見てそこに書いてある市販の薬を薬局で買ってきた。その事は自分のミニコミ「和解」に書いたのだが、非常に苦しい自殺未遂で口からよだれをたらし体はおかしい動きをして人工透析を繰り返し受けた。四日間くらい鎖骨の辺りに長い事針を刺されていた。一週間後に退院できた。私は心身ともにぼろぼろだった。

  退院後、一人暮らしのアパートにいるのはよくないと周囲が決めたためしばらく実家に帰った。そこで父と言い争いになり、絶縁した。

  違う時代に生きた父は理解できないのだ。今の時代に仕事につくのが難しいのか。精神病になることでどれだけ屈辱的なことを味わうのか。そして、それが原因で生活保護を受けることになるとよりいっそう屈辱を味わう事になるのか。特に私のように一時期、職についていた人間にとっては過去の働けていた自分を覚えているため、より一層それは増す。しかし、働いた事実があろうと、田舎で就活しても職は見つからず、アルバイトも受からない私はダメな人間なのであろう。だが、父親の「誰のお陰で生活保護が受けられると思っているんだ!俺がサインしてやったからだ!」の言葉はあまりに酷い。生活保護は福祉制度だ。国民が税金を納めているのは、いざという時に自分の生活が守られるためである。

  人間が社会を形作ったのは弱者も活かす事ができるようにである。弱者も社会では必要な存在である。弱者の持つ遺伝子や能力があってこそ文化や発明が生まれてきた。それは人間の歴史をさかのぼれば分かるはずである。そもそも地球上で人間が文明を築いたのは自然界の弱肉強食から身を守るためである。その意味では人間は皆、弱者である。弱者同士助けあうのが社会である。

  生活保護を受けて、自殺未遂をしてクリニックも出入り禁止になった。毎日、なにもする事がない。時々訪れる役所の人が訪れるがいつ来るのか分からなくてスーパーに買い物に行っている時にポストに「訪問に来ました」という紙が入っていた。家にいる時に役所の人が来ても、健康状態などを聞くくらいだ。担当の役人が男性なので怖いのだが、私は生活保護から抜け出したいのでどうやって就職に向けて動いたらいいのか教えて欲しかった。

  ハローワークに行く時は生活保護を受けていると言わなければならないのか。言わないと制度のあれやこれやでややこしくなるので、言わなければいけないと思うのだが、言ってまともに対応してもらえるのか。ただでさえ障害者としてまともに扱われないのに生活保護だなんてますます遠くなっている。私と社会の接点は役人だけなのに役人はなにも教えてくれない。

  自分でどうにかしたいと思ってインターネットで「生活保護」という単語で調べると見たくない罵詈雑言がたくさん出てくる。しかし、嫌な言葉でも私は見てしまう。生活保護がネットで叩かれているのを見続ける。それはありあまる時間を持て余した私の自傷行為だ。生活保護を受けているのにインターネットの契約をやめない自分が悪いのか。違う。生活保護を受けてから全ての契約が怖くなった。契約を切ることも怖くなった。役人は私の通帳を自由に見る事ができる。

  月に一度届く紙には受け取ったものを書くように指示してある。そこには米や野菜も記入しなければいけなかった。きっと昔の用紙を使い回しているのだと思うが、私は生活の全てを覗かれている気がして動く事ができなかった。

  実際に、役所に行かなければ行けない時に、私のケースファイルがあり、私の事が詳細に記載されていた。生い立ち、家族構成。私は担当のケースワーカーに言われた。「父親も生活保護?」私はムキになり「父は定年まで会社に勤めました」。そして、担当のケースワーカーを女性に変えて欲しいと伝えていたのだけれど、私のケースファイルを見て「あー、お兄さんのことがあるからか」と言った。私はどんなことが書いてあるのか分からない。でも、主治医は私が兄から性虐待を受けていた事を知っている。その事が書いてあるのだろう。役所の蒸し暑い隔離された部屋で私は蚊と不快感にまとわりつかれていた。肌はじっとりと濡れ汗は垂れて舌を噛み切って死んでしまいたかった。  

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