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【VS ぺんぎん@自己肯定感さん 企画】ぺんぎんぶっ◯す

※当トークは、【VS ぺんぎん@自己肯定感】という企画です。
noter同士、スキの数を競い合うバトルをしています。

本日から、10日の3日間で集まったスキの総数が多いほうが勝ちです。
また、本バトルに限って、公平性を出すため、山門文治VSぺんぎんさん連合軍の総数での戦いになります。

ぺんぎんさん記事

庫倉倉庫さん記事




かねてより実践したかった謎解き・推理要素を取り入れてみようと思います。そのために、本文を読む前に設問を設定しました。
タイトルの「ぺんぎんぶっ◯す」の◯にはなんの文字がはいるでしょうか?
答えは、コメント欄にあります。

この文章は、筆者(山門文治)がぺんぎんさんに会った時の印象をコトバにしたものです。次の文章を読んで、以下の問いに答えてください。

本文

ぺんぎんさん。

ぼくは作家です。作家というのは、会った人を自分の物語に引き込んでしまう人です。つまり、ぺんぎんさんはぼくに会った時点で、もうぼくの物語の住人になってしまったのです。言い換えると、ぺんぎんさんは、山門文治ワールドの住人にされてしまったのです。こうやってぼくの物語に絡め取られると少し厄介です。なぜなら、なかなか抜け出すことがむずかしいからです。
これから、ぼくが贈るコトバは、山門文治ワールドの住人として、ぺんぎんさんの配役についてです。

それでは、本文をどうぞ。

ぺんぎんさん、この間は、どうもありがとうございました。
少しあの日を振り返りましょう。
あの日、ぼくらはXのDMの約束の時点では、散歩をしようということで待ち合わせていました。
しかし、あの日はいくつかの不幸が重なりました。
まず、雨です。いやぁ、外で散歩がしたかったなぁ。
次に、締切です。あの日は、人生がかかった有料noteの発売日だったため、ぼくは、1時間で帰ってしまいました。
遠くからわざわざぼくに会いに、多摩センター駅まで来てくれたのに、1時間で「じゃあ、そろそろ‥」なんて切り出すのは、本当に忍びなかった。申し訳ない。
それなのに、ぺんぎんさんは、嫌な顔ひとつせずに、「ありがとうございました」と爽やかな笑顔を見せてくれたのです。(それがまた罪悪感につながるのだが)
根っこから優しいんだなぁと心の底から思いました。
——これはぼくの単なる偏見ではありますが、「嫌われる勇気」に感動する人は、いい人です。
あの時、ぺんぎんさんは、自分がした乗り越えた経験を他の人にもしてほしいから、作家になりたいのだと話してくれました。
ぼくは利他的な動機から、自分の職業を決定する人は素敵な人だと思います。
この国では、今、作家になりたい人が極端に減っています。つい100年前、夏目漱石や芥川龍之介は、国民的なスターでした。しかし、今の時代のスタート言えば、ティクトッカーとYouTuberです。そんな時代に、作家になりたいと思う大学生がいることは、ぼくにとってうれしくて仕方がありません。

ぼくが会ったのはあの1時間だけですが、ぼくはぺんぎんさんのnoteを読んでいます。「お、今日はみなぎっているね」「今日は手を抜いたな(笑)」こんな感じでぺんぎんさんのnoteを楽しんでいます。
ぼくにとって、なんか癒やしなんですよね笑
言い換えると、ぺんぎんさんはぼくに癒やしという印象を与えて(ぼくが受け取っただけかもしれませんが)、ぼくをファンにしたのです。
少し前、ぼくはぺんぎんさんにサポート送りました。あれは、卒業おめでとうの気持ちで送りましたが、これもよくよく考えればファン行為ですよね。

ぺんぎんさんはそれを意図してないのかもしれませんが、ぼくは実は癒やされていたのです。
ところで、急にコンサルっぽいこといいますが、ぺんぎんさんは読者からどういう人物像だと思われていると思いますか?ぼくもわりととっ散らかってる方なので、こんなこと恐縮なのですが、noteの中でぺんぎんさんは、メタ認知的に自分がどういうキャラクターに映っているのかを説明できますか?つまり、読者に、どういう人物だと思われているのか。あるいは、読者にどういう人物だと思わせたいですか?こう言いかえてもいいかもしれません。ぺんぎんさんにチロルチョコ代を支払ってくれるようなファンは、なぜぺんぎんさんにそれを支払ってくれたのか徹底的に考えましょう。三者三様の理由があると思いますが、それはぺんぎんさんのいくつも眠っている魅力の発掘作業のようなものです。こういうところに、成功のヒントは眠っていると思います。

加えて、ぼくから先輩として少しだけアドバイスです。
ぺんぎんさんのライフステージは、大きく変わりました。結果的に環境も変わったのだと思います。これまでは、東京の陽気な仲間たちや最後に青春を燃やしたnoteで知り合った仲間たちとの共同企画などあり、その対比として社会人の今があると考えると、気持ちは痛いほどわかります。

モラトリアムが、〈現実〉という刃によって切り裂かれた。
そして、30年先の未来が見通せてしまう職場環境は、定年退職後の自分の姿が映ってしまう。
こういう経験、ぼくにもあります。すごく怖かったです。イヤでした。

社会学の知見ですが、準拠集団という考え方があります。(もしかしたら、社会学の講義で耳にしたことがあるかもしれません。)
所属集団は、厳密な所属先がなければ名乗れないのに対して、準拠集団は、もっとアソシエーション(自由参加)的です。
つまり、いたい時にここにいればいいのです。
正式な社会学みたいなものからは、逸脱した解釈ですが、ぼくはそう捉えました。
ぺんぎんさんの居場所は、ひとつじゃありません。
会社もひとつだし、親や家族もひとつだし、noteもひとつです。
ぺんぎんさんは、いつだってnoteに接続しているんです。つまり、それは準拠しているということです。

今、もしかしたらつらい時期にあるのかもしれません。
ちょっとだけ心配しています。
でも、作家はつらい経験も悲しい経験もすべて作品にして、読者に楽しんでもらうことができる職業です。だから、作家として大成するためにはある程度のストレスはむしろ必要経費みたいなものだとも思っています。

こうやって励ますことくらいしかぼくにはできませんが、それでも乗り越えてレベルアップして、もっともっと文章力を磨いてほしいのです。ぺんぎんさんは作家になると宣言したからには、もう中途半端なところでやめてほしくないわけです。山門文治の名前ならいくらでも貸すし、面倒じゃない範囲でなんでも手伝います。


ところで、ぺんぎんさんに提案があります。
それは、改名に関する提案です。
今、「ぺんぎん @自己肯定感」という名前ですが、これは出版して書店に並んでいるのがイメージがつきづらいネーミングです。特に、「@自己肯定感」がそうさせているのではないかと思えてしまいます。
売れそうなネーミングというのは、とても重要です。
こういうのはどうでしょう「ぺんぎんぶっくす」。なんとなく親しみやすいネーミングを考えました。「どうも!ぺんぎんぶっくすです!」こういうあいさついいですよね。
名前に使わないまでも、kindleなどで出版を考えているのだと思うので、その時の出版名につかってもいいかも知れません。

今後もいっしょにがんばっていきましょう!
あの日はたのかったです。会ってくれてありがとうございました。
また散歩にいきましょう。

山門文治より



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