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【短編小説】置いてきた記憶


公園の街灯が灯りふと顔をあげる

頭の中とは裏腹にグラデーションされた
雲の隙間から覗く紫色の空の世界に
少し切なくなった

枯れた木々が揺れて冷たい風が頬をうちつける
取り残された葉が惨めに淋しくしがみついている
まるで私のように。


携帯も持たずにでてしまった。
この街では17時を知らせる鐘が響く

子どもたちは大袈裟に手を振りながら
勢いよく自転車のスタンドを蹴り
あっという間にいなくなった

賑やかだった公園が一気に鎮まる
錆びれたブランコの影が私の足元まで伸びていた

馴染みのある場所にたったひとり私だけがいる
子供の頃はもっと広かった気がする


この街に越してきたのは私が7歳の頃だった
無口で人見知りの激しかった私にとって
転校は望まぬ出来事だった。
ここではどこまでいっても孤独に思えた


学校へ通い始めるのは二月に入ってすぐ

転校初日はクラスや学校の雰囲気を探るため
一日中アンテナを張り巡らせる

クラスの団結力や人間関係の構築はすでに
固められ出来上がっている
そこへ入っていくのは容易なことでない
私はそれをよく知っている

私の荷はあまりにも重かった

「岡本 紬です。よろしくおねがいします」

簡単な挨拶を済ませ私はそそくさと席につく

休み時間になると真新しいおもちゃを見る目で
皆が寄ってきた

質問に応えるばかりで初日が終わろうとしている
ため息混じりに棚からランドセルを下ろし
帰る支度を始める

「ねぇ、一緒に帰らない?」

「え……いいの?」


一人の女の子が声をかけてきた
咄嗟のことですぐにうんと言えなかった
この子いたっけなと曖昧な記憶を引っ張りだす

仲良くして問題ないのだろうか
クラスのグループ状態がまだわからない
不安を抱きつつも断る理由もなく一緒に帰ることにした

もしもあの時に戻れるのなら今度は
もっとマシな言い方をしたいと心からおもう


「杏花って呼んで!なんて呼んだらいい?」

「私は紬。好きなように呼んで」

「紬!かわいい名前だね!いいなあ」

そんなことを言われたのは初めてだったし
自分の名前が嫌いだった私はなんだか寒気がした


「この街はね17時になると鐘がなるの」
「お家はどのへんなの?」

「そうなの。時計がなくても平気だね。
 4丁目のお花屋さんがあるところらへんだよ」

「それならそんなに遠くないね!よかった!」

杏花はクラスの子のことや担任の面倒くさいところ
音楽の先生は優しいとかいろんなことを教えてくれた


「杏花はここで曲がるの!じゃあ紬また明日ね!」

彼女はとても嬉しそうに振り返って手を振る
肩まで伸びた黒い髪がふわりと風に舞う
少し赤い鼻先がとても可愛らしく
薄紅色のランドセルがよく似合う女の子だった


杏花のおかげで私はすんなりクラスに
馴染むことができた
初めからそこにいたみたいに私の孤独は消えていった

放課後は毎日のように二人で遊ぶ約束を交わす

「今日も行くでしょ?」

「もちろん!待ってるね紬!」

古いアパートの立ち並ぶ住宅街
その中にある大きな一軒家が彼女の家だ
いつもひっそりと静かに佇んでいる

私たちはアパートの裏手にある
階段下のスペースで秘密基地を作った
そこは物置になっていて普段から
誰もこないのを杏花はよく知っていた

学校から帰るとすぐに秘密基地へ向かう
シートやお菓子をリュックに詰め込んで。
時には本や人形も持っていき
いつまでもはしゃいだ

そして鐘が鳴るまで私たちはそこにいる

秘密基地には風があまり入ってこないので
不思議と寒さを感じなくて済んだ

薄暗い灰色の空から時々顔を出す日差しが
私たちを優しく包んでくれている

「杏花ね、紬がきてくれてうれしいの。
 ずっと二人だけの秘密基地にしよう!」

「そうだね!私もうれしい」 

杏花は時々淋しそうに笑う
私は掴めない彼女の深さを知ってしまったようで
少しこわくなった

誰にも見つからないように帰る時は必ず元の状態に戻す
見えない鍵をかけて私たちはまた明日ねと言って別れる

そんな日々はあっという間に過ぎた

3月になって少しずつ薄着になっていく

私たちは終業式を終え膨れたランドセルを背負い
ゆっくりと学校を後にする

転校してから杏花とはどんな時も一緒だった
こんなにいい友達ができるなんてあの頃の私は
想像すらしていない

目の前の暗闇に光を見出せず閉じこもっているだけ
そんな私に杏花は手を差し伸べてくれた

「ありがとう。いつも紬といられて楽しかった」

杏花は名残惜しそうに話す。

「私も。杏花いつもありがとう」

「二年生も同じクラスだといいね!」

「そうだね、同じだといいなあ」

「じゃあ紬、また明日ね!秘密基地で!」

「うん、また明日!秘密基地で。」

春休みもたくさん会おうと約束して私たちは帰った

私たちの性格は対照的だったがそれが妙に心地よかった
きっと彼女がそうしてくれていたのだと今ならおもう



春を思う温かい午後
学校が終わった開放感に満ちていた私は浮かれ足で
秘密基地へ向かう

休みの日は大抵午後から集合することになっている
杏花の姿はまだない
私はシートの上に
お菓子と漫画を広げゆっくり待つことにする

どれだけ時間が経っただろう一向に現れる気配がない
もしかしたら朝早く来て待ちくたびれて
帰ったのかもしれない

鐘の音がやけに大きく響き私は仕方なく帰ることにした
明日は朝から行ってみようと思った

だが次の日も同じだった。
待てども待てども杏花はこない。
さすがにおかしいと思った。

「私何かしたかな、どうしてこないのかな」

気がついたら私は杏花の家の前に
立ちインターホンを押していた

「どちらさま?」綺麗な女性の声がする

「あの、岡本です…岡本 紬です。
 杏花は、杏花ちゃんいますか?」

「すぐ開けるわ、待っててちょうだい」

そう言って勢いよく切ったあと暫くして扉が開いた
全身黒い服を纏い私を見るなり泣き崩れる

「ごめんなさいね、本当にごめんなさい」

どうして泣いているのかも、謝っているのかも
私には何一つ理解することができなかった

肩も唇も振るわせながら女性は言った

「杏花ちゃんね、遠いところへいったの
 もう頑張らなくていいの」

「遠くってどこですか?
 頑張らなくていいってどういう意味ですか?」

聞きたくないと思いながら私は半ば怒って言った

「あなたのことはいつもあの子から聞いていたわ。
 本当に嬉しそうに話してくれるの。
 これ、あの子が最後に持ってたの。
 お守りだって言ってね」  

そこにあったのは私が初めて杏花に宛てた手紙だった

「最後、って。なにそれ。
 もう会えないってことですか。そんなのひどい」

たまらなくなって私はその場から走って逃げた
ひどいのは私の方だ。

秘密基地へ戻ったが広げたシートがめくれているだけで
閑散としていた

「嘘だ、嫌だ。春休みもたくさん遊ぼうって約束したじゃない」

叫んでみても誰も応えてはくれなかった

夕方母親から杏花が亡くなったこととお通夜が今日の夜あることを知らされた。

それからの記憶はどうしても思い出せない。

春休みの間も外へ出ることができず
結局二年生の六月まで私は学校へいくことができなくなった

振り続ける雨の音が部屋に響いて
杏花が代わりに泣いてくれているような気がした
私は杏花がいなくなってから初めて泣いた

彼女は生まれつき心臓が弱かった
転校初日に彼女がいなかったのも
通院していたからだった。

自分の命が長くないということを
彼女は知っていたのだろうか。
私に向けられた笑顔と言葉たちが今になって突き刺さる

彼女を責める気持ちにはなれるはずもなかった 
いつだって最初に私の手を引いてくれた
杏花は私といて幸せだっただろうか


夏休みになって私は一度だけ秘密基地を訪れた
ボロボロになったシートが淋しそうに折り畳まれている

基地の中は夏とは思えないほどとても冷んやりしていた
もうそこは私が知っている場所ではなかった


あれから十四年が経った
私は高校卒業と共にこの地を去った
県外の大学を進学し就職もそこでするつもりだ


親戚の叔母が亡くなり久しぶりに帰ってきたのだ

誰かの死によって私は再びここにいる

空はすっかり灰色に染まり
長く伸びた影もいつの間にか消えていた

私にとって死はいつも間近にあるものとなった

だからといって生が逞しく勇ましいものであると
私はまだどうしても思えない


たった7年。

杏花にとってはそれが全てなのだ。


今の私が彼女に誇れることがあるだろうか

「杏花、私はまだ生きているよ。生きてみせるよ」

冬枯れた葉がひらひらと私の前を通り過ぎていった

「またね紬」

そう聞こえた気がした



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