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私と父。(5)

こんにちは。
いよいよ私と父シリーズも終盤になってまいりました。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
もう少しだけお付き合いいただければ嬉しいです。
前回の記事はこちら


自分に課したミッション

前回の記事で、私が父と一緒に過ごすために実家に帰ると話していましたが、父を思う娘の美談でもありません。
上京後、新しく始めた仕事の職場環境、人間関係が肌に合わず、やめたいとも思っていたからです。

「働くってどういうことだろう」

そんな漠然としたことを考えていた中での父の報せ。
この頃から、私が求める「働き方」や「自分にとっての大切なこと」を考えはじめるようになりました。

実家に帰ると、父も母もたいそう喜んでくれました。
母の場合は安堵だったのかもしれません。
父は、寝ると記憶もリセットされるため、毎朝起きると私に向かって
「おう、帰ってたんか!」
と笑顔をみせてくれました。

短期記憶が残らない父を思い、私は自分自身にミッションを課していました。

  • 洋服の整理を行い、それぞれの収納場所がどこなのかをタンスに貼る。

  • 鍵の置場所の明示

  • 眼鏡(サングラス)の置場の明示

  • トイレのウォシュレットが故障していたため、幾度となく使用しては母に怒られていたため、トイレの中にウォシュレット故障中のため使用できないことを明示。

  • 朝昼晩と書いた袋を準備し、マグネットに薬を入れて飲んだか否かを視覚的にわかるように見えるところに張り付ける。

  • 今日が何日かを同じ場所に書く。

  • 寝る場所がどこの部屋かを寝室の扉にマスコット人形と一緒に明示。

  • 毎日の予定表を作成。朝は何をするのか、昼は何をするのか。夕方は何をするのか。

  • 髭剃り場所の明示。

  • 倉庫のカギ置場を決め、明示する。どれが倉庫のカギかわかるようにタグをつける。

  • 心臓にペースメーカーが入っているため、電子レンジ扉にも注意事項を記載。

  • マッサージ機に乗れないことを明示。

  • 携帯電話の電池がなくなるマークがわからないため、充電マークを記載し、その表示が出るときは充電するように記載。

  • 仏壇と神棚にお供えするもの、供える場所、供える容器を記載。

  • 服を吊り下げる場所を制限するため、不要なものは撤去する。(どこに置いたかわからなくなるため)

  • 勝手口のカギの開閉のマークの明示。

  • Padの充電の場所の明示。ホームボタンの方法。

などなど
非常に細かいことですが、できる限りのことを実行していきました。
実は、新卒で入社した会社で、品質改善/品質管理の仕事をしていたこともあり、私にとって誰がみてもわかる、できるようにする「標準化」の考えが染み付いていました。この考えがここで役立ったと思います。
そしてこれは、母のストレスを緩和させる狙いもありました。
父が、物を置いたことを忘れてしまい、探さなければならなくなる母のストレスを少しでも低減できたらという思いもありました。

父の行動観察を行い、何に迷っているのか、困っているのかを注意深く見ることで、混乱を避ける手だてを模索する日々でした。

服の整理を行うと、父は満足そうでした。
大仕事が終わったといって喜んでいました。
一人でやるには荷が重かったみたい…でもやりたいと思っていたひとつだったようです。
最初は一緒にしていた洗濯物の片付けも、徐々に一人でやるようになりました。
導線をひき、習慣にすることで体に記憶の欠片を残すが大切なのだと思った出来事でした。
記憶に自信がないことで行動がおっくうになっている様子でしたが、根気強く、一緒にすることが大事だなんだとも感じました。


ぼちぼちいこう

体がだるい、自分は病人だと言って寝てばかりいる父に、休むことは大事だと静観していた私でしたが、少しずつ体を動かすように促していくようになります。
父は、自分に病気で何もできないとブロックをしているようにも見えたからです。

父に「やりたいことはある?行きたいところはある?」と聞いてはみるものの返ってくる言葉は

「なにもない…」でした。

いつも、やりたいことでいっぱいだった父の姿からは想像できない言葉でした。
父は、生きていることが辛いようにも見えました。

家のカレンダーの隅には、父が好きな多くの格言が書かれています。
常に、自分を鼓舞し、頑張ろう!と生きてきた父。
そんな父が、病気になった自分を責め、記憶が維持できないことにショックを受け、塞ぎ込んでいました。
父を焦らせてはいけない。
うん。
ぼちぼちでいこう。


父と歩く道

少しずつ。少しずつ。
父の体調を見ながら、天気の良い日は散歩をしたり、近場まで車を走らせ紅葉を見に行き、買い物、ごみ捨てに行くなどして外出する機会を増やしていきました。

散歩も、「今日はこのへんまでにしよう」と言って引き返す父に寄り添いました。
調子がいい日はなにも言わず、行けるとこまで行く。
そして歩いたことを褒める。
たまに体力の燃料が切れた様子が見えると飴ちゃんを渡して、気分転換を図る。
歩いた後は、家でお菓子と一緒にお茶タイムで十分休憩をし、労う。
(休憩をしすぎたせいか、私は体重が激増しました)
焦ってはいけない。
その日の父の気分に合わせる。
上り坂を嫌い、強い風が吹くときは気持ちがマイナスに働くようで、散歩をしない日も多々ありました。


病は気から?!

しばらく過ごしていると、父に変化が出始めました。
歩いているときはよくしゃべるようになったんです。
すれ違う人にも挨拶はかかさない。
歩いている時は特に昔のことや天候の話題が多く、私はただひたすら、うん、うんと聞いていました。

歩き始めた最初の頃は、しんどい、寒い、と吐露が多かった父でしたが、日に日に、自分が退院できたことを噛みしめながら、動ける喜び、歩けること、ご飯が食べれることに感謝を述べながら涙ぐむようになりました。
また、ぼそぼその声だった父の声も徐々にボリュームがでるようになりました。

買った食材や重いものを自分が病人だからといって持たない日もあれば、こんなのたやすい御用といって持ってくれる時もある。
スーパーで好きなお菓子を調子よく買い物カゴに入れてくることも。
掃除も気乗りがしない日は、寝室にこもり、私が掃除をし終えると戻ってくる日もありました。
そんな父の調子を、「今日はその感じね」と私も楽しむようになりました。

病院嫌いなようで、必ずと言っていいほど、病院の日は調子が悪かった。
ですが、通院後半は先生への発言も前向きになっていき、自分から質問もするようになっていました。
病は気から。昔の人はそう言ったが、本当にその通りだと思いました。


父と過ごす時間

父の体温が高い日は体がだるい日が多い傾向にありました。
手足が冷たく、温めたり、足のマッサージをしました。
私の特技に足つぼマッサージがあるのですが、相当痛かったのか悶絶。
でも、声はよく出ていました。
寒い日と温かい日といった気候も体調に影響しているようでした。

ある日は、二人でパン作りを行いました。
混ぜてこねるだけの簡単な作業ですが、体全体を動かすため体力を消耗。でも食べられるものが出来上がるとだけあって乗り気でした。

ある日は、リンゴジャムづくりを手伝ってもらうことに。
6個のりんごの皮むきをお願いすると、黙々と皮むきに没頭。
集中もできるし手も動かせるので父にはあっているようでした。

夕飯の時は、食後にりんごかみかんを食べました。
1個は食べきる自信がないと言って、まずは半分。でも結局は食べきってしまうから面白かった。

ある日は、二人で写経を行いました。
これ、相当な集中力が必要なんですよね。
父は私よりもはるかに集中力があるらしく、黙々と写経をしていました。
雨の日は、写経dayになることが増えました。

ある日は、朝からジェンガをしました。
ジェンガは気に入ったようで高いところまで積み上がると二人で手をたたいて喜びました。笑うって大事だ。

他にも、父が気に入ったことが脳トレでした。
単純なものを中心に複数のアプリをダウンロードし操作を教えていると、一人で黙々とやっていました。相当気に入ったのか別のアプリを自分でダウンロードする日もあり驚きました。なんせ父は機械音痴でしたから。
Siriに向かって、終了しますと呼びかけているのにも笑ってしまいました。

もう一つ気に入ったものといえば、姉が送ってくれた漢字の点つなぎ。
これは、数字を順番につないでいくと最終的には何らかの漢字が浮かび上がってくるというものです。
漢字が好きな父にはもってこいの本で、驚くほどの集中力であっという間に問題を解き進めていきました。
数字を追うこと、漢字が出来上がること、熱中できるということで父はこの本が大のお気に入りになりました。
6冊送られてきた本もあっという間に終わってしまうのである。
父いわく、「これは、サイコーや!」とのことでした。

またある日は毎週末に新聞に掲載されるクロスワードを一緒に解きました。昔からよく二人で解いて、はがきを送っていたことを思い出したのです。
すると、わからない言葉、忘れてしまっている言葉もあるものの、ゆっくり待っていると出てくることもあり、ひらめきを待ち、無事に二人で解くことができました。
毎週のようにクロスワードをはがきで応募していたある日、なんと当選!
やはり何事もやってみることが大事なのだと思った瞬間でした。

スポーツ観戦が好きだった父と、テニスや野球、相撲なんかも一緒に観戦しました。

私は、こうやって過ごした忘れてしまうだろうことも、振り返ることができるように、記憶を写真に残すようになりました。
ですが、今振り返ってみても父と一緒に過ごしたこの時間は、忘れることはなく、人生の中で一番濃かった父との時間だったように思います。



私と父。(6)へつづく。

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