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社会人になってから読書しなくなったあなたへ

「昔は読書してたんだけどなぁ〜、今はしなくなった・・」
「読書を趣味にしたいけど、ペースメーカーがほしい」

大学生の頃、ぼくは読書が好きだったので、ありったけの時間を費やしていました。
しかし、大学を卒業とともに、働かなければならず、読書の時間がめっきり減りました。今、ぼくの読書は、現役時代の読解力回復のためのリハビリ期間になっているほどです。あの頃の集中力を取りも出したい。あの頃の頭がキレる感じをもう一度。
そんな思いから発足したプロジェクトが、「山門文治ゼミ」です。

と、こんなことを書くともしかしたら、レベルの高いゼミをやるんじゃないかと身構えてしまいますよね(笑)
身構えさせてごめんなさい。でも、大丈夫。ここで、小学6年生相手に国語を教えていたことがある山門文治の出番です。
山門文治ゼミでは、好奇心赴くままに、山門文治が今、ハマってるものを紹介するライブ配信(ZOOM談話もします)。

具体的な内容は、こんな感じで、月に1冊課題図書を発表します。
それを各々月末までに読み、月末の金or土のちょっと夜遅くに、その月のテーマに関する、現代文の授業のようなものをします。
これは、みなさんの読解力UPみたいなサブテーマもあるにはあるのですが、それよりも、「読書ってこうやって楽しむんだよ」「知識ってこうやってつなげて楽しむんだよ」みたいな知の旅行のガイドとしての役目を担いたいので、ぜひただ楽しんでくれればと思います。(最悪読んでなくも、楽しめるようにします。)

また、ZOOMで授業後は、各々顔出しをする交流会も実施予定です。
山門文治のファン同士の交流会なのか、読書好きが集まる交流会になるのかは未定ですが、要望があればやってみようかなと思います。
もし、以下の案内文を読んで、面白そう!と思ってくれたなら、当日(4月27日)お待ちしております。

【4月27日(土)山門文治ゼミ】
テーマ「西武グループ(堤親子の野望と屈折)」


実は山門文治、西武線の沿線に住んでいるので、西武グループという好奇心の扉はうっすらと開いていたのだけど、先延ばしされてお預けとなっていた。

そうやって、「西武グループ」をテーマに、本を読んでみたらこれがおもしろい。ドハマリです。
これは、Netflixでドラマ化したら、めちゃくちゃおもしろいだろうなぁと思いました。
実は、西武グループの創業者堤康次郎(1889年〈明治22年〉- 1964年〈昭和39年〉)は、軽井沢や箱根、国立、目白などを今の高級感のあるイメージに創り上げることに貢献した人物です。今の軽井沢や箱根は、堤康次郎が父親と言っても言い過ぎではありません。
その一方で、女性にだらしなくて、彼の葬式には、彼の顔そっくりな顔した赤ちゃんを抱いた謎の女性が何人も参列したというエピソードがあるほどです。(今だったら、笑い話では済まないエピソードですね笑)
しかし、その康次郎の生い立ちは、幼い頃に両親を亡くしていたり、追い打ちをかけるように、育てのおじいちゃんすら亡くなってしまうという、涙も枯れる壮絶な過去があります。そうした幼少期のトラウマは、彼の女性遍歴に多分に影響を与えたことだと思います。

この康次郎の息子の清二(1927年〈昭和2年〉- 2013年〈平成25年〉)は、打って変わって芸術肌です。50年先を見通すといわれるその千里眼の射程は現代にも及ぶと言われています。(1980年代の日本にいながら、2020年には常識化されるさまざまなことを先駆的に行っていたといえばわかりやすいだろうか。)
さきほど、芸術肌だと書きましたが、堤清二にはニックネームがあります。それは、「詩人経営者」。
そう、詩を書くのです。昼は社長、夜は作家という二足のわらじを履いていました。
作家としても一流ですが、経営者としても一流です。父とは違ったタイプのカリスマ性を持って、独自の経営哲学から先駆的なマーケティング手法を試したり、企画をしたりと、いい意味で日本っぽくない画期的な取り組みを数々起こします。
しかし、その内面は、父である康次郎への反発心だったりと屈折した部分があります。
「その多彩さ故にどっちつかずになった」という手厳しい指摘もありますが、ぼくは、小説と経営には、つながっている部分があって、相互的によい影響を与え合っていたのではないかと思ってしまいます。

Netflixで映像化されたら面白そうだと言った気持ちわかってもらえましたか?
このように、堤康次郎と堤清二親子の経営者としての人間模様に触れながら、できるだけおもしろく、わかりやすく、雑談(というか授業というか・・)をします。

課題図書は、『無印ニッポン』です。


【5月31日(金)山門文治ゼミ】
テーマ「京都に原子爆弾が投下予定地だった話」

広島県と長崎県に原子爆弾が投下されたって話は、ぼくたちが決して忘れてはいけない出来事のひとつですが、原爆の投下予定地が京都だったって知っていますか?
「まさか!?」と思うかも知れませんが、わりとその日の天候というきまぐれな理由で急きょ、京都から広島に変わったのです。
これはたまたまの出来事でした。記録にも残っています。
しかし、後の日本国内では、ある奇妙な都市伝説が流行りました。

「アメリカは文化的な先進国であるため、日本人の伝統文化の拠り所である鎌倉や京都には爆撃をしなかった」

しかし、これは史実に反します。だって、あの日は京都に投下する予定だったのだから。
では、なぜ史実とは異なるデマが流行ったのでしょうか?

こういうテーマから、歴史の授業をしながら、この問題について深掘ります。
このテーマについての課題図書は、4月末に発表します。お楽しみに!


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