ある日、思い立ち、あるNPO法人に電話をした。そこは出版物を発行しているNPO法人だからだ。私は昔、漫画の編集をしていたので、自分から売り込みの電話をしたのだ。電話をしたが丁寧にお断りされた。仕方がない。健康な新卒の大学生ですら就職難で自殺をする時代だ。私が仕事にありつけるわけがない。私はそれっきり何もアクションを起こさないでいた。 数週間たった時に、そのNPO法人から電話がかかってきた。「漫画の単行本を作ろうと思っているのですが、漫画の編集の経験をした人が職場にいないので先日の電話を思い出して連絡をしました」と言われた。私は驚きと嬉しさと緊張で感情が乱れた。でも、この感情の乱れは今までの乱れとは違っていい乱れだ。私が必要とされているという喜びのバイブレーションだ。 私はNPO法人の人が指定する時間に事務所を訪ねた。漫画の単行本の仕事の話をするためだ。スーツを持っていないし、用意するお金もないので襟のついたシャツに黒のズボンで行った。このときは説明を聞くだけだったので、履歴書を持って行かなかった。

  事務所の編集長から名刺を受け取った。名刺をもらったのは何年ぶりだろう。そこで話を聞いた。事務所に送られてくる漫画があるのだが、それを単行本にしたい。しかし、漫画を書いて送ってくる人は画力がないので、もっと絵がうまい人にリライト(書き直し)をしてもらって制作したい。しかし、漫画の編集方法がわからないので、漫画の編集経験のある私に任せたい、という話だった。付け加えると、事務所は金銭難なので高いお金は出せない。単行本を作り終えた後に10万円を給料として支払う、という事だった。

  送られてくる漫画を見せてもらった。はっきりいってへたくそである。これでは確かに単行本として出すのは無理だ。それに言葉も意味不明である。こんなぐちゃぐちゃな漫画をまとめることができるのだろうか。私は漫画の編集経験があるけれど、こんな漫画は見た事がない。漫画、と言うのもはばかられる。コピー用紙にボールペンで下書きもせずに乱雑に書かれた落書きである。しかも、編集長は読んでいないらしい。一部、目を通したところはあるが全部は読んでいないそうだ。まあ、当然と言えば当然だ。時系列も、表現のしかたもまとまっていないこの漫画を読んでも理解できる訳がない。この原作漫画を読破できるか不安になった。

  リライトしてくれる人は商業誌でデビューしたことがある人だった。デビューしたがその後、編集部と疎遠になり漫画を描かなくなってしまったらしい。何度か掲載された事があるので、確かに絵はそれなりにうまい。ただ、デビュー時と現在の絵では明らかに画力が落ちていた。この二人とうまく仕事ができるのか分からない。でも、この仕事を受けないという選択肢が私にはない。私が脱出する道はここしかないのだ。

  私は編集長と話しながら自分の置かれている状況を話した。病気の事、生活保護を受けている事。編集長は「生活保護を受けている時にあなたが10万円を受け取ることが法的に大丈夫なのか分からない」と言った。生活保護を受けているときは働く事はできるが、一定の収入が長期間あると切られてしまう。一時的とはいえ、10万は大金だ。10万の収入を得たら生活保護が切られて収入がゼロになるのだろうか?また生活保護を受ける事になるのだろうか?全く分からない。でも、この話を断ったらまた地獄に戻るだけだ。私は「やらせていただきます」と深々と頭を下げた。編集長も「まあ、完成は先だからどうにかなると思う」と言った。

  かくして私は単行本の編集の仕事を引き受けた。いつ完成するのか分からない。完成するまで給料は発生しない。でも、構わない。仕事を得たからだ。

  私は膨大な量の漫画(以下、原作と称す)に目を通すところから始めた。

  この作業は自宅でした。人がいる事務所に行くと緊張してしまうからだ。ダンボール箱一箱に六年分の原作が詰まっている。はっきりいって、これは漫画ではない。書いた人がノリで書いて送ってきているだけでめちゃくちゃだ。手書きでへたくそで意味不明の言葉も多い。封筒は40位をゆうに越している。

  私はまず、封筒の消印を見て送られてきた順番に並べた。並べてから中身をあけて読んで使えそうなネタに付箋をした。付箋を買うのはもちろん自腹である。しかし、膨大な原作は封筒の時系列に並んでいなかった。その後、原作が書いてあるコピー紙に番号が振ってあるのに気がついた。これを見れば時系列に並べられる!と思ったのだが、1〜1000になったり、A〜Zになったり50音順になったかと思えば、いろはにほへとの順番で明記されていたり、もう意味不明なのだ。 でも、私は一ヶ月くらい自宅にこもり、読み込んで付箋をつけた。原作は漫画形式で絵と台詞とコマが割ってあるのだが、縦に三コマとか縦に九コマかと思えば、突然見開き二ページの漫画だったり、ハガキ大に一枚の絵と台詞だったりして投げ出したくなるくらいだった。本人は漫画のつもりで書いているそうだ。しかし、これは漫画ではない。漫画だと本人が言っても読みにくすぎる。

  なんとか、整理できた後に編集長に電話をした。その後の作業は事務所でしなければならない。使えるネタをコピーしてファイリングしてまとめなければならないからだ。私の家にはコピー機はない。月に二、三回くらい事務所に行くことになった。

  事務所でコピー機の使い方を改めて教えてもらう。私一人でコピー機を占領してしまってなんとなく居心地が悪い。そして、緊張が続く。お昼ご飯は近くのコンビニで買ってきた。事務所でお昼ご飯を食べる。みんなお昼をとる時間がバラバラのようで私は一緒の時間になった中年男性と話していた。私はお昼をとって一時間後には頭が動かなくなり、午後二時に退勤させてもらった。まあ、お金はもらっていないし、病気のことも知っているから大丈夫であろう。しかし、家に着くと頭がガンガンする。久しぶりの職場で緊張して体がこわばった。耳鳴りも酷い。私は家に着くと死んだように布団に入り夕方まで寝ていた。10年のブランクは厳しい。

  編集長は仕事を丁寧に教えてくれた。原作者に出すメールの文章もチェックしてくれた。私は仕事でメールを出すのが初めてで、挨拶や文章の締め方などがさっぱり分からない。あと、仕事のお願いの仕方の文章がわからない。わからないことだらけだ。メールを一通書くのに一日かかった。職場のメールアドレスをもっていないので、私用で使っているメールアドレスを使った。今思うと作ればよかったと思うのだが、それを思いつかなくて編集長のいうまま私用のメールアドレスを使っていた。毎回ログアウトに気を使った。

  月に三、四回しか来ない私は他の職員からするとちょっと変な存在だった。他の人たちは正規雇用だし職歴も長い。私は単行本の編集をしているが、編集をしているようには見えない。コピーした原作をはさみで切ってファイルしているだけだ。一、二ヶ月そうしていると職場にも慣れてきた。私は自分の仕事が終わったけれど、まだ体力があると分かったときは他の職員の仕事のお手伝いを願い出た。見ているとみんな結構忙しく手が足りていないのが分かったからだ。

  私は自分から「手が空いているのでやらせて下さい」とお願いした。編集長の許可も降りたので手伝った。最初の手伝いは印刷ミスの箇所に修正のシールを貼る事だった。単純作業だけれど、頭を使わないので楽だ。私は原作のファイリングと平行して単純作業をするようになった。半年くらい過ぎた。

  私は相変わらずボランティアだし、自分の机もないけれど、週二、三日くらい出勤できるようになった。仕事が終わる時に編集長に席が空いている日を聞いてその日を次の出勤日にしてもらった。少しずつ慣れていった。 半年経った。年が明けた。 

  単行本の編集作業が忙しくなってきたので、週四日出勤する事になった。大量の原作をファイルし終わったが、編集長からダメ出しをくらった。そのため、原作者に足りないエピソードを追加してもらう。その繰り返しを続けていた。出来上がったファイルは全部書き直してもらったものになった。こんなことなら最初から順序よく書き下ろしてもらえばよかった。しかし、今更言っても仕方がない。

  漫画の仕事で手が空いている時は、自分から仕事があったら手伝う、というのを続けていた。お願いされる仕事は封入作業などの単純作業が多かったが次第にレベルの高い仕事も頼まれるようになる。エクセルの入力を頼まれたのだが、私はエクセルの使い方を知らない。

  職場の人に使い方を教えてもらう。忘れてしまった時はネットで検索してエクセルの使い方を覚えた。入力作業をこなすことができるようになった。エクセルが使えるようになると仕事をいろいろ頼まれる。

  仕事を頼まれるのは信頼されていることなので嬉しかった。

  しかし、全く同じ仕事を私より後に入ったパートの人と一緒にやった後の給料日は憂鬱だった。私はボランティアなのでお金は発生しない。週四日事務所に出勤している。仕事も頼まれたものをきちんとこなしている。しかし、生活保護のままだ。

  むしろ、問題なのは生活保護を受けていると役人の訪問が受けられないことである。役人には「ボランティアに週四で行っているので自宅にあまりいません」と伝えてあるのだが、あまりに家にいないため電話が頻繁にかかってくる。週四日で朝の九時に家を出て帰宅するのは夕方五時過ぎ。勤務時間は短いが、通勤に往復二時間以上かかっているので帰宅時間が遅い。これではあらかじめ訪問する日を教えてもらえなければ訪問を受ける事はできない。私が事務所で仕事をしている最中にまた電話が役人からかかってきた。これ以上訪問しても家にいないのなら生活保護を打ち切らなければならないという。それでは生活できない。日時を指定して下されば家にいます、と伝えた。そしたら、「今日の午後に家にいるように」と言われたので午前中で事務所を後にした。帰宅して訪問を待っていたが、なかなか役人が来ない。電話がかかってきて、「今日行けないのでまた後日」と言われた。訳が分からない。

  そのうち、他の業務も職場でどんどんまかされるようになる。漫画と平行しているので結構忙しい。相変わらず自分の机はないので、出勤したその日に空いている机を教えてもらう。お金がないので、お弁当を毎日手作りしてボランティアで仕事をする。漫画の完成はまだかかりそうだ。私は他の人からどういうふうに見られているのだろう。生活保護を受けながら、職場にきてボランティアを一年以上きちんと続けている。パソコンでの業務や雑務もこなしている。私は漫画の制作が終わったらこの職場からいなくなる。お金がもらえないのだから私はそれだけの働きをしていないのだろう。

  実際、具合が悪くなって早めに帰ったりするし、風邪をひくと長引くので一週間くらい寝込む事もある。精神科に通院する日は休みをもらっている。

  やはり、無報酬に値する人間なのだ。でも、なにもすることがなく家にいるくらいなら、この事務所にいる方がいい。悪い考えにとらわれすぎる事もなくなる。それに、毎日行く場所があることはありがたい。

  そして、そこはケアという名で支配された精神科デイケアではなく仕事をする場所だからだ。漫画が完成してここを去るまでボランティアとして居続けさせてもらおう。なにより、自分のリハビリになる。普通の生活に向けてのリハビリになる。

  年末になった。この年の忘年会には私も誘ってもらえた。私は事務所の人たちとお酒を飲んで楽しく過ごした。    

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