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🍺ビールに代わる日記🍺

プランナーとして考え続ける日々や経営しながら苦悩する日々をつらつらと書いていきます。読者の質問には全て答えていこうと思っています。 頻度:最低週1回(月4本更新〜) 対象:幅広く… もっと読む
このマガジンを購読すると時々心が楽になったり、スーパーどうでもいい日記もあるんですが回り回って松倉… もっと詳しく
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#人生

この今は、かつてあなたが選んだ未来

ふらっと散歩すると分かりやすく豪華な桜の風景を終えて、実はその足元で粛々と育ってきた生き物たちの存在感が増している。カメラを持って歩くだけで足元には新たな生き物が誕生している。いい季節だ。 僕の元には無数の相談が来る。企業から個人まで。さまざまだ。 その多くが自分の意思で生きている感覚を感じて、悩みあぐねていることに対して、どう思うのかを率直な意見として求められる。 おいおい、悩んでないとでも思っているのか。まぁいいけれど。 悩みや課題というものは、今急に巻き起こることで

自分の人生の燃料を知らない

牛乳と各種燃料を販売しているらしきマルモ商店で思わずシャッターを切る。たしかにどちらも燃料だ。休みなく働く間のお散歩で見かけるこういう風景に思わず足を止める。 人によって仕事の過密さはバラバラだ。 他者の大変さは比較しようがない。誰かが体験できたとして、思ったほど松倉忙しくないかもしれないし、一瞬で心と体を壊すことだってあるはずだ。その人独特の重さみたいなものが人生とか責任なのだろうし、それはその人が生きてきた道によって異なる。なので比較するようなものでもない。 例年通り

何をそんなに急いでいるの?

打ち合わせの時間を1時間間違えた。 早く着きすぎて途方に暮れる。近場の喫茶でオケを聴きながら珈琲を飲む。 急に訪れる平和な時間。この4月はペースを上げすぎた。戻していかなければいけない。 会社の最終クォーターでざっくり数字を見ると目標達成間近だ。ホッと胸を撫で下ろす。走り切ったもんなーと40歳になった体の全力で突っ走ってみた感じの限界値を学ぶ。チームのよく頑張った。 出来ること出来ないことを把握することはすごい大事だ。僕自身もチームメンバー全体もそれを観察する1年だった気

「決める力」を養う

寒い時期が終わり、春が訪れる頃、だいたい毎年のように「ひとり経営会議」と題して旅に出る。役員は僕だけなので致し方ない。視察しておくべきホテルや宿、レストラン、施設を目掛けて出来るだけ今まで足を踏み入れてない土地に向かうことが多い。 たとえ役員がいたところで決めるのは自分だ。会社じゃなくても人生でも他者から決められたことにあまりいいことはない。社員に相談こそするが、判断材料として決める責任は自分にあるのだ。決めたところでその日に何かが変わるのではなく半年後、一年後、場合よって

生きるってどうしようもなくて、愛おしい

春が来た。ありがとう、ありがとう。と心で感謝しながら軽装に衣替え。もう冷えないでくれよ。 ふと、着替えていると物置だなに忘れていたカメラを取り出す。そういえば、この前「松倉さんのお散歩シリーズの写真めっちゃ好きです」とカメラマンに褒めてもらえて嬉しかったことを思い出す。 これ見れるのかな。 春の陽気に誘われながらも仕事があるので歩いてアトリエに移動。 そういえば自転車どこ置いたっけな。スタジオかな。わからない。 ポケットには最近届いたクリアラミー。かわいい。 なんかやたら

手前の退屈は手前の責任

退屈というものが苦手だ。人は何だか自動的に退屈を環境のせいにしがちだなとも思う。退屈な状況を生み出しているのは、いつだって自分のせいだということを忘れてはいけない。 苦境を苦しい状況と捉えてしまうのも人間あるあるだ。苦しいの境目が苦境なのだとした、その境目は楽しいと苦しいの境目がそこにあると思っている。苦境を感じる時にこそ、よくできるチャンスセンサーが働いているラッキーと思うバカポジティブな性格で生きている。 退屈と感じる心も、苦しいと感じる心も、常に自分自身の数メートル

銭湯で鼻歌を君に

アイデアや考え事は銭湯で考える。 ちょうど良いのだ。思考を邪魔するものが全くない。サウナで湯船でボーッと思考を揺らす。 受け止めなければいけない悲しみがあった。 昼寝をしても消えないもので銭湯グッズを持って夜を歩く。からんからんとシャンプーやボディソープがぶつかって歩むリズムを奏でる。 光の少ない道の奥にぼうっと光る銭湯の灯り。 銭湯はいい。すごい人も普通の人も悪い人も意地悪な人も裸になればただの人だ。無愛想な大将に490円を渡し、服を脱ぐ。 頭を洗い体を洗い体の汚れを

君は君の死に方しかできない。

10代の頃は薄らとある興味の羅針盤みたいなものを頼りに不安の方が大きくて自身の巣みたいなところをうろついては戻りを繰り返し、そこで出会う人や本や言葉を継ぎ接ぎの地図を足してくように生きていた。 20代の頃には、うろついていた中である程度広がった地図を広げて、羅針盤の示す方向にお守り程度の自信を持って突き進んでいった。周りには同じような、でも微量な角度で目的地が違う仲間を横目に歩んできた。 30代の頃には、あの時いた仲間も遠い別の場所にいて、背負うものも大きく重くなり、なか

メイクサムノイズ

新幹線のホームにしゃがみ込んで日光を浴びつつ目を閉じる。お行儀が悪いわけではない。新幹線を待つホームには学生と世界中から心躍らせて旅に来た外人が溢れているからだ。 風は冷たいが日光は暖かい。 猫が日向を見つけ出すように雑踏の中、人々の邪魔にならぬようひっそりと光を浴びている。 指定席なのに長蛇の列に並ぶ意味はなんだろう。 なんで改札の中においなりさん「豆田」はないのだろう。 そしてなんで京都の駅弁はさほどおいしくないのだろう。 わからないことだらけだと思いながら、違う違う

非日常が日常な人生を踊り切る

6日目だ。 トータルでいくと11日連続の飲み会。 飲み会といっても遊びじゃない。仕事やらなんやら入り混じってのそれだ。ただのアル中クソ野郎だと思われてもしょうがないが、昨日クライアントに「松倉さんは、酒から逃れられない人生だから」とにこやかに微笑まれた。 ただの飲み会じゃない。 京都もあれば神戸もあるし東京もあれば大阪もあるし、6日たった今、体感的には3日ほどしかすぎていない印象もある。 だから日記もラジオも滞る。これでしっかり仕事しているのだから、自分が自分を褒めるしかな

人生を良くするかもしれない3つのこと

日帰り東京出張で結構余裕を持って家を出る。 京都駅は外国人だらけ。人混みを分けて新幹線に乗り都合とするとインド人旅行客?に声をかけられる。サブウェイの行き方がわからない。英検2級程度の僕の耳でもわかる迷子さんたちだった。 一瞬、サンドイッチのサブウェイが脳裏に浮かんだけど、わざわざ京都でサブウェイいかんやろともう一人の自分が突っ込む。 確かに京都駅はJRから地下鉄へのルートは外国人にとって難しい。残念ながら口で説明できるほど簡単じゃない場所に彼らはいたから、こっちやでと改札

僕らは同じ舞台に立っていた

11人の読者に送る日記。お元気ですか。この限られた中で書く日記は手紙のようで私的で何か心地がいいものがあります。お盆休みを目の前にみんなはどこにいく予定ですか? 僕は子供たちを連れて小豆島にいく予定なんですが、東西と台風が発生していて予断を許さぬ日々です。板挟みじゃん。万が一、台風直撃だった場合は、航路を変えて台風の届かなそうな未知の街に行こうかと思っています。フレキシブルな親子。 どこもかしこも台風直撃であれば、諦めて子供たちとヨドバシカメラとかいっちゃってPS5を買っ

孤独を噛み締めるための執筆

気づけば日記から遠くなっていた。noteで365日毎日書いてみるなんて無謀なことをしたり、ラジオをしたり、経営をしたりとしている間に日記を書くことから、とても距離が離れていた。 先日、販売された古賀史健さんの新著を読み、日記ってそうだよなと改めてその価値に気付かされた。調子の良し悪しなんてさまざまだけれど、なんだか365日毎日書いている間は心が健やかだったように思う。 アナログに1文字1文字打鍵していた時代から、気づけばAiが日常の当たり前になり、さくっと日記らしいものを