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「冒険」は壮大なものじゃなくてもいい。

「デザインはセンスじゃなくて知識だ」というのは、デザインの勉強を始めると誰もが耳にするのではないだろうか。

私は3月までWEBデザインスクールに通っていたんだけれど、「デザインって、思っていた以上にインプットが大切で、とても泥臭い面があるんだな」と知ることができた。
世界が広がって、とても楽しかった。


体験の価値

私はここ数年、こうして実際に体験することをとても大切にしている。

知識として知っているのと、それを実体験しているのと。
行ってみたいなと思うだけなのと、実際に足を運んでみるのと。
会ってみたいなと思うだけなのと、実際に連絡を取って会うのと。

この差はとても大きいと思っている。
仕事とか勉強のことだけじゃなくて、小さな趣味の領域でも同じことが言えると思う。

例えば、私はサウナが大好きだ。
Googleやサウナイキタイを検索すれば、口コミや評価がわんさか出てくる。

口コミや評価から行く・行かないとか、善し悪しを決めるのはとても簡単。
でも私は、自分で実際に足を運んで、自分の感覚でその場を味わいたいと思うのだ。
(写真を見た時点で不衛生丸出しだったら行かないけどね、、笑)

「口コミをもとに語れる人」「実際に行った体験から語れる人」
どっちが良い、は人それぞれだろうけど、私は後者でありたい。


もう一つの例を。
(2年ほど前に投稿しているが)私はパーソナルカラー診断と顔タイプ診断を受けたことがある。
3万くらいするのでお財布には大打撃なのだが、一生モノの知識をプロに教えてもらえて、服選びがとても楽になって、本当に行ってよかった体験の1つだ。

「行ってみたーい」「やってみたーい」という友人は周囲にわんさかいる。
でも、実際に行った友人はいない。

もちろん価値観は人それぞれなので、それ自体を否定はしない。
でも、それぞれの「行きたい」「やりたい」を、実際に行動に移せてない人って案外多い気がしているのだ。
それも、「時間」「お金」の理由で。(少なくとも、独身時代の私はそうだったな。)

自分の経験したことない体験や環境から得られるものは、想像以上に大きいのにな。


ワーママでも冒険できる!

そんなことをふんわり思っているときに、水野学さんの「センスは知識からはじまる」という本を読んだ。
(10年前の本なのだが、誰にでもおすすめしたい本になった。)

エピローグにこんなことが書かれていた。

”ガラパゴス”で生きている自分を自覚しよう。
自分と言う存在がいかに小さな島の中で、閉じこもった生活をしているか。
それを認識することから、世界は広がっていくはずです。

センスは知識からはじまる

これこれ。
私が周りより、なんとなく生き急いでいるような、わざわざ難しく生きているような感じがしていたのは、「この環境(地域、職業、母親であることなどなど)に収まってたまるか」みたいなちょっとした抵抗感からくるものだったのだと思った。

そして、自分の周りには同じタイプが少なく、理解されにくいのだ。

僕がしばしば使う言葉に、「階段を〇段飛ばすくらいの勇気」と言うものがあります。
バックパックひとつで予定も組まずに海外旅行に行く勇気は、おそらく階段二段分くらいにしか相当しません。
家を買うのは階段三段分の勇気。知らない町を歩いてみるのは階段を一段飛ばすぐらいの勇気。見たことのない女性誌を読んでみるのは、階段一段にも満たないぐらいの勇気。
それなら、どんどん冒険しようではありませんか。

センスは知識からはじまる

これが私の肩の荷を下ろしてくれた。
なーんだ、そういうことでもいいのか。
私はちょっとハードルの高い挑戦とか冒険を望みすぎなのかもしれない。

知らない町を歩いたり、読んだこともないジャンルの本を買ってみたり、それだけで冒険になるのなら、私みたいなフルタイムでがっつり働くワーママでもたくさん冒険できる。

ママで、教師で、田舎暮らし。
いまの環境はとても好きだけれど、私は私の手で、もう少しだけ、人生を豊かにしたいのだ。
これからも人知れず、小さく冒険し続ける人でいようと思う。

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