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精神科医に絶望した患者(私)が、死ぬまでにやってみたいこと。

「医者は助けてくれない」という絶望

最初に精神科にかかったのは2008年のこと。慣れない責任ある仕事に追い回され、疲れ果てていた頃のことです。上司のふとした言葉がきっかけで、私の心のしんどいメーターが限界に達してしまったようで、涙が止まらなくなってしまいました。結局その日は、眠りにつくまで9時間泣き続けた私。それを見ていた友人が「マジでヤバいから精神科で診てもらいな」と勧めてくれたからでした。生まれて初めての精神科受診でした。(あの時の友人にはほんと、感謝)

最初は「病院に行きさえすれば、もらった薬を飲みさえすれば、少しずつ楽になるだろう」と漠然と思っていました。でも、現実はそんなに甘くなかった。

私の苦しい闘病生活(というか、暗中模索)は、ここから6年続くことになります。

その6年で3度、転院。4人の精神科医に診てもらううちに、私は絶望していきました。「医者は処方するだけで、助けてくれるわけじゃないんだ」と。

病院に行くのが怖かった

4人の先生は皆さん、悪い人たちではありませんでした。基本的には穏やかでしたし、悪意のある言動もありませんでした。でも、鬱で感じやすく傷つきやすくなっている私の心を骨折させるような言葉がけをされることがしばしばありました。

例えば一人目の医者にかかっていた時。ニュースを見てもドラマを見ても心が動きすぎて、涙が止まらないし心が痛くて潰れそうで辛かった私は、「感受性が豊かすぎて、すごくしんどいです」と伝えました。それに対して先生はイライラした雰囲気で「それはしょうがないでしょう」と一蹴。「何とかしてしんどさを解決したい」という思いで相談したのに、完全に拒絶されたと感じた私は、泣きながら家路につきました。

「しょうがない」と片付ける前に、「すごくしんどいって、どういう感じ?」とか深掘りして聞いてほしかった。とても深く傷ついた私は、それ以降、その先生に診てもらうことが怖くなって転院しました。

二人目の医師は、どちらかというと明るい柔和なおじさんでした。私がフィリピンに関わる仕事をしていると知ると「うちの患者さんに、フィリピン人女性がいるんだよ。夫からのDVで酷く傷ついてて。あなたよりずっと大変な経験をしてるんだよ。」と話してきました。私がNGOの経営者として大きすぎる責任感に押しつぶされそうだと話すと「自分も若い頃は病院経営に苦労し、心身を病んだ。そういうことも乗り越えていかなきゃいけないものだ。」とも言われました。

悪気がないことはわかりました。でも私は、誰かと比較されて「あなたはまだ恵まれてるのだから、これくらいで弱音を吐くな」と言われているように感じられ、通院のたびにズタボロになった心を抱えて家に帰っていました。

3人目の先生は、普段は冷静な人でしたが、ある時すごくイライラした感じの日があって。診察中にふとしたやり取りの中で「じゃああなたはどうしたいんですか?」と私にキツい口調で問いかけてきたことがありました。

私は突き放されたように感じて、「ああ、この先生とも私はうまく関われない」と絶望しました。

そこから私は、精神科の先生に期待するのをやめました。先生たちは「薬を処方する人」にすぎないのだ、と。薬だけではどうにもならない症状があり、いつ治るかもわからない不安にも苛まれ、生きていること自体が苦痛で毎日が地獄だった。なのに「地獄から抜け出すために、薬以外にどんな試行錯誤の選択肢があるのか」を一緒に考えてくれる医者には、一人も出会えなかった。

私は医者に期待しても無駄だ、と思うようになりました。

「患者」としての未熟さを反省

じゃあ、すべての精神科医が頼りないのか?というと、そんなことはありません。Twitter見てると素敵な主治医と出会えて、少しずつ回復されていってる患者さんをしばしば見かけます。

私が出会ってきた先生たちが質が低かったか?というと、まぁそういう面もあった気はしますが、それだけでもないと思うのです。

私と先生たちの相性が悪かったという面もあると思うし、私が「患者として未熟」だったという面も多少なりともあるな、と思うのです。

最初に受診した時の私は28歳。病気は「医者に聞かれたことに答えるだけで診断でき、治療法がすぐ決まり、それを実践したらすぐ治せる」という幻想を抱いていました。

でも精神的な病気というのは、その症状がコロコロ変化することが多く、数分の問診で症状を伝えるのは簡単なことではありません。特に双極性障害の場合、軽躁の時には鬱時のしんどさをすっかり忘れてしまっていることが多いので、受診時が軽躁だと「調子いいです!」と回答してしまいがち。実は一週間前に鬱で死ぬほど苦しんでいたとしても、その現実がなかなか先生にはうまく伝わりません。

何年も精神科にかかかって初めて、私は気付くようになります。自分の症状を少しでもいいから記録した方がいい。鬱がキツすぎて人と話すのが怖いときは、その記録を先生に見せることで辛さを伝えよう。具体的に何に困っているかもメモして、いつでも話せるようにしておこう。質問したいことや、不安で相談したいことは、受診日に思い出せるとは限らないから、気づいた時にメモしておいて、当日持参したほうがいい。

治療とは「医者に身を委ねること」だと思っていた私でしたが、少しずつ「患者と医者の共同作業である」という認識が芽生え始め、私自身が患者として努力や工夫をする、ということの大切さに気づいたのでした。

「患者スキル」を伸ばす場がなさすぎる問題

「患者が自身の不調についてきちんと把握して、主体的に医者に伝える」というのは、質の高い治療をするにあたっては欠かせないことだと思います。特に、検査があまりできず、問診に頼る割合が高い精神科では、一層、患者の「伝えるスキル」が問われます。

でも鬱の時の私は、伝える力が激しく落ちてしまいます。人と会うのが怖いし、話すのが億劫だし、何を言われるかと不安で不安でたまらないので、コミュニケーションをできるだけ最小限にしようとしてしまうのです。鬱の時は記憶力も落ちるので、前回の診察から今回の診察までにどんな症状の変化があったのか?なんて思い出して話すなんて高度なことは到底できません。無理です!笑

そう考えると、「症状を記録しておきましょう」とか「聞きたいこと相談したいことをメモしておきましょう」といった「基本的な患者スキル」を精神疾患もちに教えることって、すごく大事だと思うんです。

でも、そういうことを学ぶ場ってほんとない。これって、ほんとに深刻な問題だと思います。

精神科医と一緒に本を出版したい。

私は「処方するだけ」の先生たちに絶望しました。それ以来、「病院は薬をもらうところ」と割り切って、夫に助けてもらいながら自分で病気について勉強し、いろんな人の対処策から学んで実験して自分に合う「回復の道」を模索して、ほぼ寛解に至りました。2014年以降は滅多に鬱転しなくなっています。

だいぶ回復した私は、「日本の精神科医療、どうにかならんかなぁ」「私の経験、メンタル疾患で困ってる人の役に立てられないかなぁ」と考えるようになりました。それで、プロフィールとかで双極性障害もちであることを公開して仕事をするようになったわけです。

おかげで、「密かにメンタル疾患で苦しんでます」という友人知人から連絡がくるようになり、ゆる〜くやりとりを重ねて、お互い辛さを分かち合うことで、支え合える関係が増えました。

そういう経験を経て、次にやりたいことが見えて来ました。それが、「精神科医と一緒に本を出版したい」ということです。

当事者と先生が「診療の場」ではない場所で腹を割って話し合って、お互いの立場を「ほー!そんなふうに考えてらしたのね。」と気づき合う経験を重ねてみたら面白いんじゃないかな?と。

患者としてではなく。日本の精神科医療を良くするためにどうしたらいいんだろうということを対話する目的で、「どうやったらもっといい治療ができるだろう」と模索してらっしゃる精神科医の先生と出会いたいなぁ思います。

もし出会えたら、私がどんな気持ちで精神科に通ってきたのか、先生たちに何を期待して何にがっかりしてきたのかをお話ししたい。

先生からも、「患者が何をどう話せばもっと治療しやすいと感じるのか」を聞いてみたい。

お互いに期待することを伝え合える場がなくて、理解しあえなくて、絶望しあって苦しんでるみたいな面ってあると思うんですよね。

そういう話し合いを踏まえて、「精神科医が気をつけるといいこと、精神科患者が気をつけるといいこと」みたいなのをまとめた本を出版できたらなぁ。それが最近、ちょっとした夢になっています。

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