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🍺ビールに代わる日記🍺

プランナーとして考え続ける日々や経営しながら苦悩する日々をつらつらと書いていきます。読者の質問には全て答えていこうと思っています。 頻度:最低週1回(月4本更新〜) 対象:幅広く… もっと読む
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2023年10月の記事一覧

人生を良くするかもしれない3つのこと

日帰り東京出張で結構余裕を持って家を出る。 京都駅は外国人だらけ。人混みを分けて新幹線に乗り都合とするとインド人旅行客?に声をかけられる。サブウェイの行き方がわからない。英検2級程度の僕の耳でもわかる迷子さんたちだった。 一瞬、サンドイッチのサブウェイが脳裏に浮かんだけど、わざわざ京都でサブウェイいかんやろともう一人の自分が突っ込む。 確かに京都駅はJRから地下鉄へのルートは外国人にとって難しい。残念ながら口で説明できるほど簡単じゃない場所に彼らはいたから、こっちやでと改札

心の健康を優先すべきと気づいた

グダグダと16時を迎えてしまった。やるべきことは色々あるのだが、面倒臭い。事務処理がある程度溜まっているし、今日やっておく方が来週ほぼ移動でデスクにはいないのでやるべきだ。 しかし、心が動かない。心が動かないと体も動かない。やり出したらすぐ終わることがわかっているのに不思議なものだ。 昨日も歩き倒した。もう散歩欲は満たしたが、やる気だけが過去か未来に置き去り状態になっている。夜、銭湯をご褒美にでもして1時間でやりきればいいかと少し先の自分に委ねている。 1クールに1日くら

朝方生活への憧れ

眠気がすごい。最近は涼しいので8時間は確実に寝ているのにも関わらず日中眠い。デスクの隣にはキャンプ用のベッドがあり、毎日20ー30分仮眠している。スッキリ起きてまた仕事をする。 この前、眠たすぎて早めに寝た。起きたら6時。そこからのそのそと仕事をこなすと10時には業務が完了した。日中、打ち合わせばかりなので集中力が断絶してしまう。というか眠い。なので朝6時に起きて、AMにはすべて仕事を終え、午後を打ち合わせとかに当てるというのが理想ではないか。 なんなら打ち合わせが完了次

いい音を奏でに

僕は耳がいい。形がいいとかじゃなくて、よく聴こえる方面だ。数件先の家の部屋のアラームが聞こえて目を覚ます。聴こえすぎて寝れない年月も長い。部屋にアナログ時計なんておいたら、世が明ける前に叩き壊すだろう。 なぜこんなにも聴こえるのか、大人になってから周りの人たちとの会話の中でズレに気づいた。コンビニのモスキート音は当たり前として、家の中にある電子機器の音や街中でめちゃくちゃ遠い救急車やパトカーの意図が聞こえて「あ、救急車くるね」っていうと???となり、数分後にあ、ほんとだとな

遠くまで、とどく声

実家のリビングのように我がスタジオでくつろぎながら事業プランを練っていく。「最近、どう?」みたいなファミレスの風景みたいな景色だけれど話の中身はだいぶ高度だ。変なのと毎回思いながらきゃっきゃしている。 休日、喫茶店の外でタバコを吸っていると壁の壁面のクラックを眺めていた。この日記の写真のやつだ。ふと、じーっと眺めていると目の前に壁があるってこういうことかと、すごく当たり前なことを考えだした。前に進めない。でも、横を見れば公道もあるし、逆を見れば建物の裏道もある。後ろを見れば

燃え尽きない症候群

燃え尽き症候群(バーンアウト)という状態がある。 この仕事を20年続けていると、そのような状態に陥った友人たちが何名もいる。ストレス起因もあるが、主には作ることに対しての圧倒的熱量と責任でもって燃え尽きてしまう。 同業の方なら想像にたやすい状態かもしれない。バーンアウトは身近に存在するし、この先に横たわる乗り越えられない大河のような存在に感じる。 しかし、なぜだか、僕にそれが訪れないことを週末の散歩で考えたりした。 他の人たちの働き方や心の状態を知る術はない。 自分の中で

コミュニティというドッグランみたいな偽物

石川、富山、与謝野、久美浜、渋谷、滋賀など移動の日々。 ビデオ会議は車中か新幹線からが半分くらいを占めている。 昨日、無事京都に戻り、いきつけの飲み屋の大将に「移動しまくってますね」の言葉に苦笑い。これまだいい方やねんと内心思う。 コロナ禍を経て、また人々の移動が始まっている。 京都市内はインバウンドでごったがえし、まもなくコロナ以前のオーバーツーリズムがさまざまな問題を表出させる。 都心関わらず日本全国でコロナ禍の負債を回収するように宿泊費が高騰する。どうせ松倉のホテルな

その想いは届いているか

誰も知らない美しさというものが、誰もが知ってる美しさの何十倍、何百倍、何千倍と世界に溢れているんだなと富山の海辺で思う。笑えるくらいにダイナミックな海を見て、ぼーっとする。もちろん美しい。ズボンについた砂を払って後ろを見ると打ち捨てられた漁船が雨水を蓄えて横たわっていた。 かつて使われていた魚網がおよぎ、秋の訪れを伝えるトンボが僕の手のひらで休憩をする。ぼーっと船に溜まる水を眺めているとふわりと雲が割れ、光が差し込む。誰も知らない世界の美しい瞬間が目の前に立ち上がる。 ぼ

繋がりやすいことは別の何かを断つことでもある

カラカラカラと海鳴りがする琵琶湖を眺める。 砂浜ではない浜辺ではこんな音が鳴るのか。今年のおみくじで書かれていた「小さきものに目を向けよ」という助言を思い出す。美しい音だった。 再び夜の琵琶湖を眺めると真っ黒な巨大な生き物の呼吸のようでため息が出る壮大さ。果たしてこのクリエイティブに僕らは勝てるのか。いや寄り添うか。ここでもまた固定されてしまうクリエイティブへの疑問が沸いた。 この日は発酵の女神に会いに高島へ赴いていた。 お昼時、七輪で茄子をや決まってくれる女神。うさぎがも