#361 師走の渋谷

慌ただしく時が流れる師走の最終日前々日。
渋谷で友人Aと会っていた。友人Aは翌年の4月から始まる早稲田大学ラグビー部新人練習の再チャレンジへ向け、まっしぐらという感じだ。
彼は目をギラギラさせながら「どうだ。新人練習に参加する決意は固めたか?」と僕の顔を覗き込むように見てきた。
渋谷のセンター街真ん中辺りにある大衆居酒屋で焼鳥をかじりながら、友人Aの早稲田ラグビーに関する話は留まることを知らなかった。
あまり早稲田ラグビーの歴史を知らない僕にレクチャーしてくれた。
この年の早稲田ラグビーは大学選手権2回戦で京都産業大学に敗退。
まさかの年内シーズン終了となっていた。友人Aはそのことを今にも泣きださんばかりの表情で無念を語り、「来年は俺が入部して早稲田ラグビーに貢献する!」と少しの迷いを感じさせない様子で叫んでいた。
僕は正直なところ、まだこの時点では新人練再チャレンジは決めあぐねていた。
ただ、確実に友人Aの熱意には感じるものがあった。
時間が経ち、ビールが進むと少し酔った友人A「一緒に新人練チャレンジしよう!そして来年こそは早稲田のラグビーが荒ぶるを歌う事に貢献しよう!」と言ってきた。
友人Aの真っすぐな視線と熱いメッセージに僕も胸が熱くなった。
早稲田ラグビー新人練の再チャレンジは選択肢の一つとしては以前よりは少しだけ可能性が上がったのは確かだった。

僕はラグビーサークルを辞め、ニュージーランドに行くかもしくは友人Aと共に早稲田ラグビー入部の再チャレンジするかの2択に絞っていた。
この時点ではニュージーランド行きへの意向が強かった。
僕は学を休学してニュージーランドへ長期ラグビー留学をすべく、いろいろ調べていた。その為に掛かる費用を貯める為にアルバイトも初めていた。
家の近くにある喫茶店でウェイターとして週4~5日でコーヒーを運んだ。
それとは別に週1回家庭教師として中学2年の男子宅に赴き、英語・国語・数学の3教科を教えた。翌年、名門公立高校を目指しているとても頭の良い子だった。
続く…

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