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ぼくの教育論【深夜ラジオnote】

こう見えてぼくは、もともと教育業界にいたことがある。
というより、受験業界と呼んだ方が正しいだろうか。京大・阪大や同志社大学に何人入れたかみたいなゲームに参加して、貢献していた時期があると言ったほうがしっくりくる。
だから、本質的な意味では、教育者ではない。
かと言って受験屋かと問われれば、それも違うと答えたい。
伝えたいメッセージみたいなものはある。だから、合格もさせてあげたいけど、その生徒の内面に引っ込んでいる好奇心の根っこのようなものを引っ張り出してあげたいという気持ちもあり、そういう対話を心がけて授業をしてきた(つもりだ)。
伝える手段として授業という形式はけっこう好きだったし、楽しかった。その反応を見て、目の前の高校生の理解が深まるのをただ見ているというのも案外面白い。学問という壮大なスケールのほんの入り口に立たせるだけなのだが、それでもその道案内は、自分の性格ともうまく結びついていたように思う。

ただし、やはりというべきか。大学受験の指導をするということは、合理的に尖った目的に向かっていかなければならない。少なくともそれがビジネスなら、数字を追いかけることは必要だ。
慶應義塾に何人受からせたかとか、京都大学の経済学部の数学入試は、意外と穴場になっているみたいな、せこせこした情報を伝える人というのも、なんだかなぁという思いがあって、気持ち的に少し遠のいていた。
だけど、先日すこしおもしろい人と話して、教育業界も悪くないなという思いがこみ上げてきたのだ。

彼(ゐどむさん)との話し合いは、数時間に及んでお互いについてあれこれと話し合った。それでわかった。この人は、子どもの目線なのだ、と。
ぼくは、子どもの時すこしひねた子どもだったこともあり、大人という存在は、常に子どもから自由と個性を奪ってくる脅かしてくるものだった。
よくある反抗期と言ってしまえばそれまでなのだが、「大人」という立場や仮面が、型にハメ込んだり、変な形を正そうとしてくる存在に思えてならなかったのだ。その分、警戒したし反発もしたし逃亡もした。
その点、彼は等身大だった。
かざらず、一人の人間として、目の前の人と向き合える人だ。

その人が、「自分らしく生きるために必要なことは?」その問いの答えを明確にするトーク&ライブ」に登壇するらしい。

なになに?
キーワードは「選択」。人生は選択の連続だ、もちろん子どもの未来は選択によって決まるという。
絶対に、後悔しない選択を人生でするための方法を学ぶトークライブだという。
こうやって書くと、選択の仕方を教えるみたいだけど、そうじゃない。
きっと狙いはもっと深いところにある。
子どもの内発性を引き出すのが目的だと思う。

子どもが自分の口で自分のやりたいことを自由に語り、自由に選べる。その実現のためには何ができるのか向き合って考える。
そういうトークライブなのではないかと思う。これからの時代はVUCA時代と言われる、ワケノワカラナイ時代に突入する。
これから訪れる時代の暴風雨にそなえるために、自分の頭で考える力を養いたい。
そういう子どもを育てたい親にとって、このイベントは満足のいく結果が得られるのではないか。そして、自分に子どもがいなくとも、子どもと対話をすることで、すこしでも子どもの未来に関わりたいという人がいたっていい。

これはぼくの持論だが、教育は誰もが関わるべきだと思う。それを選ぶのは子ども自身なのだから、そのきっかけを与える人は必要だと思う。

今の時代、子どもはますます閉鎖的だ。同地域の同年代という非常に狭い視野の似たような家庭環境の似たような価値観の子ども同士の関わりしか持てない社会だ。
そんな社会で育つ子どもは、閉鎖的な考え方しか生まれないとぼくは思う。
そんな時代に子どもがかかわる大人って、誰だろう。学校の先生と親とせいぜい塾の先生くらいじゃないだろうか。もちろん、親戚のおじさんとか近所のお兄さんもいるかもしれない。
でも、こういう偶発的な出会いの中で知らない大人と話す経験が子どもにとって案外、一番必要な経験なんじゃないか。

だったらさ、いろんなバックボーンを持っている大人も子どもも混ざって話してみたらどうだろうか。
いっそのこと、そういう人に預けてしまったほうが、いい子に育つのではないか。

そんなことを深夜に思った。

最後に曲紹介!今、ぼくが聴いている曲は、相対性理論の「スカイライダーズ」。

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