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🍺ビールに代わる日記🍺

プランナーとして考え続ける日々や経営しながら苦悩する日々をつらつらと書いていきます。読者の質問には全て答えていこうと思っています。 頻度:最低週1回(月4本更新〜) 対象:幅広く… もっと読む
このマガジンを購読すると時々心が楽になったり、スーパーどうでもいい日記もあるんですが回り回って松倉… もっと詳しく
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#言葉

2週間の地獄と成長

4月の頭から続いた追い込み時期が終わりをつげた。昨日大きなプレゼンを終え、結果を待つのみ。ふぅーと椅子にもたれかかってこの2週間ほどを振り返る。だいぶ心と体を追い込んだ。しかし、向き合うべきテーマだった。どのような結果でも後悔はない。伝えたいことはまっすぐ伝えた。 プレゼンを終えて質疑応答がいくつか。2週間の思考の凝縮を1時間で理解するのは難しいだろうと思う。琴線に触れるかどうか。確かに触れたなと感じたのが一人涙くんでいたことだ。よかった。彼には伝わった。 自分ですら、ま

飲み会に行くためのだけの上京日記

あっという間に1日が過ぎていく。 集中しすぎて息を忘れる。ブハァとなって現世に戻るとアトリエは暗闇。思考の深海に潜って気付けば2時間。考え続けるも釣果なし。けたたましい音を立てて救急車が走り去り、赤色の光が部屋に差し込み過ぎ去って消えた。 灰皿はタバコの山。 おかしいさっき買ったはずの箱が残りわずかだ。 考えながら吸っていた。損した気がする。 うまく言葉とアイデアを見つけられず気持ちは足元を眺める。 グゥと腹がなり、体が何か食えと教えてくれる。 ラーメンでも啜って銭湯に行

わかったつもりで対話をしている

前提条件を伝えずに話しかけられることが増えている。それは口頭で特に起きている問題でなぜ飛んだ会話が起きるのか不思議に思っていた。 「ん?それってなんの話?」みたいな言葉や表情をすることが増えたなと思うのだ。僕がボケてきたとかではなく、会話の初接続が変だと思うことが増えたのだ。 主に仕事の対話の時にだけおこる。 日常生活だと「この前、◯◯◯っていう映画/本を見たんだけどさ…」と今自分が話そうとしていることはこのテーマです、というコミュニケーションが起きるのだが、いざ仕事の場と

メイクサムノイズ

新幹線のホームにしゃがみ込んで日光を浴びつつ目を閉じる。お行儀が悪いわけではない。新幹線を待つホームには学生と世界中から心躍らせて旅に来た外人が溢れているからだ。 風は冷たいが日光は暖かい。 猫が日向を見つけ出すように雑踏の中、人々の邪魔にならぬようひっそりと光を浴びている。 指定席なのに長蛇の列に並ぶ意味はなんだろう。 なんで改札の中においなりさん「豆田」はないのだろう。 そしてなんで京都の駅弁はさほどおいしくないのだろう。 わからないことだらけだと思いながら、違う違う

僕の友人の話

数年ぶりに同期たちと酒を飲む。 容姿は驚くほど変わらない。お互いに40を超えたが20年前のまま。 全員老け顔やったのかもな。 全く違う部署に配属され、僕は転職し、彼らは新規立ち上げたばっかりの部署を法人化し、代表にまでなっている。僕なんかより経営のヒリヒリ最前線をずっと走ってきた二人。 当時は会話にすら上がらなかった組織を作ること、育てること、その中での喜びも難しさも今でなら共有しあえて、二人ともものすごい頑張ったんだなという感情とそう感じているのと同じくらい自分も成長し

眼差しが輝いていれば、この世界は美しい

朝から琵琶湖を眺めている。新しいプロジェクトの現場視察でいつもより荒れているという琵琶湖の波をぼーっと眺める。 滋賀の人は琵琶湖を海と呼ぶらしい。うん、このサイズはそりゃ海だ。 海が遠い場所で育つと、ずっと海への憧れがある。いうて山とかはどこにでもある。 LURRA°のたくみくんの車でおしゃべりしながら京都滋賀を往復する。 何かの話の流れで、こういう仕事がなければ会えてない人がたくさんいるよねと盛り上がった。お互いのおしっこ我慢も同時に限界がきて、公衆トイレに車を停めてる間

遠いのか、近いのかわからない未来で

この風景を何度見てきたろうか、風景というより情景というか。 ここは京都芸術大学、かつての名前は京都造形芸術大学の階段から見下ろす京都の街並みだ。19歳頃の松倉が見ていた風景でもある。かつての自分はそこにいて今の礎となる様々な経験をここで得た。 生徒?として4年、入り浸り。 非常勤講師としては、何気に10年近くなる。 学生の頃、毎回下校する時に得体も知れぬ自分への期待値や未来への高揚感を持ち帰っていた。 講師として果たして自分はかつての僕のような高揚感を与えることができてい

言葉がどんどん軽くなる

車を西へ西へと走らせる。 台風は関西を直撃の予報を横目に無計画に西へと逃避した。 予定していた小豆島へわたるフェリーは前日にキャンセルされ、即断でレンタカーを借りる。旅は道連れ、総勢6名での台風逃避行夏休みチャレンジ。 何も諦めない二泊三日を終え、送り火も消え去った夜の京都。 眠眠打破を血液のごとく飲み続け、いまだに瞼が重たい。 放置していったパソコンには数えるのを辞めたほどの無数の通知。 日々、これらを消化して生きていたのだなと思うと不健康だなと画面を睨む。 ねぇねぇ、

自分は誰かと問うてみる

朝日が眩しくて目を覚す。ここはどこだ?酒が残っている。 一瞬自分が誰なのかも忘れる。毎日、違う課題に向き合って人間のモードを変えているから混乱が生じる。こんな悩み自分しかいないもしれない。 昨夜は渋谷で作業とMTGとホテル缶詰からの夜の渋谷散策。 友人の友人と仲良くなり、渋谷にあるオーセンティックバーでしこたまジェントルロックを飲み続ける。お会計が恐ろしく安かった。いい店だ。渋谷行きつけにしよう。バーというかパブの盛り上がりだが渋谷らしい。 10年前、僕は小豆島にいた。F

選んでいるのは、あなた

「コミュニティ」なんて簡単な言葉では済まない関係性がある。 僕らがスタジオにしているSHIKIAMI CONCONには、友人でもあり家族でもあるような不思議な繋がりがある。数多の泥酔の夜を重ねて、苦情が来るほどの爆笑と同じくらい深い話を重ねてきた仲間がいる。 外から見ると「繋がりが強くて入りにくそう」とよく言われる。 ヘラヘラ笑って聞いているけど、当たり前じゃんと思っている。全ての人に愛されようとなんてしちゃいない。大切な人たちだけと向き合えたら、それが僕は正解だと思ってい

孤独を噛み締めるための執筆

気づけば日記から遠くなっていた。noteで365日毎日書いてみるなんて無謀なことをしたり、ラジオをしたり、経営をしたりとしている間に日記を書くことから、とても距離が離れていた。 先日、販売された古賀史健さんの新著を読み、日記ってそうだよなと改めてその価値に気付かされた。調子の良し悪しなんてさまざまだけれど、なんだか365日毎日書いている間は心が健やかだったように思う。 アナログに1文字1文字打鍵していた時代から、気づけばAiが日常の当たり前になり、さくっと日記らしいものを