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本当にプロnoterになれるかもしれねえ……【深夜ラジオnote】

今年の年明け、ぼくはやけっぱちだった
去年の12月は、躁鬱病のひどい鬱が訪れて、あらゆる仕事は手つかずに。12月は、アパシーと死への衝動を繰り返す31日間だった。
ぼくは、いくつかの仕事をばっくれた。これはフリーランスとしてはあってはならないことである。これに加えてもう一つ自分を追い込んだ。ばっくれるだけでなく、新規の依頼も断ってしまった。すると、みるみる客足は途絶えて、ついにほとんどの仕事を失ってしまった。残されたのは、この厄介な性質に理解を示してくれたある優しい教育業界の経営者の方だけだった。それ以外のつながりは完全に途絶え、廃業フリーランスに。そして、静寂が訪れた。

静寂は沈黙を産み、思考を育んだ。
ああでもない、こうでもない。
社会とはなにか。愛とはなにか。仕事とはなにか。人生とはなにか。

人生の「これじゃない感」の所在について考えると、こんな疑問に立ち返る。
“おれはこんなところで終わる男じゃない!”と奮い立たせるタイプもあるし、”私はふつうの恋がしたいだけ。ただし、私を愛してくれない人と”というタイプもある。
平たい言葉で、これは悩みという。
だったら、悩みの正体は、「人生これじゃない感」に集約されるとぼくは思う。

だってそう。
現代社会で生きるみんなが持っている悩みのほとんどは、「理想の自分はもっと〇〇なのに、現実の自分は‪✕‬‪‪‪✕‬だ」という根本的な問題に行き着くはずだ。
頭の中には、常にこれらがつきまとう。女の子からモテたいし、もっと頭だってよくなりたい、顔だってよくなりたいし、性格だってよくなりたい、もっと仕事ができるようになりたいし、理想的な彼女がほしいし、理想的な人間でありたい。これらの「ありたい」は、向上心に変換することができるし、がんばる活力にもなる。だから、これはかならずしも悪いばかりではない。だが、「ありたい」の気持ちが肥大化すると、「できない自分」が浮き彫りになる。すると、自己否定のこだまが、心身を蝕む。これが<鬱>になり、「人生これじゃない感」が強まっていく。そして、死への衝動が強くなる。でも、たったひとつだけ逃げ道があった。死ななくて済む方法が。それは、悩みを言葉にすることだった。日々の怒りも悲しみも憎しみも楽しさも全部全部、言葉にする。そうすると、すっかり死にたい衝動は消えてなくなりおだやかな気持ちだけが残る。だから、これはぼくにとって作家という生き方は、生き延びるための唯一の方法なのだ。


そうと決まれば、がむしゃらに無茶苦茶に文章を書いた。
公開したものは、どの記事も3,000字以上なので、1日に数千字〜数万字は書き続けた。もちろん、おびただしい数の非公開があるので、それは後々に、公開しようと思っているが、とにかくキーボードを叩きたかったし、言葉について考えている間だけは、鬱に引っ張られないでいられる。ネテロの感謝の正拳突きってくらい、とにかく祈るように言葉を発し続けた。
手応えのない日々を過ごしたしたのは、最初だけだった。noteには、ダッシュボード機能というものがある。ここで数字がわずかだが、読んでいる人がいるかもしれない可能性を実感することができた。そこには、ちょろちょろと湧き水が流れるように、ビューやスキを観測することができた。こうなってからはあっという間だ。

ぼくの中に大きな変化が起こった。
もっと読まれる文章は?もっと読んでもらうため、どんな企画をしようかな
。もっと読んで欲しい!もっと楽しんで欲しい!もっと言葉を届けたい!もっと言葉でつなげたい!もっと言葉を磨きたい!こういう想いのひとつひとつが、鬱からの帰還を歓迎する喝采のように鳴り響いた。
シナプスの電光石火による火花が迸り、明らかに生きるのが楽しくなった。そして、その変化は、内面の変化と連動して、しっかりと外部の変化として形にたち現れた。
いよいよ、マジでぼくはプロのnoterになれるかもしれねぇ。
マジで。マジで実現するのかもしれない!!!

昔からの夢だったプロの夢は叶えることができた。
6歳のころの話だ。幼心ながらに「プロの作家ってなに?」と訊いた母の答えは「文章でお金を稼げることよ」だった。
6歳のぼくはこう聞いてどう思ったのかはよく覚えていないけれど、あの時の母には、「作家になったよ」と伝えることができそうだ。
※父にはまだ話せていません(笑)

2月にやっと有料記事が売れた。(買ってくださったゐどぬさんには、感謝しても足りない。)ありがとうございます!!この方はぼくのはじめてのお客さんだ。
興味と好奇心でぼくと「話したい」と言ってくれた。そして、話した印象は他人だとは思えなかった。年齢こそ違うし、別々の人格なのだけど、それでも持っているイズムには、共感せざるを得なかった。
この方がやっている「アリストテレスの窓」というサービスは、子どものことを心の底から考えて、子どもの立場に立てる、かっこいい大人が人生を語ってくれる教育だ。かっこいい大人だと素直に感じた。子どもが感染する大人だ。嘘ばかりの大人に子どもは感染しない。そんな正直なナイスな人だった。もし、お子さんがいらっしゃる方がいたら、この方に任せてみてください。
作家という職業を通して、こうした出会いは大切にしていきたい。だから、ぼくは、「会える作家」として文章を書き続ける。

これだけじゃない、いくつかの有料noteを販売して、着実に売上を上げている。
もちろん、そんな威張れる金額ではないかもしれない。それでも、毎日鳴る「購入しました!」の通知はやっぱり嬉しい。買ってくれた人は、やっぱり特別だ。

購入者の方からは、もちろんノークレームで、満足の声をいただいている。
そして、マガジン「今、このnoterが面白い!」は、ぼくの知らないところまで名前が及ぶほどに成長した。

このような数々の兆しがあるので、今後こそ、本当の本当の本当にプロnoterになれるかもしれねぇ。
という確信は日に日に現実味を帯びていく。
ぼくはこれから、もっともっと人と会って、そこで生まれたコトバを紡ぐ。
話して言葉を届けて、帰って思い出して言葉を綴る。
今後は、そういう日々を送りたい。もっと面白い発信をしたい。もっと読まれる文章を磨きたい。人とたくさん会って、暇さえあれば読書に没頭する。こうして、最強の文章を書けるようになり、いずれは文学賞を狙うために、創作に専念したい。そういう人生の実現のために、今のぼくのすべての活動がある。


先日、あるマーケッターと雑談する機会があった。その方から「山門くんの文章は1日に最低でも2300人くらいは読まれているはずだよ」と言ってもらえた。
※ダッシュボードのビュー数やスキ、コメントの数から、だいたいの読者数を割り出す計算式があるらしいです。気になる人は、ダッシュボードを公開しているので、過去のつぶやきを遡ってください。
山門文治は、すっかりメディアになってしまったのだ。


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