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ふたつの使命〈前編〉

何年か前にスピリチュアルが流行った時、使命という言葉も流行り、多くの人が自分の使命を知りたがってた。

「自分には特別な使命がある」そう思うことで自分の存在価値と優越感をもち、今の自分から目をそらせているようで、私は使命という言葉が気持ち悪かった。特別な使命などなく、この世界に生まれた全員に「生きる=使う命」という使命があるだけだと思ってた。

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私の友人たちは「目に見えない存在」を信じ、感じる能力の高い人も少なくない。以前「あなたには使命がある」的な事を何度も言われた。言われるたびに心地悪かったけど、スピリチュアルブームが去り、最近は使命という言葉を耳にしなくなっていた。

先日、久しぶりの友人から電話があって、話の中で「沖縄のユタ家系の人に、あなたにはミッション(使命)があると言われてん…」と言う。私は友人にむかって「ミッションってホンマにあるん?私は特別なミッションなんてないと思ってるねん」とミッションと言う言葉を拒否するように話していた。

今、この事柄を客観的にとらまえると「心地悪さ」や「否定」「ムキになる」ってことは、そこに何かが隠されている証拠にすぎない。そうでなければ「気にもならない」はずだから…

彼女が聞いた話によると、ミッションがある人は全体の2割程度で、彼女はその2割の人間なのに自覚がなく(免許もないとう表現をしていた)自分のミッションを遂行できていないらしい(笑)私も似たような事を何度か言われたなって思い出し、思わず笑ってしまった。(類は類をよぶのね…辛い…)

「私はその使命がある2割に入ってないと思う」そんなささやかな抵抗をしめすと、友人には真剣に呆れられ「はぁ〜〜〜?!」「あなたもだから(笑)」と言い放たれた。(汗)

「いやいや、ホンマにええねんミッションとか…」

私は電話でそう言いながGoogleマップをみていた。そしてマップ上のとある海岸に目が止まり拡大すると「ミッションビーチ」と書かれていた。

あぁ〜…これは無視したらあかんやつ、つまり「ミッションについて、気づきなさい」というメッセージ。あれだけ抵抗していたのに、あまりに絶妙すぎて素直に受け入れた。

この世界は優しい♬ 私の幸せに必要な事を最善のタイミングで教えてくれる。今回のこれがまさにそう。友達との会話だけだと、以前と同様ミッションについてスルーしていたはず、そこにこんなシンクロを起こすお茶目さが素敵すぎる。

「ミッション??それって何??」自分に問うてもまったく分からない

「そのビーチに行ってみよう」紐解ける気がする。この自分の感覚に従うことが最短の道。

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翌日、陰陽師系の友人と会ったので、この話をすると「そのビーチどこ?見せて」とGoogle マップを見ながら「このビーチのこっち側に龍神さんがいる」と教えてくれて「あなたも龍神に縁あるね」と笑われたけど、沖縄(琉球=龍宮)が好きで移住したのだから縁があると思う、でも私は龍神というより鳳凰だと思う。龍神と鳳凰の違いは私の感覚だと「龍神は水」「鳳凰は火」そんな感じ。

そして大雨が2日ほど続いた後、青空がひろがる心地よさに誘われて、ミッションビーチへでかけた。ビーチは自粛で閉まっていたけれど隣接する浜に降り、その場を感じた。そしてその後はミッションのことも忘れて、(これ大事❗️)気ままに車を走らせ、気になった名護のビーチに降り美しい海や空、風を感じながらええ気分で過ごした。

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そこで、やってみようと思ってたInstagramのライブ配信を初めてやってみた。とても楽しかった。ここでも自分の心に素直に従った…

次に備瀬のフクギ並木に行きたくなって車を走らせた。その車の中でミッションの意味が腹に落ちてきた。

なるほど…ミッションには2つの段階がある。最初のミッションは「生きる」

でもこの「生きる」も2つある。

「地球を体験する生きる」「嘘偽りない自分を生きる」

地球を体験することには「死」もふくむ、つまり「自殺」もそう。だから私は自殺を良いことだと思わないけれど、否定もしないんだ…

そして、もう一つの「生きる」は自分の生まれ持ってきた音、濁りない自分だけの音色を奏でて「生きる」つまり無垢な洗練された3歳児にかえっていく

この2つの「生きる」のどちらでもいい、この「どちらか」または「どちらも」が、ひとつめの全員に与えられた「使命=自らが使う命」なんだ

そして私は「どちらも」を選択し、自分の生まれ持ってきた音を奏でて生きたいと本気で取り組んできた。


後編につづく


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