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ふらっと友人が週末のオフィスを訪ねてくれた。出会ったのはだいぶ前だが、会う頻度は数年に一度くらいを重ね続けている。各々の旅先で学んだことを交換して、また話そうねと別れる。外は雨。 雨足が弱まるのを待って歩き出す。 会社のことや次の提案のこと、色々と思考すべきことがスタックしたときに大抵散歩に行く。そして、その先の銭湯に浸かり、近場の飲み屋か友人宅で飲ませていただく。 平均1万歩/日を歩く僕の暮らしは、考えることで埋め尽くされている。 そもそも考えることが好きだし、仮説的な
ぼーっと鴨川ベンチに座って前を通り過ぎる知らない人たちを眺める。 これが非常に面白い。そこに勝手に物語を想起して、視界から消えていく人たちの存在しない今日を想像する。 目に見えてわかることの退屈さを思う。 この日記を書く際も必ず読者の数の表示されるので見えない工夫をした。その数字に無意識的に操作されてしまう危惧があるからだ。 0人でも1人でも。20人でも100人でも。その数字に左右されてはいけないと考える。操作されている時点で自分の言葉ではなくなってく怖さを感じる。 その
日帰り東京出張で結構余裕を持って家を出る。 京都駅は外国人だらけ。人混みを分けて新幹線に乗り都合とするとインド人旅行客?に声をかけられる。サブウェイの行き方がわからない。英検2級程度の僕の耳でもわかる迷子さんたちだった。 一瞬、サンドイッチのサブウェイが脳裏に浮かんだけど、わざわざ京都でサブウェイいかんやろともう一人の自分が突っ込む。 確かに京都駅はJRから地下鉄へのルートは外国人にとって難しい。残念ながら口で説明できるほど簡単じゃない場所に彼らはいたから、こっちやでと改札